第二十六話 地下迷宮の主⑫
ぬいぐるみの姿が揺らぎ、布らしきものであった体表が、皮を剥いだ人間の皮膚へと変わっていく。
顔の端から端までに渡る大きな口からは、だらだらと色の濃い粘液が垂れ流されている。
その口内には、三列にも及ぶ夥しい数の歯が並んでいた。
二つの大きな目玉は飛び出ており、わずかに脈打ちながらギョロギョロと蠢く。
身体中にはいくつもの痛々しい継ぎ接ぎの痕があり、巨大な金属の棍棒を持つ手には十本の指があった。
見るもおぞましい、いや世界にこのようなものが存在していると考えるだけでおぞましい、そんな醜悪を詰め込んだかのような怪物であった。
「……やはり、あいつらを逃がしておいてよかった」
ランベールは異形の化け物を直視し、そう零した。
フィオナ達が目にすれば、その場で気が触れていたとしてもおかしくない。
放心して血塗れで倒れていたタイタンも、異形の化け物を目にして悲鳴を上げながら後退った。
「た、助けてくれ! 助けてくれぇっ!」
異形の化け物はタイタンの足を十の指で掴むと、笑いながら左右へと振るった。
タイタンの絶叫が響いたが、二回も地面に叩きつけられた頃にはそれは止んでいた。
三回目で身体の上が千切れ、やがて手には片脚だけが化け物の手に残る。
化け物はそれを振りかぶり、ランベールへと投げつけた。
ランベールは大剣の腹で軌道を逸らし、それを背後へと送る。
「やはり生身を纏う人造巨人か」
フレッシュ・ゴーレムとは、ゴーレムの素材として人間の肉体を用いたものである。
悪趣味極まりないこの造形物は、八国統一戦争の時代にも禁じられていた。
人道的観点が問題視されていたということもあるが、それよりも死体の調達に困った魔術師が悪事を働くから、といった理由が主であった。
ランベールが賢者ドーミリオネを斬ることになった一因に、ドーミリオネがフレッシュ・ゴーレムの開発を隠れて進めるために、十を超える村を潰していたことが発覚したためである。
(ダンジョンとして冒険者達に研究施設を提供することで、隠れて死体を回収し、フレッシュ・ゴーレムの素材を集めていたということか。このやり口……まさにドーミリオネ本人そのものではないか)
ランベールは悪寒を覚えつつ、フレッシュ・ゴーレムへと剣を向ける。
フレッシュ・ゴーレムは棍棒を振り乱しながらランベールへと迫ってくる。
いくらなんでも力勝負では敵わない。
ランベールは棍棒を剣の腹で滑らせ、右へ左へと落としていく。
(この動き……速い上に、なんと正確な! 一体これを造るために、何人を犠牲にしたというのか……)
間合いを取った側から、フレッシュ・ゴーレムは前傾姿勢で吠えながら距離を詰めてくる。
態勢を持ち直す一瞬の猶予もない。
ランベールは全力で横に跳んで背後に回ろうとしたが、フレッシュ・ゴーレムの大きな目玉はランベールの動きにしっかりとついてきていた。
フレッシュ・ゴーレムは半身を退きながら棍棒を構え、ランベール目掛けて振り下ろす。
(……意外だな、目がいいのか。少し、試してみるか)
ランベールは背後に身体を反らし、寸前で回避する。
棍棒が床を浸している水を大きく跳ね上げた。
と、次の瞬間、フレッシュ・ゴーレムは水飛沫の中にいるランベールを掬い上げるように棍棒を放った。
棍棒が金属塊を弾き上げ、天井端まで吹き飛ばす。
フレッシュ・ゴーレムは自らが弾き上げた金属塊を追いながら、再度棍棒を構える。
「素早く動いているものを感知することには優れているようだが、その姿形を把握する能力自体は並のようだな」
