第二話 アンデッドナイト②
暗いじめじめとした谷底を、二人の男が歩いていた。
一人は紺色のローブを深く被り、目元まで覆い隠していた。
身長は子供ほどではあるが、時折覗く真紅の眼に子供らしさはなかった。
背には、自分の背丈ほどの大きさの棺を担いでいた。
もう一人は頭の禿げあがった、陰気な目つきをした老人であった。
二人は禁忌魔術(国より制限や禁止が課されている魔術の総称)の研究を行う組織、『笛吹き悪魔』の人間であった。
『笛吹き悪魔』は、優秀だが道を踏み外した魔術師により構成されている。
彼らは殺人や人体実験、反宗教的魔術の行使に一切躊躇いを持たないことで知られていた。
国からも危険視されているが、神出鬼没で実態はほとんど把握されておらず、野放しにされているのが現状であった。
ローブの子供は名をマニガという。
人の身体を癒す白魔術の名門一家の生まれではあったが、今は一族を裏切って『笛吹き悪魔』に入り、死人を操る魔術、死操術の研究を進めていた。
老人は名をブルイグという。
同じく『笛吹き悪魔』の人間であり、マニガの付き添いで谷底へとやってきたのだ。
若い頃はマナの溜まり場から生まれる魔物を討伐して回っており、優秀で善良な魔術師として知られていた。
しかしそれは仮の姿でしかなかった。
ブルイグは年老いたとき、死ぬ前に魔術の奥底を探求したいという欲求に負けて『笛吹き悪魔』へと入ったのだ。
「確かに、マナの流れを感じるの。ここならば目にもつきにくいじゃろうし、人が消えても疑問にも思われん。通りかかった奴を攫えば、材料も揃う。ワシらの仕業とは思わぬだろうて」
ブルイグが崖壁を眺めながらにんまりと笑い、舌なめずりをした。
マニガはブルイグを置いて、速足で先へと進む。
ブルイグは慌ててその後を追いかけた。
やがてマニガは足を止め、骸骨の前でしゃがみ込む。
骸骨は大きな鎧に身を包んでおり、手には剣が握られていた。
傍らには鎧兜が落ちている。
「マニガよ、何をそう急いでおるのじゃ」
「……この骸骨、まだマナが宿っている」
「なんじゃと?」
ブルイグもマニガの横へと立ち、骸骨へと目を向ける。
骨に汚れはほとんどない。
強いマナが骨に宿り、劣化を妨げている証拠である。
マナとは、万物に宿る神聖な力のことであり、魂の一部とも定義されることがある。
生物の死後、通常マナは肉体から外側に向かい、空気中へと分散する。
しかし生に未練が残っている場合、マナの一部が肉体の内側に向かい、骨へと移動することがある。
正しい手順で葬儀を行えば骨に宿ったマナが抜け切るが、この骨が長らく放置されていたことは見るからに明らかであった。
「しかしこんな鎧……見たことがないぞ。おまけに、大昔に主流であったとされておる、フルプレートタイプではないか。そう百年もマナが持つものか?」
「……ここはマナの溜まり場になっているから、多少は劣化も抑えられやすいのかもしれません。それに、大きな未練を持っているようだ。これはいいアンデッドになりそうです」
マニガは背負っていた棺桶を下ろし、蓋を開ける。
中には魔術の媒体、魔導書や薬品が敷き詰められていた。
「では、マニガの死操術を見せてもらうとしようかの」
ブルイグは近くの石に腰を添え、手にしていたカンテラを地面へと置く。
マニガは棺から金属製の棒と赤黒い液体の入った缶を取り出し、鎧骸骨を囲むように地面に大きな円を描いた。
次に瓶を取り出し、中の粉を鎧骸骨へと散らす。
この粉は、複数の魔物を砕いて混ぜて作ったものである。
