衝突
「王妃の狙いはヒマリじゃない。クロエさんよ!」
その一言で、奥にいたはずのフェリクスが一瞬で部屋の入り口まで駆けた。
「フェリクス、どこに行くつもり?」
レスリーが振り向きざま彼を制する。腰の剣に手をかけたフェリクスがはっと立ち止まり、青い顔でこちらを振り返った。
「あなたはヒマリの護衛としてここにいる。そうよね」
「……しかしっ」
「あなたにあれを止める権限があるの? わたくしにもないのに? それに、あなたは何もしてこなかった。だからクロエさんは今あそこにいるのよね?」
二人の視線が鋭い刃のように交わる。ついさっきまで仲睦まじく談笑していたとは思えぬほどの厳しさに、割って入るのを迷った。だが聞こえたのがクロエの名である限り、恐れている場合でも遠慮している場合でもなかった。
「どういうこと? なぜクロエの名前が出てくるの?」
元公爵令嬢である彼女だが、すでに出家し修道女となっている。なぜ王城からわざわざ使者がやってくるのか。
重い沈黙を破って答えてくれたのは、やはりアダム先生だった。
「マテラ王妃はおそらく、クロエ・ヨーク公爵令嬢をハーラン王太子の妃に据えたいのでしょう。ヨーク公爵家のご令嬢の血を取り込むことで、王家のスペアでもある彼女のご兄弟を牽制し、息子ともどもこの国での地固めをする。以前描いていた地図に戻したいのです」
「でも、クロエは出家してるのよね」
「やりようはいかようにもあります。還俗させるとかね。王国の法では禁止されていますが、そこは王命とやらでどうにでもできると踏んだのでしょう。……いやはや、我々はてっきり聖女様を取り込んで大陸五カ国を味方につけ、ガンナ帝国の主権をも得ようと画策するのではと思っていましたが……思っていた以上に小物でしたね。カーマイン聖王国での王妃の座と息子の次期国王の座のみで満足のようです」
「安心している場合じゃないでしょう」
呆れたようにレスリーが呟くも、フェリクスが剣の束を握る手を緩めることはなかった。私も混乱しながらレスリーに詰め寄った。
「そんな、クロエが、ハーラン王太子と結婚させられるの? そんなの嫌だ……。ねぇレスリー、なんとかならないの? 王城からの使者を追い返すことはできない?」
「……難しいわね。修道院は王家といえども不可侵。その理由で持ってカミーラ院長が突っぱねてくれれば、あるいはだけど」
「このお屋敷みたいに、修道院には近衛の女性騎士たちがいるよね? 彼女たちがクロエを守ってくれるんじゃ……」
「王城からの使者も近衛隊で結成されているから、修道院に派兵されている彼女たちにとっては上司に当たるわ。上の命令である以上、修道院の女性騎士たちがクロエを守ってくれるとは、残念だけど思いにくい」
冷静に状況を説明されても、納得することができなかった。
「そんな……誰もクロエを助けてくれないの? ねぇレスリー、フェリクスも、私のことはいいからクロエのところに行ってよ! 彼女が王城に戻らなくてすむように、もうあの人たちに利用されないように、クロエを助けて……お願い!」
「わたくしだってそうしたいわ……でも、権限が」
「私のところに来るのは止めようとしてたよね? なのになんでクロエのところは止められないの?」
「ヒマリは聖女で、ヒマリ自身の意見も尊重されるから。それに魔塔もついている。聖女と魔塔と、ヒマリを預かっている王家の血を引くわたくしと三者で臨めば、王旗を掲げた使者であっても交渉の余地があったの。でもクロエさんの場合はそれがない」
「じゃあ私が対応したら……! 王城の使者も私の言うことなら聞いてくれるかもしれないのね。それなら私が行くよ」
言いながら外を目指そうと動いた私の腕を、レスリーが咄嗟に握った。
「ヒマリ! ダメに決まってるでしょ! 使節団の長を務める近衛のカーサ第三師団長は王妃派の筆頭よ。カーマイン聖王国民ではあっても聖女に対して良い印象を持っていないかもしれない。最悪あなたまで拉致されるか、怪我をさせられる可能性だってあるわ!」
「それでも! クロエが攫われようとしているのを見てなんかいられない! レスリーが止めても、私、行くから」
「ダメよ。許可できない」
掴んだ手に力を込められそうになって、思わず強く振り払った。
「なんでレスリーの許可がいるの? レスリー言ってたよね? ヒマリは自由だって、どこにでも行けるって。だったら私は……ここを出て修道院に戻ります。レスリーはフェリクスと2人でザイラス皇子の手助けをしてればいいわ!」
「ヒマリ!」
喉枯れがなかなか治らないレスリーの声が、ガラスを引っ掻くような鈍い音を出した。ずっと体調が悪いままの彼女に申し訳ないと思ったが、飛び出した言葉はなかったことにはできない。
レスリーがフェリクスに恋をしていることを、微笑ましいと思おうと努力した。彼女が本来の身分を取り戻し、彼の隣に並び立って幸せになろうとするのを応援したいと思った。だが、同じ屋敷で暮らすようになって、私の知らないところでフェリクスと顔を突き合わせて訓練を重ねる様子を見聞きするたびに、彼女に置いていかれる寂しさに胸が痛んだ。それでもレスリーは私の親友だから、彼女もそう思ってくれているのだからと、自分を慰めていた。
フェリクスは世間一般的に見てとても魅力的な男性だ。レスリーが今後王家の一員として復帰するために、彼という存在は大いに役立つだろう。その一方で私は、聖女の肩書きはあるものの、彼女の立場を確固たるものにするだけの力は持たない。フェリクスと違って、私は彼女の役に立てない。
だから置いていかれるのは仕方ないこと。もとより住む世界が違う人。アダム先生が言ったように、レスリーが王妃とハーラン王太子を廃して自分が王位を継ぐなら、その道を一緒に作っていくのはフェリクスだ。私はそれを見守ることしかできない。
ぼろぼろと溢れる涙に気づいて、思わず腕でごしごしと拭った。レスリーはこんなときでも泣いたりしない。私だけが惨めに、彼女に捨てられそうだと泣いている。この状況が私たちが置かれた差を明らかにしているようで、変な笑いが込み上げてきた。
だが、ごまかすように笑っている場合ではない。こうしている間にも王城からの使者は修道院に向かっている。
レスリーの顔を見ることが辛くて、無言のまま目も合わさず外を目指そうと踏み出せば、彼女が再び私の名を呼んだ。
「ヒマリ、待って。わかったから。わたくしが今からクロエさんを助けにいく」
「え?」
「だから、ヒマリはここで待っていてほしい。どうか……お願い」
振り向いたものの、俯いているレスリーの表情はよくわからなかった。切り揃えられていたはずの前髪が自重で重く垂れて、彼女の顔に影を作っていた。彼女は扉付近にいたフェリクスにも声をかけ、自分に着いてくるよう指示した。
「わたくしとフェリクスで行って交渉してくるから。ヒマリはここにいてほしい」
再度かけられた言葉に頷く前に、レスリーは歩き出した。無表情のフェリクスが黙礼し、二人は部屋を出ていった。




