十日目 迷いは疑問を生む
授業が終わり、十分間という短い休息の時間となった。
最初は教室でのんびりしようと思っていた竜也だが、授業前に乱入してきた東真と彩花のことを思い出し、すぐさま教室から離れた。
どうしようかと悩んでいると、近くから三人の女子の声が聞こえてきた。
竜也はそのうちの一人の声は聞き覚えがあり、壁に隠れるようにしてそっと覗き見をした。
「……げ」
案の定、生徒会役員の一人――月宮薫女子二人と駄弁っており、竜也は思わず声を洩らしてしまった。
「うっわー、どうしよう……まさか会っちゃうとはな……」
「誰と会っちゃったんですか?」
「そりゃあ、薫先輩に決まって……って、うわあっ!?」
いきなり聞こえてきた声に驚くも、再び聞き覚えのある声であるため竜也は硬直した。その一瞬に腕を掴まれて逃げられなくなる。
竜也はゆっくりと顔を後ろに向け、満面の笑みを浮かべている人物に声をかける。
「…………お久しぶりです、風真先輩」
「ええ、お久しぶりです」
そう言って更に笑みを浮かべた風真を見て終わったなと、竜也はそう思った。
「…………それで、話って何ですか?」
「まあまあ、とりあえず座ったらどうですか?」
「はあ……それじゃあ、失礼します」
生徒会室に連れてこられた竜也は、風真に促されて近くの椅子に座った。
早く帰りたいのか落ち着きのない竜也を風真は一瞥し、目を瞑りながら口を開いた。
「貴方は今、生徒会室の椅子に座っています。理由は役員だから」
「は……?」
「貴方の周りには、僕を含める生徒会役員が全員居るとします」
「ちょ」
「さて、ここで質問です」
――貴方はこの待遇を、どう感じますか?
生徒会室に、静寂が訪れる。
竜也は呆然としながら風真を見て、風真はその視線をしっかりと交えた。
そしてその視線を逸らさずに受け止めた竜也は溜め息をつき、しっかりと風真を見据えて言った。
「……もし俺がその待遇であったならば、場違いだと思うでしょうね」
「場違い……ですか」
「だって、俺みたいな平凡男子が、皆の憧れの生徒会に入るなんて……普通、そう思いません?」
「確かにそうかもしれませんが……それは『普通なら』という仮定だからでしょう? では、何か理由があったなら、どうですか? どんなに平凡でも、生徒会に入らなければいけない理由があったなら……どうですか?」
「理由が、あったら……ですか」
竜也はそう言うと、顎に手を当てて考え込む。風真はその間、一秒たりとも竜也から目を離さなかった。
しばらくして考えがまとまったのか、竜也は顔をあげて口を開いた。
「あり得ないと思いますけどね、そんなこと」
「どうして、そう思うんですか?」
「だって、そんな理由で平凡生徒を生徒会に入れるなんて。もしそんな理由で入れたというのなら――」
その瞬間、風真はとてつもない恐怖に襲われた。
竜也の言葉の続きを聞きたいはずなのに、何故か直感的に聞いてはいけないと警告されている気がするのだ。
風真は一旦竜也に黙るよう言おうとしたが、その前に竜也が口を開いてしまった。
「――――生徒会は、馬鹿の集まりじゃないですか」
直後、風真は竜也の胸ぐらを掴んで壁にぶつけた。その時、竜也の口から小さく悲鳴が聞こえた。
しかしそんな竜也の状態に気づかない風真は、野生のような目で竜也を見据える。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! 何がわかる! お前なんかに……何がわかるんだよっ!」
「がはっ……! せ、ぱ……くる、し……っ!」
呼吸が上手く出来なくなってしまった竜也は必死に風真へと呼び掛けるが、風真は気にせずに更に強く握った。
風真は思い出してしまったのだ。自分の過去、憎悪にまみれた皮肉な過去を。
「や、めて……くだっ、さ……!」
「……っ、黙れええええええっ!」
殺す勢いで風真は手を滑らせて竜也の首を掴む。そのせいで竜也は更に苦しんだ。
そして竜也が体に力を入れることが出来ずに、意識を手放そうと風真の腕から手を離した、その時だった。
『このっ、人殺し……!』
ある情景が、言葉が、風真の頭に浮かんだ。
「――――」
風真は息を呑んで目を見開くと、自分が今竜也にしていることを見て慌てて手を離した。
床へと落とされた竜也は首を撫でるように押さえながら、空気を求めて咳き込んだり肩で息をしたりする。
そんな竜也を見て風真は驚愕し、そして、とてつもない自己嫌悪に襲われた。
「あ、ああ……僕は、僕は……っ!」
「…………すみません、でした。失礼します」
竜也は風真が自己嫌悪しているのを見て、小さく謝った。そしてそのまま生徒会室を去ろうと踵を返す。
それを見て風真は慌てて竜也を引き留めようと口を開くが、その口からは何も発せられなかった。
――僕は彼に、どうして声をかけたいんだ?
