第三十二話 オーボック伯爵①
ランベール達がアインザス地下迷宮へと潜っている最中、『精霊の黄昏』のギルドマスターであるジェルマンは単独で、依頼受注の得意先である商会の責任者の元へと出向いていた。
ジェルマンは本格的に『精霊の黄昏』の移転、及び解散を考えており、その前に取引相手に話を通しておきたかったのだ。
ジェルマンはギルドマスターの地位を利用して都市アインザスと、領主であるオーボック伯爵ついて調べていた。
だが調べれば調べるほど出てくる黒い噂を前にし、これ以上は危険だと判断したのだ。
調査から手を退くつもりはなかったが、『魔金の竜』の冒険者であるクレイドルの言動を聞き、このままでは無関係な者まで巻き込むことになると考えたのだ。
ジェルマンは都市アインザスの裏通りに差し掛かったところで、振り返った。
追跡者の気配に気がついており、人気のないところで暴いて捕まえてやるつもりだったのだ。
「いつまでコソコソとしている。そろそろ出てきたらどうだ?」
ジェルマンの答えに応じるように、角から一人の男が現れた。
紫紺の髪を持つ、無精髭の男である。
整った衣服を身につけてはいるがやや着崩れており、だらしない印象を受ける。
本人の顔立ちもハンサムではあるが、致命的に覇気がない。
背に二本、腰に一本の剣を差している。
「何者だ? お前は、オーボック伯爵の関係者か?」
ジェルマンの問いに対し、男は肩を竦め、退屈そうに溜め息を吐いた。
「あいにく様だが、雑魚に名乗る名はねえよ。オメェみたいな弱っちいヤツに、興味がねぇもんでな」
「……いきなり刺客を向けて来るとは、伯爵は随分と臆病らしい」
ジェルマンは長剣を鞘から抜いて一度斜めに振り、構えた。
「既にここまでマークされていたとはな。お前を倒し、しばらく身を隠すとしよう」
「遅いぜ。オメェ、部下を地下迷宮にやったらしいじゃねぇか」
「……なぜ、知っている?」
ジェルマンは疑問を口にしてから、如何に自分がオーボック伯爵に対して遅れを取っていたのかに気がついた。
せいぜい自分の行動を不審に思われているのだろう程度に考えていたのだが、まさか既にギルドの動向まで探られていたとは思いもしなかったのだ。
もっとも実際にはそれよりも尚酷く、『精霊の黄昏』の取引相手の商会自体にも息が掛かっていた。
都市アインザス全土がオーボック伯爵の蜘蛛の巣なのである。
蜘蛛を知るために蜘蛛の巣に入り込むなど、悪手でしかない。
「生きてねぇぞ、そいつら。もう、皆殺しにされてんだろうな。興味ねぇが」
「な、なぜだ! 奴らは、関係ないだろうが!」
「関係ねぇこたねぇだろう。オメェが一人で嗅ぎ回ってたのか、どこまで部下を使ってたのかなんて、そこまではわからねぇんだから。頭と同時に主要な部下を潰しとくのは、別におかしなことじゃねぇよ。巻き込まねぇ気でいるなら、オメェ、考えが甘かったんじゃねぇの?」
ジェルマンとて、その辺りの認識が甘かったわけではない。
ただ、甘かった部分があるとするのならば、オーボック伯爵の徹底した警戒ぶりと狡猾さ、残酷さへの認識である。
「言っとくが、オーボック伯爵はオメェの素性なんてとっくに調べてる。家名も忘れたが、オーボック伯爵と敵対して消された、弱小貴族のドラ息子だったんだろ? 家を出たなら忘れりゃいいのに、余計なことに首突っ込んだな」
ジェルマンの素性は男の口にした通り、オーボック伯爵と敵対し、罪をでっち上げられて処刑された男爵家の次男である。
十年以上前に冒険者を志して家を飛び出して以来、一度も戻ってはいなかった。
そのためオーボック伯爵による一族郎党の処刑にも巻き込まれなかったのだ。
自分なりのやり方で一矢報いて家の汚名を晴らすと誓い、都市アインザスにて冒険者ギルドを構え、情報収集を行っていたのである。
「…………」
ジェルマンは剣を抜き、男へと突きつけた。
「やめとけよ。オメェ、そこそこやるつもりだろうが、中の上ってとこだぜ? 余計なことすんじゃねぇよ。雑魚の戦い方が頭に入ったら、剣が鈍るしな」
男は淡々と言う。
意外にもそこに小馬鹿にした様子はなく、ただ事実を述べているだけ、といったふうであった。
絶対的な自信に裏打ちされた言葉であったことは間違いない。
だがジェルマンとて、大人しく捕まるつもりはない。
構えた剣をそのままに男を睨みつけた。
「仕方ねぇなぁ……はぁ」
男が動く。
移動しながら最小限の動きで剣を抜き、そのままジェルマンへと斬り掛かった。
剣が交差し、金属音が響く。
(重い……それに、速い。ギリギリ反応できたが、こいつ……明らかに本気じゃない)
