野外実習の準備
それは夏休みが始まる前のことだった。
魔法学校の職員室。
真ん中付近。
机の上にはほとんど何もない。
薄いハードカバーの名簿と一冊のノート、それに挟まれた鉛筆。
スマティルクは野外実習の名簿を眺めながら、あごに指を当てて考えを巡らせていた。
夏の野外実習――
もう何十年もその試験官を務めている。
毎年同じ場所、同じメニュー、変わり映えのない生徒たち……。
それではつまらない。
そこでセノを誘ってみたのだが、"ある理由"で断られてしまったのだ。
スマティルクは一人、遠い目をしていた。
◇◇◇
夜。
ヴァレンタリアは自室で寝る準備をしていた。
枕元には二つの荷物が並ぶ。
それを見つめながら、目尻を小刻みに震わせていた。
明日から夏休み。
ヴァレンタリアは新任教官。
魔法学校に行く必要はほとんどない。
それで二週間、一人で旅行することにしていた。
コンッ、コンッ
「お嬢さま。夜分、失礼します」
「はい」
扉の近くに寄る。耳を近づける。
「先生がいらしています」
「……魔法学校の?」
「そうです」
「……わかりました。すぐに行きます」
(こんな時間に誰だろう……)
早足で部屋を出た。
~~
客間の入り口。
すでに扉は開いていた。
ヴァレンタリアは顔を横にして、そっと覗いてみる。
真っ白な後頭部――
心当たりがない……。
「夜分遅くに申し訳ない」
その人はこちらを見ることもなく、口を開いた。
「セノくん。来週、魔法の基礎訓練がありますよね?」
「セノくん?」
その言葉に警戒心が一気に薄れた。対面に歩みを進める。
腰掛け、顔を上げる。
それは全く見覚えのない顔だった。
キレイな白髪。眉は灰色。年は四十を超えているだろうか。肌には艶がある。
まっすぐな視線。ベテラン教官という雰囲気を醸し出していた。
「訓練を後ろにずらすことはできませんか?」
「えっ……」
ヴァレンタリアは少し混乱していた。
何も答えられない時間が続く。
それでもベテラン教官は表情を変えることなく、十分に間を取っている。
「実はセノくんを高等科の野外実習に参加させたいのです」
「え”っ……」
ヴァレンタリアはベテラン教官の目を見たまま固まる。次の言葉が出てくるまで少し時間がかかった。
「それは危ないのでは?」
ベテラン教官はすぐに答える。
「大丈夫です。片時も離れませんから」
「あの子は片時も油断できませんよ。本当に大丈夫ですか?」
ベテラン教官が初めて目線を外す。わずかに笑みを浮かべ、話し始める。
「もしよろしければ、私の方でもできますよ。訓練……」
「前の学長には許可は……?」
「取ってません。しかし、問題ありません」
ベテラン教官はきっぱりと言い切った。
ヴァレンタリアは申し訳なさそうに口にする。
「前の学長に頼まれて、セノくんに訓練をしていますので……」
「もし何か言われたら、ベテラン教官が強引に連れて行ったとでも言ってください」
そう言うとベテラン教官は立ち上がった。
その口元が緩んでいるように見える。すぐに出口に向かう。
あわてて呼び止める。
「あの!」
ベテラン教官が足を止める。
ヴァレンタリアは続ける。
「訓練……。毎日でも構いませんよ」
ベテラン教官が振り返る。
その口元はわずかに引きつっている。
「そうですか……。わかりました」
その声はあくまで紳士的だ。
「では野外実習の間は私が責任をもってセノくんの訓練に付き合いますね」
「よろしくお願いします」
ベテラン教官は部屋の入り口で一礼した。
「夜分失礼しました。よい旅を」
それを聞いたヴァレンタリアは固まった。
ベテラン教官の姿が消えても、見つめたままだった。
急いで後を追った。