マニガは鎧骸骨をもう少し円の中央に動かそうかと手を触れ、その重さに顔を顰めた。
「この鎧……魔金ですね」
魔金は重く、マニガにはまともに引きずることもできなかった。
「魔金で鎧を作るなど、馬鹿げておるな。そんなものを装備してまともに動けるはずがあるまい。大方、昔の成金貴族の馬鹿が作ったのであろう」
「しかし、魔金の全身鎧は、レギオス王国が八国統一戦争で用いていた記録があると……」
「それは祭儀か何かの飾りに使っておったのじゃろう。実際に人が着ていたわけがあるまい。馬鹿な歴史家が、面白がってそうほざいているに過ぎんわ」
「……なるほど、言われてみればそうなのかもしれませんね」
マニガは杖を鎧骸骨へと向けた。
頭で魔術式を構築し、マナの力でそれを宙へと転写する。
鎧骸骨の上に、光る魔術式が浮かび上がった。
「亡者よ、我に従え!」
マニガの叫び声と共に鎧骸骨の眼孔の奥に、真紅の光が灯った。
それから身体の全体がガタガタと震え出した。
「これで従順な屍騎士の完成です」
「ふむ……さすが、名門白魔術の一族の末裔であるだけのことはあるわい。その歳で、恐ろしいまでの腕じゃの。マニガ殿とは、楽しい事件を起こせそうじゃ」
「家を引き合いに出されるのは嫌いですが、ブルイグさんに褒めていただけたのは光栄ですよ……ん?」
鎧骸骨はゆっくりと起き上がった。
それを見てマニガは驚いた。
今回のアンデッドは宿っていたマナを活かす方面で作成したため、能力は生前の力がベースとなる。
マニガは人間が魔金鎧を着て動けるはずなどないと、そう考えていたのだ。
だから、まずはどうやって魔金の鎧を脱がせるかと考えていたのだが、まさかそのままあっさりと立ち上がるとは思ってもみなかった。
「……その剣で、宙を斬ってみせろ」
マニガが命じると鎧骸骨はゆっくりと頷き、剣を振るった。
巨大な剣が凄まじい速さで空間を蹂躙する。
ただの一振りで暴風が巻きおこり、マニガは耐えられずその場に尻餅をついた。
フードが外れ、邪悪さに似合わぬ童顔が露になる。
「な、なんという力だ。お、おいマニガ殿、大丈夫か?」
ブルイグが声を掛けたとき、マニガは口端を吊り上げて笑っていた。
「いい……凄い! このアンデッドは、只者じゃありません! こいつさえいれば、もうレギオス王国の監視の目を怖がることだってないかもしれない!」
マニガは興奮のあまり、唾を飛ばしながら叫んだ。
「ほほう、それは頼もしいのお。この地脈のマナが、骸骨のマナを強化しておったのかもしれんの」
「他にもいい死体があるかもしれません! ブルイグさん……他の地方にいる『笛吹き悪魔』にも呼び掛けて、本格的に戦力を集めましょう! そして、まずはリーヴェルの街を落としてやるんです!」
「確かに……こんなに力強いアンデットがあっさりと出来上がるとはな。死操術の研究に力を入れるよう、上に進言してみるかの」
ブルイグは鎧骸骨をまじまじと眺めながら、にやりと笑った。
「そうです! そうしましょう! そしてゆくゆくは、この国の国民をみいぃんな、アンデッドへと変えてやるのです! 『笛吹き悪魔』の素晴らしさを理解できない愚かなレギオス王国を滅ぼし、死後も永遠に我らの奴隷にしてやりましょう!」
「ふぉっふぉっ、それは素晴らしいのう」
二人が笑いながら話していると、鎧骸骨の身体がピクリと震えた。
「オ、オォオオ……レギオス、オウコク……?」
ブルイグが笑いを止め、骸骨鎧を見た。
「……おい、こいつ、自我が残っていないか?」