フレッシュ・ゴーレムは、飛沫に乗じて自らの額の上へと飛び移ろうとしていたランベールの発見に、ほんの一瞬遅れた。
フレッシュ・ゴーレムが目を見開く。
フレッシュ・ゴーレムが弾き上げたのはランベールではなく、ランベールの手にしていた大剣であった。
ランベールの予想通り、フレッシュ・ゴーレムは動体視力こそ高いが、視力自体はそれに追いついていなかった。
ランベールの手に武器はない。されど戦いにおいて、最善の位置を取った。
あらゆる生物の弱点である頭部へと、確実な一撃を繰り出すことができる。
ランベールは鎧の五本指を伸ばし、フレッシュ・ゴーレムの大きな目玉へと容赦のない貫手を放った。
鎧の腕はフレッシュ・ゴーレムの青緑の体液を浴びながらも眼球内部を突き進む。
ランベールは手首まで入れると拳を握り締めて引き抜いた。
「オオオオオオン!」
フレッシュ・ゴーレムは吠えながら頭を振るい、ランベールを床へと叩きつけようとする。
ランベールはフレッシュ・ゴーレムの肌を圧倒的な握力で鷲掴みにし、皮膚を握り抉りながら後頭部へと回ってそれを寸前で回避。
身体を器用に回して鎧の重みが乗った蹴りを二連続で繰り出し、フレッシュ・ゴーレムが地面に頭を打ち付けた際のダメージを上乗せした。
ランベールはそのまま後頭部を蹴りつけた反動に身を任せながら、前のめりに倒れたフレッシュ・ゴーレムが勢いよく起き上がる衝撃を利用して大きく跳び上がる。
天井に突き刺さっていた自らの武器を手にし、強引に抜き取って落下し、宙で前転して体勢を整え、着地と同時に万全の構えの姿勢を取った。
「来るがいい、継ぎ接ぎの憐れなゴーレムよ。今楽にしてやる」
フレッシュ・ゴーレムが、自らの前頭部を片手で押さえながらランベールを睨む。
そして僅かに、足の踵を擦りながら背後に退いた。
それは今まで破壊衝動のままに行動していたフレッシュ・ゴーレムが見せた、脅えであった。
フレッシュ・ゴーレムはこの瞬間、自分より遥かに小さく力でも劣るランベールに対し、恐怖を抱いたのだ。
フレッシュ・ゴーレムの残った隻眼が血走り、真っ赤に染まる。
棍棒を握る両腕にびっしりと血管が浮かび上がった。
「オオオオオオン!」
フレッシュ・ゴーレムが吠えながらランベールへと殴りかかる。
それは今までで最も速く、重い一撃であった。
フレッシュ・ゴーレムの恐怖がそうさせたのだ。
しかしそのため、今までで最も単純な一撃でもあった。
ランベールは体を横に構えて足をぴんと伸ばし、大剣をまっすぐ縦に持った。
フレッシュ・ゴーレムがランベールへと棍棒を叩きつける。
ランベールは大剣をやや斜めに反らしてその棍棒を受け止め、そのまま大剣の腹と棍棒の側面をぴったりとくっ付けたまま腰を深く落とし、正中線を軸に身を翻した。
フレッシュ・ゴーレムの放った棍棒の一撃は、そっくりそのままの威力を保ったままに胸部へと返された。
棍棒はフレッシュ・ゴーレムの胸部を深く抉りながら下に抜け、床を叩き割った。
『天地返し』と呼ばれるこの絶技は、ランベールの剣の師であり、四魔将の一角であったキホーテから授けられたものであった。
相手の放った技の威力をそのままに真逆のベクトルへと返す、まさに究極のカウンターである。
人間の身体に存在するあらゆる関節を一糸乱れぬ精度で十全に活かしきり、初めて成功する。
相手の身体をも利用する必要があるため本来は対人専用の絶技であるのだが、ランベールの戦闘センスが補い、完全な形での『天地返し』をゴーレム相手に実現させた。
