狙い
部屋には私とフェリクスとアダム先生が残された。外の喧騒がどこか遠い場所の出来事に思えるほどの隔絶感が辺りに漂っている。
ぼんやりと閉められたドアを眺める私に、フェリクスが背後から声をかけてきた。
「ヒマリ様、あまり心配なさらないでください。たとえ王宮からの使者が貴女様を呼び戻すものだったとしても、貴女様は拒否することができます。この国で、聖女様の立場は王族と同等。いわば国王陛下に声を上げられる唯一のお立場でもあります。それにもし聖女様の安全が心身ともに脅かされる事態となれば、聖力も費えてしまうと言われています。そうなって困るのは大陸の民である我々です。ですからヒマリ様の意に染まぬことは為されるはずが……」
「通常の事態であればそうでしょうね。ですが今回の聖女召喚は予定外の出来事。結界の維持も、魔物と対峙する魔道士たちへの支援も喫緊の業務ではありません。聖女信仰を軽視しているガンナ帝国出身のマテラ王妃陣営が、はたしてどこまで聖女様の身と心を守ろうとするのか———。自身の保身と野心のために、必要性の薄い聖女様を無理矢理傅かせることは十分ありえますがね」
「アダム先生……っ」
「耳障りのよい情報だけを与えるなと先ほども言ったでしょう。あなたもレスリー様も、すべての面においてまだまだ甘すぎる。若さゆえのことと見逃せる時期はもう終わりました。聖女様も含めて、現実を見て思考する強かさを持ちなさい」
何ものにも忖度しないアダム先生の言葉は心を抉るものも多いが、置かれた現実を見極めるには必要なものなのだと、短い時間で学んでいた。
聖女が守られるべき存在であるなら、本来私が「嫌だ」と言えばすべて断ることができるはずだ。聖力が私の、特に精神面の安定に影響されることは身をもって知っている。そうやって聖女が無理矢理働かされないよう気遣われてきたのが今までの話。
だが今現在、聖女の力はそれほど求められていない。ならば私が不当な扱いを受けたところで、もっと言えば聖力を失ったところで、誰も困らない。
生粋のカーマイン聖王国の民ならともかく、聖女信仰が薄れつつあるガンナ帝国で生まれ育ったマテラ王妃なら、私を意のままに操ってもよいと考える可能性は十分あった。それが今回の王城からの使者の派遣につながっていると見ることができる。
加えて今回のクーデターはただの隣国の話というだけでなく、レスリーたちが大きく関わっていることなのだと、さすがの私も察していた。
「いったいガンナ帝国で何が起きているんですか? それとレスリーはどういう関係があるんですか?」
答えを聞いても、私にできることなど何もないのだろう。知る権利があるのかどうかもわからない。それでも聞いておきたかった。いつまでも蚊帳の外に置かれるのが辛かった。
私の問いにフェリクスは沈黙したが、アダム先生はすんなり口を開いた。
「レスリー様はザイラス皇子と通じています。仲介したのは私です。私の母はイカロル地方の出身でした。その縁であちらに伝手があったのですよ。協力者はここにいるウェリントン副魔道士様と、ほかにも数名ですね」
隣国のものと思っていた事件と身近な存在が、その説明で結びつく。だがその情報にどう反応してよいのか惑う私に、アダム先生はさらなる衝撃を与えた。
「レスリー様はマテラ王妃とハーラン王太子を引き摺り下ろし、ご自身が王位を継ごうと画策されています」
「そんな……っ。なんで……」
「なんで? 事情はいろいろありますが、一番の理由は……」
アダム先生が言い終わらぬうちに、バタバタと激しい足音が近づき、部屋の扉が力強く叩かれた。
「申し上げます! 王城からの使者が峠の先に見えました! しかしながらこちらに向かってはおりません。行き先はフィラデルフィア女子修道院のようです!」
「修道院だと? なぜ……っ」
フェリクスが焦ったように声をあげれば、虚をつかれたアダム先生が一拍の後に「そっちか!」と叫んで頭を抱えた。
「うわぁ! まさか王妃がそこまで馬鹿だったとは思ってもみなかった! 馬鹿の親はやっぱり馬鹿っていうか、え、でも、なんで? 聖女じゃなくてそっちにこだわる理由ってある?」
独り言のようにぶつぶつと唱えるアダム先生に、フェリクスがどういうことかと問い詰めた矢先、部屋にもうひとり分の怒号が飛び込んできた。
「アダム先生! 読みが違うじゃないの!」
「いや、私悪くないですよ? 相手が小物すぎたんですって! それに王旗を掲げてまでやってくるんですよ? 聖女を迎えにくるって当然思うじゃないですか!」
「じゃあなんで修道院に向かってるのよ! ほんっとにあなたは口先だけね!」
怒り心頭で戻ってきたのはレスリーだった。言い訳のように自身の正当性を主張するアダム先生に詰め寄りながら、彼女は信じられない一言を吐いた。
「王妃の狙いはヒマリじゃない。クロエさんよ!」




