第十四話 領主モンド伯爵⑥
ランベールはモンド伯爵の館の客室へと通された。
『踊る剣』の冒険者達が次々に席に着く中、ランベールは机を前にただ立っていた。
「どうした? 座ってよいのだぞ?」
モンド伯爵が怪訝気に顔を顰める。
「おい、ランベール」
ユノスが小声でランベールを急かす。
ユノスとしては、ランベールに引き込みを断られた以上、モンド伯爵がランベールを気に入る様な事態はなるべく避けたかった。
モンド伯爵の私兵にランベールが入れば、それだけでランベール一人の活躍によってモンド伯爵が冒険者ギルドを頼る機会が急減するだろうと推測していたためである。
しかしあからさまに失礼な真似をされては、連れて来た自分の印象も悪くなりかねない。
「俺は、この様な華やかな場にはそぐわない性分。ただ、伯爵様に聞いておきたいことがあった。そのためだけにここへと来させてもらった。失礼は承知で、それが終われば俺は帰らせていただく」
無理を言っている自覚はあったが、ランベールの鎧の中には骨とマナしか残っていない。
食事を行うことはできないし、誤魔化すにも限度がある。
本来ならばこの様な場は回避すべきであったが、事はこの都市バライラに、果てはレギオス王国全土に関わることである。
モンド伯爵が一層と顔を顰める。
それと共に、客室内に剣呑な雰囲気が漂う。
モンド伯爵は気が長い性質ではあるが、その心中はあまり穏やかではなかった。
だが鎧の男は姪のクリスの命の恩人である。
そのため、言葉を遮る様な真似はしなかった。
「恐らくこの都市バライラは、『笛吹き悪魔』に目を付けられている。それに対する備えは、戦力は、この都市にあるのか? あの私兵達が、肝心な時に役に立つとは到底思えない」
「ランベール! 無礼が過ぎるぞ」
ユノスが席を立ち、ランベールの前へと立った。
「……構わぬ。『笛吹き悪魔』への警戒の呼びかけは王家の使者からも来ていたが、まさか、ただの旅の剣士が同じことを忠告に来るとはの」
モンド伯爵がユノスを止めて、ランベールへと言う。
(王家は、『笛吹き悪魔』への警戒をしっかりと強めていたか。ならば、最悪の事態ではない、か)
ランベールが都市バライラへの攻撃を懸念したのと同様、レギオス王国王家も同じ考えのようであった。
「そのときも返させてもらったが、この地には優秀な冒険者が多い。レギオス王国全土を見回そうが、これほど強者が数揃っている地はない。テロリストなぞ、恐れるには足りぬ」
「……お言葉だが、冒険者と私兵の意味は全く違う。戦争ともならば、多くの冒険者はこの地から去る。その場その場で雇う冒険者と、ずっと手許に抱えている私兵の差は大きい。本当にこの地が危なくなったときに、果たして何人が命を張るのか」
八国統一戦争時代にも冒険者は存在した。
ただその多くは、力を持ちながらも国に尽くすことを拒んだ外れ者達である。
彼らは国から国を自在に動き回り、比較的落ち着いた地を好んで動き回り、人ではなく魔物を斬った。
そんな連中が、都市の有事に命懸けで戦うなど、ランベールには想像できない。
また、日頃から主に恩義を受けている身でもない冒険者に、そこまでする義理もないと考えていた。
数ある冒険者ギルドが犠牲を臆さず動けば、確かに『笛吹き悪魔』が付け入る隙は無いだろう。
だが、そんなことはあり得ない。
モンド伯爵の言葉は一見正しいが、相手の出方、規模によっては容易く崩壊するものだと、ランベールはそう捉えていた。
ぴくり、モンド伯爵の眉が動く。
「……数ある冒険者ギルドが、防衛に関して意味を持たないと?」
「そこまでは言っていないが、形態が隙になると言っている。今のままでは、万が一の事態が起こったとき、どれだけの被害が出ることか。現私兵団の即時解体を進言する。時間が惜しいが、あれではさすがにない方がマシだ」
ランベールの言葉を選ばない言い方に、客室内の空気が重くなる。
恩があるとしても、補いきれぬ物言いである。