ランベールは怯んだフレッシュ・ゴーレムの死角へと回り込み、図太い足へと大剣の一撃を放つ。
フレッシュ・ゴーレムが素早く棍棒を振り下ろしてくることを完全に読み切ってその場で垂直に跳び、降ろされた棍棒の上を伝って駆け抜け、フレッシュ・ゴーレムの首元を斬りつけた。
フレッシュ・ゴーレムが我武者羅にランベールへと頭突きを放つ。
ランベールは大剣を構え直してフレッシュ・ゴーレムの頭部へと突き立てながら身体を反らし、自身への衝撃を最小限に留める。
そしてフレッシュ・ゴーレムの頭部の動きが止まった一瞬の隙を突き、刺したままの大剣を一気に振り下ろし、自身の身体を宙へ押し上げる。
ランベールはフレッシュ・ゴーレムの顔のすぐ前で、大剣を大きく振り上げた。
「オオオッ!」
「はあああああっ!」
フレッシュ・ゴーレムの頭部へと大剣が叩き付けられる。
フレッシュ・ゴーレムの残っていた目玉が、その衝撃で飛び出した。
頭が割れ、中からピンクの肉塊が溢れ出てくる。
フレッシュ・ゴーレムはその場に膝を突き、うつ伏せに倒れた。
「……せめて、安らかに眠れ」
ランベールはあまりに痛ましいフレッシュ・ゴーレムの姿を眺めながら、小さくそう零した。
ぱちぱち、ぱちぱち。
大部屋に小さな拍手が響いた。
それと同時に、フレッシュ・ゴーレムの放っていた臭いよりも更に濃い、甘ったるい悪臭が漂う。
音の方向へとランベールが目を向ければ、フレッシュ・ゴーレムの空けた大穴の残骸の上に、一人の少女が立っていた。
黒い長髪に、丸い大きな目。
整った顔立ちであるものの、見る者の心を落ち着かせない、異様な雰囲気を放っていた。
「ランベール君、ああ、ランベール君じゃないか! まさか、キミとまたこうして顔を合わせることができるなんて、思ってもみなかったよ。いや、長生きはしてみるものだね」
少女はランベールのすべてを受け入れるかのように手を大きく前に差し出し、口許に笑みを湛えていた。
ただ、その目は作り物のように一切の変化をしない。
「そう怖い顔はしないでおくれよ。過去のことは水に流そうじゃないか。ボクは別にね、キミのことは嫌いじゃないよ。むしろ、愛していたと言っても過言ではないほどさ」
「……化け物だとはわかっていたが、身体を真っ二つにしても死なないとはな」
「まさか、死後発動の術式だよ。一度は確かに、キミに心臓もろとも上半身を斬り飛ばされて死んださ。まったく、手荒いことをする。ああ、あのときは痛かったなぁ」
少女は恍惚とそう語りながら、ぺろりとピンクの小さな舌を伸ばす。
それからくすりと口許だけで笑みを表現し、続ける。
「でも建物の崩壊で、それ以上ボクの身体を確認する猶予はなかっただろう?」
賢者ドーミリオネ。
ランベールの記憶の中にある姿、そのものであった。
ドーミリオネは当時から自身の身体を弄っており、歳を一切取らない身体であった。
そのため本当は何歳で、どこの地の出身なのか、それを知る者は誰もいない。
ドーミリオネが堂々と禁忌とされてきた魔術を繰り返し行使しながらも、それでもレギオス王国が前王の代からドーミリオネを罰することができなかったのは、他の追随を許さぬ圧倒的な魔導研究の功績と、本人自身の戦闘能力に寄るところが大きい。
最終的にはランベールが直接手を下したはずであったが、ドーミリオネはそれさえも掻い潜り、地下迷宮の奥底で密かに冒険者達を攫い、研究を続けていたのだ。