何かを言わなければ、確かに風真はそう思った。ただ、そこから何を言えばいいのかがわからないのだ。
それこそが、風真の中にある『迷い』だった。そしてその『迷い』は、風真の中で『疑問』へと変わってしまった。
声をかけなければならない。そう思っても何と言えばいいのか、そしてその理由がわからないのだ。
そう考えているうちに竜也は生徒会室から出ていった。無情にも、扉は大きな音をたてて閉じられる。
「…………僕は一体、どうしたいんだ……?」
風真は生徒会室の中で、呆然と立ち尽くしていた。
二人が来る前から生徒会室に居た東真は、二人の会話を聞いて溜め息をついた。
――こりゃ、風真は当てにならないかもな。
東真は最初、生徒会役員の誰かが来たら率直に竜也の件について話し合うつもりだった。
そのために竜也の教室へと行かず、わざわざ生徒会室で暇を弄んでいた。
しかし竜也も一緒という理由で隠れてしまった東真は、こうして盗み聞きのようになってしまったのだ。
――ま、人それぞれだし……仕方ない、か。
そう思った東真は深呼吸をし、わざと音をたてながら風真の前に現れた。
風真は突然どこからか現れた東真を見て、目を見開いて声を洩らした。
「え……東真? どうして、ここに居るんですか?」
「あーっと……それは気にすんな。で、お前は竜也に何て答えてほしかったんだ?」
「東真っ、聞いて……!」
言葉を濁してから単刀直入に聞いてきた東真の質問を聞いて風真は驚きの声を出すが、すぐに顔を俯かせた。
「……わかり、ません」
「わからない? 何か意図があったから、あの質問をしたんじゃなかったのか?」
「そう……かも、しれません。でも、今の僕には、何をどうしたいのかすらわからない……!」
「……ふーん?」
そう叫んでその場にしゃがみこむ風真を見て、東真は低い声色でそう呟いた。
わからない。それは仕方ないと東真は思っている。むしろ、簡単に決めた自分や彩花の方がおかしいのではと思うくらいだ。
でも、東真は風真が竜也にしたことに少しでも苛ついていた。だからこそ、すぐに忘れるほど軽い意図だったのに、竜也を殺そうとしたことに苛ついたのだ。
東真は呆れた目で風真を一瞥してから、横を通り過ぎて生徒会室から出ようと扉に手を近づける。
「風真、無理すんなよ。後は俺か誰かに任せればいい」
そう言ってから、東真は出ていった。
そして再び生徒会室に取り残された風真は、手を握りしめて下唇を血が出ない程度に強く噛んだ。
――任せろ、だって? ふざけるな。
「僕がそういうことするの、大嫌いだって知ってるくせに……っ!」
風真はそう叫ぶと、隠し持っていたカッターナイフを取り出した。そして刃を出す。
何かを切ったような音が、生徒会室に響き渡った。