剣を打ち合いながらも、男の顔には相変わらず覇気がない。
身体にも力が入っているようには見えないのに、押し合っている剣はぴくりとも前には動かない。
「その細身の身体で、よくも……」
「ほうら、次だ」
男は手を最短経路を辿るように振り上げ、ジェルマンへと反対側から斬りかかる。
「ぐっ!」
ジェルマンは腕を上げ、剣で紙一重に防御する。
態勢を立て直す間もなく、続けて頭を狙った三撃目が放たれる。
これもジェルマンは寸前で回避に成功した。
そのまま反撃を試みようかと考えたが、既に男が四撃目の剣を振るう構えを取っていることに気がつき、剣で弾いて対応した。
(大口を叩くだけはある。恐ろしく強い相手だ。だが、本気になる前に決定打を叩き込むことができれば……)
ジェルマンは意識を研ぎ澄まし、とりあえずは回避に専念し、確実な一撃を相手に当てることのできる隙を探ることにした。
ジェルマンは目線から剣の軌道を読むため、男の顔を観察した。
そこで恐ろしいことに気がついた。
男は相変わらず退屈そうな表情を浮かべたまま、ほとんど目線を動かさずにいた。
心底つまらなさそうに、ジェルマンの遠い背後へと目を向けている。
(こんなに的確な鋭い剣技を、私の反応を一切伺わずに繰り出せるはずがない。何か、カラクリが……)
剣がかち合い、金属音が響く。
ジェルマンは男の次の剣を防ぐために剣を横に回し、そこでようやく男の不気味な剣技の正体に気がついた。
「ま、まさか、この剣は……」
「よくわかったな。剣聖ベルガーネが編み出し、その子孫であるアルレック家の長男にのみ継がれることとなった絶技、『四十九の剣雨』だ。オメェはもう、俺の操る剣の豪雨の中だ」
基本的に剣の戦いにおいて一番大事なことは、相手の動きに対してどれだけ優位な対応が取れるか否か、である。
突き詰めればそれは、あらゆる剣技、あらゆる場面への最善の対処が頭に入っていれば、あらゆる剣を制することができるということへと繋がる。
だが現実問題、そんなことは不可能である。
しかし『四十九の剣雨』は、常に自ら攻撃を仕掛けて相手の行動を制限、誘導する。
そしてその誘導先の動きへの最善の対処を事前に頭に入れておくことで、必ず相手が後手に回らざるを得なくなる場面を連続して作り出すことができる技なのだ。
盤上遊びにおいて、最善手で確実に相手を詰めるようなものである。
つまり男がどれだけ手を抜いて戦っていようが、四十九手までは反撃の隙が一切ない連撃を繰り出すことができるのである。
計算し尽くされた絶技の前に、攻撃を通す隙間などあるはずもなかった。
「私は、こんなところで終わるわけにはいかないのだ! オーボックの悪事を暴き、我が家の名誉を取り戻すまでは……」
焦ったジェルマンが、十三手目に強引な攻撃に出た。
男は悠々と剣を持ち替え、持ち柄の部分でジェルマンの頭部を殴打した。
ジェルマンは打ち倒され、その場に膝を突いた。
頭からはだらだらと血が流れている。
「まさか……お前は、アルレック家の者なのか?」
「ちげぇよ。昔一悶着あったから、そんときに一通り覚えて、使い易いようにアレンジしただけだ」
男はとんでもないことを、あっさりと、事もなげに口にする。
ジェルマンは呆然と口を開けた。
「面白そうだと思って身につけてはみたが、ガキのお稽古みたいに同じことするだけの、つまんねぇ技だぜ。覚えるときは必死だったが、いざ使ってみたら退屈この上ねぇよ」
男はこきりと首を鳴らし、剣を鞘へと戻す。
「四十九まで覚えたのに、どんだけ手を抜いても二十手以降の技を使う機会がねぇ。ったく、こっからが分岐が増えて面倒臭かったっつうのに」
明らかに、格が違う。
ジェルマンもそのことを悟り、既に戦意は失せていた。
一族の名誉を汚し、貶め、辱めて処刑したオーボック伯爵への恨みがあった。
必死に身に付けた剣術を歯牙にも掛けられなかった悔しさがあった。
巻き込んでしまった部下達への申し訳なさ、安否を確認したいという気持ちもあった。
だが、たった一瞬の立ち会いで、全てを諦めてしまった。
敵わない。敵うはずがないと、わかってしまった。
「……伯爵には、滅多に姿を現さない恐ろしく強い部下がいると、そういう噂は聞いたことがあったが……それが、お前のことか」
「オーボック伯爵は、主要メンバーの三人と鎧の男は殺して、オメェはひっ捕えろとのことだった。だが安心するなよ、伯爵様は、本物のクズ野郎だぜ。死んだ方がいいって目に遭わされるぜ」
男はジェルマンの問いかけには答えず、興味なさげにそう口にした。
そこでジェルマンの意識は途切れた。