第二十九話 伯爵邸の襲撃④
モンド伯爵邸三階、執務室では、『踊る剣』の冒険者五人と、アンデッド兵の交戦が行われていた。
部屋内は荒れ果ていた。
机はひっくり返されて書類が床にぶちまけられ、その上には惨死体が倒れている。
モンド伯爵は部屋の奥に立ち、ギルドマスター補佐である赤髪短髪の大男、ファンドに庇われていた。
「るおおおおおっ!」
ファンドが左右に斧を振る。
接近していたアンデッドと化していた冒険者三人の額、頭頂部、側頭部が深く斬りつけられ、脳漿を零してその場に崩れ落ちる。
『踊る剣』は、都市バライラのトップ候補の冒険者ギルドである。
そこらの冒険者よりも、数段は実力が上である。
そこでユノスの補佐を務めていたファンドであれば、並みのアンデッド複数を相手取ることもどうにか可能であった。
しかし、ファンドの動きが瞬間鈍る。
目線は、崩れ落ちた三人のアンデッドへと向けられていた。
焦点の合わない目で舌をだらりと出しているのが『赤鼠団』のベイリシャ、顔が潰れてまともに見えないのは『義勇の証』のフルーク、綺麗に頭が左右に分かれているのがフルークの親友マルシス。
三人共、ファンドが名前と顔を知っている相手であった。
人当たりがよく気が長く、常識人であったファンドは、他ギルドとの交渉や情報交換の場にも出る機会の多かった。
そのため顔が広く、また彼は人の顔を覚えるのが得意であった。
今に限っては、そのことが、ファンドの足を引っ張っていた。
「隙あ、りりりりり!」
身体のあちこちに包帯を巻いた長身の男が、ファンドを勢いよく蹴り上げた。
ファンドの巨体が宙に上がる。どうにか体勢を整えて着地するも、蹴られた部位は服が引き裂かれ、血が流れていた。
「失敬、ワタシ、爪が長いものでででで」
不気味なほどに長い背丈の男が笑う。
背丈だけではなく、足と腕も、ひと目見て違和感を覚える程に長い、異様な人間であった。
ファンドも相手が人間なのか、死体を弄って作られたアンデッドなのか、判断がつかない。
アンデッドの雑兵に紛れ、男の動きはあまりにも機微であった。
「化け物め……ユノス様が戻られれば、お前など……」
ファンドが肩で息をしながら呟く。
「化け物では、ないいいい……確かに、身体の七割は継ぎ足しニクであるががが、三割は元のままであるるる! なんと、失礼なななな! この『継ぎ接ぎのブルコニー』、最大の侮辱くく!」
ブルコニ―と名乗った男が、腕を大きく曲げて頭を抱え、身体を揺らしながら喚き散らす。
ローブが外れて、縫い合わせた痕だらけの禿げ上がった異様な頭が露わになる。
目は、死体の様に淀んでおり、激情的な動作とは対称に冷え切っていた。
モンド伯爵は、そのやり取りを複雑な心境で見守っていた。
ユノスは、既に都市バライラを見限り、逃走したばかりである。
様子から『踊る剣』の部下には一切を告げずに出て行ったことはわかっていたが、それを知らせるタイミングを完全に失っていた。
また今の状況でユノスの事を知って戦いの手が鈍れば、モンド伯爵の死は疎か、この場にいる『踊る剣』の冒険者の殲滅も免れられないことである様に思えた。
「こちらにももも、マンジー様が向かわれておる、るるる。お前達は、全員、死よりも恐ろしい目に遭うのだだだ」
ブルコニーが、リーチを活かして武器を持つファンドへと殴り掛かる。
ファンドは斧の刃で受けて、そのまま押し返す。
斧に腐肉を裂く感覚。
ブルコニーの腕から赤茶色の謎の体液が漏れ出すも、切断には至らなかったようだった。
ファンドの斧は、切れ味よりも打撃力で叩き割る、鈍器に近い扱いを前提とした武器である。
しかしそれを踏まえた上でも、ブルコニーの腕が頑丈すぎる。
腕が切断できないどころか、骨を断った感覚さえない。
ファンドは手応えから考え、ブルコニーの肉体がゴムに近いものであると想定した。
ブルコニーの全身が、衝撃を受け流すことに特化した太い鞭な様なものなのだ、と。
ともすれば、ブルコニーの肉を切断できないファンドには、はっきりとやりようがない。
頭皮越しに脳みそを叩き壊せばさすがに死ぬだろうが、頭に斧を押し当てて振り切るだけの隙をブルコニーが見せるとも思えなかった。
ブルコニーが長い腕を振り下ろす。
ただそれだけの単純な動きが、恐ろしいリーチであった。
振るわれる速度で腕がわずかに伸縮し、間合い外に出たはずのファンドの顎を掠めた。
ファンドの顎の皮膚の一部が容易く剝がれる。もう少し深くに抉られていたら、骨まで削られ、激痛のあまり立っていることもできなくなっていたはずだ。
「死、ねねねね!」
ファンドへブルコニーの両腕が連続で振り下ろされる。
どうにか斧の側面で受け流そうとするも、威力があまりにも重い。
一撃、二撃、三撃目を同じ体勢で受ける。僅かに従来の攻撃から角度を変えられた四度目が、ファンドの斧でのガードを擦り抜けようと狙って落とされた。
「ユ、ユノス様……俺は、ここまで……」
そのとき、ブルコニーが急に身体を翻し、ファンドから距離を置いた。
矢が風を切って自分に向かう音を聞いたのである。
身体を返したブルコニーは、矢を、己の奇怪なまでに長い指先で摘む。
摘まみながら驚愕する。
この矢が、自身とファンドの交戦の合間を狙い、相応の動きを読んで放たれたものであったとしか思えなかったからである。
