第三話 悪夢の大馬③
首のない大馬が、ランベール目掛けて大きな蹄を叩きつける。
ランベールはそれを躱し、直後に向かってきた巨体の体当たりを剣の腹で往なす。
大馬は勢い余ってランベールの横を駆け抜けるが、すぐに蹄を地面に叩きつけて曲がり、再びランベールへと突進してくる。
先ほど容易く往なされたことが堪えたのか、大馬はランベールの目前で急停止し、前の両足を大きく持ち上げ、ランベールへと叩きつける。
ランベールはそれを避けず、正面で剣を構えた。
「けっ、剣士様! それは駄目です!」
ランベールが避けようとしていないことを察したらしいアルバナが悲鳴を上げる。
人がまともに相手取るには、首なし大馬はあまりに巨躯であった。
ランベールの行為はまさに自殺としか思えなかった。
大馬の蹄と、ランベールの大剣が競り合う。
アルバナは耳を疑った。
常人よりも三回り以上は大きい大馬の体重を掛けた圧し掛かりと、人間の剣の一振りが拮抗しているのである。
「こ、こんなことが……」
離れたところから様子を窺っていたアルバナも、恐る恐るとランベールの許へと近づいて来る。
「ふむ、なるほど素晴らしい。生前はさぞ名馬だったことだろう」
ランベールは「はぁっ!」と大きく叫ぶと、大馬の巨体を勢いよく弾き上げてしまった。
大馬のがら空きになった腹部がランベールへと晒される。
もう一振り大剣を振るえば、確実に致命傷を与えることができるはずだ。
「や、やった!」
アルバナは額に汗を垂らしながら耳を澄まし、この戦いの終わりを必死に聞き遂げようとする。
だがランベールは、追撃を繰り出さなかった。
「…………あ、あれ?」
アルバナが呟く。
大馬も、ランベールを訝しむ様に、距離を取ったまま制止する。
「お前も、主から討たれたか。奇遇だな」
大馬が、ランベールの言葉に聞き入るように先のない首を傾ける。
次の瞬間、背を屈めてランベールへと飛び掛かってった。
ランベールはすぐさま大剣を振り上げ、一気に降ろす。
「はぁっ!」
力を込めたことで、ランベールから瘴気が漏れ出す。
「っ!」
アルバナが動きを止め、色素の薄い眼を開き、警戒気味に腰を落とす。
ランベールの振り下ろした大剣が、地面を砕いて砂の飛沫を巻き上げた。
大剣は、馬を目掛けて放たれたのではない。馬の、すぐ側へと振り下ろされていた。
大馬は恐怖からか、腹を地面に着け、その場に竦んでいた。
ランベールはゆっくりと態勢を直し、鞘へと大剣を戻す。
強張っていたアルバナの身体から緊張が抜ける。
アルバナが目を閉じて、口許に手を当てて笑う。
「び、びっくりした……。凄い気迫でしたよ、もう。にしても……アハハ、もしかして私の話のせいで、情が移りましたか?」
「いや、悪くない馬だと思ってな。少々森の移動に時間が掛かってしまったと、悩んでいたところだ。かといって、並の馬では俺の鎧の重さには耐え切れず、すぐに潰れてしまう。以前いた都市では、真っ当な馬が見つからんかったからな」
「……はい?」
アルバナが不審げに眉を寄せる。
八国統一戦争時代のレギオス王国では、重い鎧に耐え得る軍馬の飼育に躍起になっていた。
馬の中から取り立てて体格のいい馬を選び、同じような大柄の馬と子を作らせ、それを繰り返して強靭な馬を育て上げていた。
四魔将の魔金鎧を着る必要のあるランベールには、中でも選りすぐりの名馬を与えられていたのだ。
その頃の馬を知るランベールには、都市アインザスで見かける馬はどうにも貧相に思え、使い物になるようには思えなかったのである。
その点、この首なしの大馬は、八国統一戦争時代のレギオス王国の軍馬を彷彿させるほどの名馬であった。
色々と難点はあったが、ランベールには些事に思えた。
元よりランベールもアンデッドである。アンデッドの馬に乗ったところで、お似合いというものだろう。
そして何より、かつてのランベールの愛馬には数段劣るものの、毛皮といい雰囲気といい、どこか似通ったところがあったこともランベールの琴線に触れた。
この馬を自分の馬とする――最初に蹄と押し合いになったときから、ランベールの中ではそう決定していた。
「いやいや……いやいやいやいや! そんな、アンデッドなんて懐くわけないじゃないですか! 生前の妄執にしがみついて暴れるだけの連中ですよ! 剣士様……何と言いますか、さすがに無謀かと?」
「…………」
偶然にも自身を否定されたランベールは、内心微かにムッとしていた。
アルバナの助言を無視し、地面に這う大馬の背を、鎧の手で撫でる。
馬はぶるりと身を震わせたものの、それからはたじろぎ一つせず、大人しくしていた。
「見ろ、心が通じた。どうだ? 俺は昔から、動物の扱いが得意でな」
「……それは、脅えられているだけなのでは?」
アルバナからしてみれば、猛獣が更に大柄の同胞へと降伏しているようにしか思えない。
自然界ならばよくあることである。
それにしても、本来悦びや恐怖などの感情が乏しく、怒りや狂気に囚われているはずのアンデッドである大馬が必死にランベールへと頭を下げている様子は、どうにも奇怪であった。
もっとも、ランベールもそのアンデッドの一員であるのだが、それはアルバナの知るところではない。
「剣士様は堅物のようで……なんというか、聊かズレておられますね……。ああいえ、その、いい意味で」
アルバナは正直な感想を述べた後、特に深くは考えず、やっつけのフォローを付け加える。
ランベールはアルバナの言葉に首を傾げながらも、空いた手で愛おしむ様に首なし馬の背を撫でていた。
もっとも、撫でられている首なし馬は、まだ脅えているようであったが。
「剣士様と一緒に居ると退屈しなさそうですが……この話を、どれだけ私が真摯に語ったところで、誰にも信じてもらえなさそうなのが難点ですね……」
アルバナは深く溜め息を吐いた。