「まさか、言葉をたまたま拾っただけでしょう。生前の未練が強ければ、記憶に沿った言葉に簡単な反応を示すケースは充分に考えられます。しかし、それだけでしょう。かなり昔に死んだ骸のようですし、マナが残っているだけでも奇跡なんです。自我など残っているはずが……」
「レギオスオウコク……レギオス王国ヲ、滅ぼサせは、セン。レギオス王国は、西部統一を成し遂げるノだ……」
鎧骸骨が、剣を横薙ぎに振るった。
「……え?」
マニガはブルイグに向けていた目線を鎧骸骨へと向け直し、驚愕の声を洩らす。
凄まじい轟音を立て、辺りに風が靡く。
ブルイグは少し離れたところにいたにも拘わらず、風に揉まれて弾き飛ばされ、背を壁に叩き付けた。
先ほどの試し斬りさせた一撃は、ただ軽く振るっただけであって本気ではなかったのだとブルイグは悟った。
ブルイグは咳き込みながら起き上がり、目に入った土埃を袖で拭う。
「ば、馬鹿な……やはり、古い死体ではなかったのか! ネクロマンサーに反逆するほど意思が残っているとは! おい、マニガ殿! どうにかせんか!」
そう叫んだブルイグの傍らに、マニガの上半身が落ちてきた。
「……おん?」
すでに死んでいることは、一目見て明らかである。
「オ、お、オレは、ナゼ生きテいる……。あ、アあ、あ……」
鎧骸骨が、ゆっくりとブルイグへと顔を向ける。
「ちっ、地よ、沼となれ!」
ブルイグは素早く杖を振り下ろし、地面を叩いた。
魔法陣が浮かび上がり、鎧骸骨の足許が沈んだ。
「おお……?」
鎧骸骨の身体が、地面の中へと沈んでいく。
「地よ、固まれ!」
続けて魔術を行使する。
鎧骸骨の半身を地中に埋めたまま、地面が固まっていく。
「地よ、岩石となれ!」
鎧骸骨の半身へと土が集まっていき、身体を覆い尽くしていった。
すぐに土は質感を変え、あっという間にごつごつとした岩塊ができあがった。
ブルイグは安堵の息を洩らしながら、膝を地面に付いた。
「はぁ……はぁ……どうやら、自我を取り戻しつつある内に、錯乱状態に陥ったようじゃな。まったく恐ろしい奴だった。ちっ……マニガ殿め、しくじりおったな……」
その後ブルイグは吐き気を感じ、喉元を押さえた。
「うう……少し、過剰に反応し過ぎたかもしれんの……」
物質の形状を瞬時に変える魔術は、相応のマナを対価として要する。
息をつく間もなく連続すれば、ブルイグ程の魔術師でも負担が大きかった。
通常、このレベルの魔術はもう少し一度の行使に時間が掛かるものなのだ。
この程度の反動で済んでいるのは、ブルイグだからこそだといえよう。
次の瞬間、岩が砕け散って中から鎧骸骨が姿を見せた。
鎧骸骨は強引に岩の拘束から逃れて宙を舞い、大きな音を立てて着地した。
「なっ……! ば、馬鹿な!」
ブルイグは声を荒げながら後退った。
「火よ、奴を焼き払え!」
ブルイグが頭を片手で押さえながら鎧骸骨へと杖を向ける。
炎が杖先に現れ、球状へと形を変えてから鎧骸骨へと飛んでいった。
「うおおおおっ!」
鎧骸骨が剣を振るうと炎は掻き消された。
ブルイグは目を閉じながら必死に身を屈めて踏ん張り、剣の風圧による暴風に弾かれまいと堪え抜いた。
「なんと、出鱈目な……アンデッドの分際で!」
剣の風圧が収まってから薄目を開けたとき、ブルイグの目の前に鎧骸骨が立っていた。
大きく剣を振り上げている。
「なっ!?」
次の瞬間、ブルイグは剣に叩き斬られて真っ二つになった。
風圧に後押しされ、身体が左右に勢いよく倒れた。