それはブルコニーの素早い動きを、射手が完全に読み切っていたことを示す。
「……面白、いいいい。このブルコニーの動きを、読もうなどどど……! このワタシと、今一度勝負……」
ブルコニーが射手への関心を示したとき、腹部に激痛が貫いた。
矢は、二つあったのだ。一つの矢の影に隠れるようにして並行して飛来し、ブルコニーの腹部を穿ったのである。
あり得ない速度と精度の連射であった。
矢は、ブルコニーの異様に長い身体の急所を、冷静に抉っていた。
「ここ、殺す……」
臓器を損傷して呻くブルコニーの首に、三本の矢が縦に並んで突き刺さる。
ブルコニーの長身が、人工的な動きでへし折れて床に倒れる。
「お前、お前……何者……」
睨む先、執務室の入り口には、悠然とロビンフッドが立っている。
その事実に驚いたのは、意思のないアンデッドよりも『踊る剣』の冒険者とモンド伯爵であった。
「……儂の首を、取りに来たか。アンデッド共に殺される前に、自分の手で、というわけか」
モンド伯爵が、歯を喰いしばってロビンフッドを睨みつける。
ロビンフッドは黙ったままモンド伯爵を睨み返す。
「なぜ、なぜお前が、ここに! よりによって、こんなときに出て来るなんて!」
女冒険者タルミャが、驚愕と嫌悪を露わにした声を出す。
タルミャのナイフ捌きが鈍り、アンデッド兵の剣に弾かれる。
「しまっ……!」
その瞬間、タルミャと向かい合っていたアンデッド兵の脳天を、矢が綺麗に貫いた。
手助けしたことは明らかである。
「な、なんで……!」
その後も、次々と正確に放たれた矢が、ほとんど抵抗も許さないままにアンデッド兵を打ち倒していく。
アンデッド兵が倒れて静かになった執務室へと、ロビンフッドが立ち入る。
『踊る剣』の冒険者達からしてみれば、ロビンフッドの行動ははっきりと矛盾している。
なにせ、ロビンフッドは『踊る剣』の依頼中に横槍を入れて、仲間を殺したことさえある。
腕前は超一流、頭は壊れた英雄。最悪の狂人である。
それが今は、明らかに標的であったはずの領主と、一度は襲撃を仕掛けた相手のサポートを行っているのだ。
味方だとしても受け入れられるものではない。
ロビンフッドからしてみれば、今となっては、『踊る剣』の冒険者を殺す理由がなかった。
ロビンフッドは、ユノスに自分と同等、それに近い絶望を与えるためには、例えほぼ無関係であったとしても、ユノスの部下である『踊る剣』の冒険者の命を奪うことに、抵抗は一切なかった。
それだけ自分からすべてを奪ったユノスを恨んでいた。
信頼し合っていた仲間達を、一人残らず貶められて殺された苦しみの、十分の一でも返すことができればいいと考えていた。
しかし、ユノスにそういった感情は一切なかった。
だがユノスと決着を着けるに当たり、ユノスが部下である『踊る剣』を道具としてしか見ていなかったのだと知り、その時点で彼らを手に掛ける理由を失っていた。
ロビンフッドがユノスに与えたかった喪失感は、単に便利な道具を紛失した、程度のものではなかったのだ。
とはいえどロビンフッドは、身勝手に他者の命を手に掛けたという意味で、ユノスと同等まで自分自身を貶めているということも理解していた。
今更、再び英雄を気取るつもりもない。
「噂になってるんだろ? 不利な方に付く、壊れた英雄崩れがいるってな」
ロビンフッドが口元を歪めさせて笑い、懐から金貨を取り出して指で弾いた。
「今のお前らを殺しても仕方がないからな。活きのいい相手じゃないと、俺が上だと証明できない。今日のところは、味方についておいてやろう。心強いだろう、伯爵様よ?」
「……テメェ、あのときはよくもっ!」
『踊る剣』の冒険者の一人が、ロビンフッドへと剣を向けて歩み寄ろうとする。
それをファンドが制止する。
「……信用できる相手でもないし、許せる相手でもない。だが、今の状態でロビンフッドと戦えば、俺達はそれこそ全滅するしかない。気持ちはわかるが、抑えてくれ。奴の気まぐれに、賭けるしかない」
「ファンドさん……しかし……」
「ユノス様も見当たらない。最悪の場合、ということもある。各々に思うところがあるのはわかるが……今は、黙って俺に従ってくれ」
ユノスと聞き、ロビンフッドの心中でさざ波が立つ。
だが表には出さず、素知らぬ顔をしていた。
「ヨホホホホ……ユノスとは、どの子のことだったかな?」
扉前から、しゃがれた声がする。
姿を見せるのは、生白い皮膚に、異様に長く、瘤がいくつもある、禿げ頭の、あまりに醜い奇怪な老人。
その背後には、五人のアンデッド兵が続く。
その中に、細目の長髪の男がいた。
眼球は真っ赤に染め上がっており、背に深々と矢が刺さっている男は、アンデッドと化した『踊る剣』のギルドマスター、ユノスであった。
それを目にし、『踊る剣』の冒険者達とモンド伯爵が凍り付いた。
ロビンフッドだけは、冷淡な目でアンデッドとなったユノスを睨んでいた。
急いでいたとはいえ、もっと徹底的に死体を損壊させるべきだったと悔いていた。
「ブルコニーがやられたとなると、ロビンフッドとやらは多少は遊べる玩具のようだ。ヨホホホホ」
奇怪な老人、『笛吹き悪魔』の八賢者が一人マンジーは、床で伏せる部下の死体を見つけ、嬉しそうに笑う。




