荒野の墓標
月の無い夜の事であった。
マユミとアイは小高い丘の上、大きな岩の上から眼下に広がる景色を眺めていた。
彼女達がこの階層へ入ってから既に10日程過ぎていたが、何処まで歩いても代わり映えの無い砂漠である。
見渡す限りの砂と岩山は、草木を育む事が出来ないのだろうか、まるで生命と言うものを感じさせなかった。
その代わりであるかの様に地面から生えているのは、石で作られた凄まじい数の墓標である。
「そろそろ始まるわ」
満天の星空を見上げてみると、紅に輝く流星が落ちて来るのが見えた。瞬きのうちにその流星は少し離れた一際大きな墓標の上に落ち、爆ぜること無く紅い光が周囲に拡がって行く。
すると、その光に照らされた墓標から黒い影達が次々と立ち上がって来た。
「…行くよ?」
マユミは岩に腰を下ろし、三味線を弾き始める。その曲調は激しく攻撃的である。
アイは懐から短刀を取り出すと、ゆっくりと鞘から抜く。そしてそのオレンジ色に輝く短刀を手に、光に向かって滑る様に駆け出した。
「どうか、安らかにお眠り下さい。」
アイはその影達の間を縫うように走り、すれ違いざまに短刀で影達の首元を撫でる。
天をつんざく悲鳴を上げながら、斬られた影達はその傷口から青い光の血を流し、やがて息絶えるように動かなくなると、光の粒子となって天に昇って行く。
マユミが奏でる曲は一層激しさを増してきた。それに同調する様にアイの動きも速く激しさを増して行く。最早一筋のオレンジ色の光となったアイは尾を引くように流れて、その度に青い光の花が咲く。
そして、とうとう残る影は最初に流星が落ちた墓標の主だけになる。
鎧を纏い矛を構えたその影は、明らかに影達の将であろう女性だった。
アイはその懐に滑り込み短刀を滑らせるが、スッと添えられた矛の柄に受け流される。
アイはすれ違いざまにトンッと半歩横左にズレると、膝を抜いて上体を倒し影の喉元に裏蹴りを放つが、影は身體をピタリとアイの蹴り足に横付けすると、軽く体重を掛けてアイの重心をずらして来る。
そんな二人の攻防は、まるでダンスを踊っている恋人のようであった。
アイが攻め、影はアイに寄り添う。実力は明らかに影が上回っていたが、不思議と影はその矛をアイに振るうことは無い。
そんな二人の戦いとも呼べぬ攻防は、数時間後にアイの体力が尽きて、影の矛がアイの首筋に当てられたことで勝負が付いた。
「…参りました。」
『……また明日……待っている』
そう言い残すと、影は闇に溶けて消えて行った。
「今日も勝てなかったな。」
「隊長にバフ掛けてもらってるのに、まるで赤児扱いだわ…」
「しかし、千程の霊を天にお返し出来た。皆、私達に礼を言っていたよ。」
「そっか…そうだね。目的を忘れるところだったわ。」
マユミは静かな唄を天に捧げる様に唄い出す。
この荒野で先程の女将の影と出会い、この古戦の地に縛られた影達の解放を頼まれた。
皆、大義の元に戦で散って行った武士の霊である。しかし、もう守るべき者はこの世に居らず、彼等を憶えている者すらも既に居なかった。
それから毎晩紅い流星はやって来た。マユミとアイが天へと御返しした霊は数万にもなっただろう。
そして大きな大きな満月の夜。
『アイ、マユミ。世話になったな。これで私もやっと天に帰ることが出来そうだ。ありがとう。』
真っ黒だった影が光を放ち、色を取り戻す。
そこには鎧を脱ぎ捨てた美しい将の姿があった。そして彼女はゆっくりと天に昇って行く。
彼女達の命を使い尽くす程のその目的とは、一体何であったのか。
それは自己犠牲であったのか。
自己顕示欲のためであったのか。
純粋な殺人欲であったかもしれない。
もしかすると、アイが考えつきもしない理由であったかもしれない。
何れにしても結果として、ここで命を使い果たした。
アイは自分の命の使い道等と考えた事が無かった。そういう視点で人生を考えて居なかった。
『フフフッ。精一杯生きる、それで良いのよ。』
満天の星空に祈るアイに、そんな風に微笑む在りし日の女将の声が聞こえたような気がした。
アイがふと足元を見ると、なんと綺麗な白いユリの花が咲いているではないか。
「これが彼女が生きた証なのかしらね。」
生命の途絶えた荒野の墓地に、悲しげな三味線の音だけがいつまでもいつまでも響いているのであった。