モンド伯爵も、この者を部屋から出せと、喉まで口に出かかった。
だが、ランベールの言葉は、ただの妄言とは切り捨てられなかった。
モンド伯爵は都市バライラにおいて、冒険者の支援を徹底していた。
王家の使者から警戒が促された際には、各冒険者ギルドに新しい書類を提出させて戦力の規模の把握を行い、まず危険性はないだろうと見積もっていた。
しかし、領地の有事に、どれだけ冒険者ギルドが動くか。
モンド伯爵もその点に対してまったく考えていなかったわけではないが、ランベールの言葉を聞き、認識が甘かったのではないかと頭を過ぎったのである。
「…………」
モンド伯爵が、額に汗を浮かべて黙りこくる。
「悪いが、見ている限り、ここの私兵には何の期待もできない。王国の警戒度合いによっては、王国騎士団を借り受けられるかもしれん。伯爵様の面子を潰すだけになるかもしれぬが、最悪を想定するならば、そうすべきだ」
そのとき、扉が勢いよく開かれた。
現れたのは、顔に包帯を巻いた豚の様な拉げた鼻の男、グラスコである。
その後ろには、五人の私兵が立っている。
グラスコは先程の模擬戦においてランベールを前に恐怖して失禁したため、汚れた衣服を既に着替えている。
「わ、我ら私兵団が、何の期待もできないだと!? 我々だけではなく、モンド伯爵様への侮辱でもあるぞ! し、死刑だ死刑! 伯爵様! 奴を死刑にしましょう!」
グラスコは、このままでは腹の虫が治まらないと、部下を引き連れて客室前まで来たものの、先程を思えばランベール相手に自分が何かできるとも思えず、ただ部屋前をウロウロしながら時折中の会話を盗み聞きしていたのである。
そこで自分達へと戦力外通知を伯爵へ告げるランベールの言葉を聞き、怒りが抑えきれなくなって衝動的に飛び出したのだ。
ランベールが無言でグラスコを睨む。
グラスコはたじろぎ、身を引いた。ランベールに力で敵いようがないことは、はっきりと自覚していた。
「これ以上は意味がなさそうだ。都市バライラについて、俺は深く知っているわけではない。伯爵様の思惑やしがらみ、事情も把握していない。ただ、早急に何か手を打ってもらえることを期待している」
ランベールがグラスコへと歩み寄る。
グラスコはぶるりと身を震わせ、身体を引いた。
「な、なんだ? なんだ、なんだ……なんだぁっ! ここ、このグラスコ様が本気を出せば、貴様なんぞ……!」
ランベールは、グラスコが下がったことで空いた隙間から客室の外へと出た。
ランベールはただ扉が通りたかっただけであった。前を陣取っているグラスコが邪魔だったのである。
グラスコは顔を恐怖に歪め、しばらく息を荒げていたが、ランベールが完全に自分に背を向けたのを見て、今が好機だと口許を歪めた。
グラスコは元々気が短い。
伯爵の私兵であるという自身の地位を脅かすランベールに対して、強い怒りを覚えていた。
そこへ加えて、伯爵への私兵団解体の進言である。
それはグラスコの凶行を招くのに十分すぎる理由であった。
グラスコは腰の鞘に手を当てて、ランベールへそっと歩み寄る。
取り巻きがこれはまずいと気づいた時には、後の祭りであった。
「死ねやオラァッ!」
グラスコは剣を抜き、ランベールの首の関節部目掛けて振るった。
グラスコの剣はランベールを擦り抜けた。
少なくとも、グラスコにはそのように感じた。
「……はっ?」
刃の先がなくなっていることに気が付いたのには、一瞬後の事だった。
グラスコの首が掴まれ、持ち上げられる。その首元には、グラスコの振るった剣の刃が付きつけられていた。
ランベールは手刀でグラスコの剣を切断し、それを握ってグラスコの背へと回り込んだのである。
「殺すつもりで振るったか? なら当然、殺される覚悟もあるのだろうな」
グラスコが顔を真っ青にし、ガタガタと震える。
そのまま気を失ったらしく、白目を剥いてその場へ倒れた。
ランベールは無言でグラスコを降ろし、床の上に転がした。




