09. 一度だけ、呼んで
一度えみりが経験済みといっても、私にとっては初めての交わり。
身体だって慣れてなんているはずもなく、まだまだ初めてと変わらない。
ルドヴィク様はとても気遣って下さって、そうして私の身体はゆっくりと開かれて行く。
少しずつ、少しずつ。けれどルドヴィク様を必死に受け入れて。
あまりの圧迫感に、必死に息を継いでいた私の、いつの間にかきつく枕を握りしめていた手を解かれて指を絡められる。
苦しくはあるけれど、痛みとは違って。
「――大丈夫か」
心配そうなお顔で覗き込まれて、だから私は絡められている指にきゅっと力を込めた。
「はい……ルドヴィク様……」
小さく笑んだ私にルドヴィク様はほっとなさったようなお顔をなさって、そして私の肩口に顔を埋めた。
「いなく、なるなよ」
「……え?」
小さな小さな呟きの意味を理解する前に、ルドヴィク様は一度私の瞼に口付けると、動くぞ、と掠れた声で仰った。
「ルド……ルドヴィクさま……っ」
「エミーリア」
指を絡めたままきつく手を握って、ルドヴィク様が私の名を呼ぶ。
どこか必死な様子のルドヴィク様に、私はやっと、先程の呟きの意味を理解した。
「ルドヴィクさま……私、どこにも、いきません……ずっと……ずっと、おそば、に……っ」
「エミーリア……エミーリアっ」
苦しいほどの気持ち良さに蕩けかける意識の片隅が、けれど名を呼ばれる度に冷えていく。
悲しみとは少し違う。
切ない、とかやるせない、とか……心の奥からじわじわと溢れてくるのは、そういった感情。
その時ぱちっと頭の中で光が弾けるような感じがして、私は理解した。
あぁ、これがえみりの「お願い」なのね、と。
それならば、きっと今言わなくては――
「ルドヴィクさま……っま、て……っ」
絡められている指にぎゅっと力を込めながら必死で見上げると、ルドヴィク様ははっと動きを止めた。
「すまない、辛いか」
「いいえ……いいえ、そうではなくて……。一つだけ、お願いが、ございます……」
乱れた息を落ち着かせるようにこくりと唾を飲み込んで、ルドヴィク様を見上げる。
「何だ?」
眦に、頬に、寄せられるルドヴィク様の唇に酔いそうになりながら、私は深く息を吸った。
「一度だけで、構いません……「えみり」と、呼んで下さいませんか」
私のその「願い」に、ルドヴィク様がはっと目を瞠った。
「……そうか。呼んで、いなかったな」
そう呟いて、少し考える素振りの後、ルドヴィク様は絡めていた指を解くと私の身体を抱き寄せた。
「エミリ」
首筋に顔を埋めるようにして囁かれたその名に、途端に全身を痺れるような喜びが駆け抜けて、お腹の奥がきゅんっと反応する。
「っ!」
ルドヴィク様が小さく呻いて、同時に抱き締められていた腕にも力が籠る。
「エミリ」
「ぁっ」
また、きゅんっと反応して。
その後もルドヴィク様に「エミリ」と呼ばれる度に反応して――
何度か繰り返したルドヴィク様ははっと可笑しそうに、けれど苦しそうに顔を歪めて、笑った。
「そんなに、嬉しいか、エミリ」
囁かれて、抱き締められて――ぱちぱちと、光が躍る。
「ん……うん……うれし、の……ルドヴィク……すき、だいすき、す、き……っ!」
「エミリ……っ」
強く抱き込まれて、ぱちぱち、踊る光が、強くなった気がして。
「ルドっ……ルドヴィクさま……っ!」
「っエミーリア……」
ぐぅっとルドヴィク様の腕に力が籠って、ルドヴィク様が果てるのと共に、ぱちん、ぱちんと小さな光が弾けて。
そしてその光がふんわりと溶けてなくなるような感覚を覚えながら、私はゆっくりと目を閉じた――
○o。. .。o○
「エミィ、というのはどうだ?」
「……え?」
乱れた息がようやく整った頃、私の髪を撫でながら黙り込んでいたルドヴィク様が唐突にそうおっしゃった。
「エミーリアとエミリを、交互に呼ぶというのも考えたが……途中で訳が分からなくなりそうだ」
真面目な顔をしておっしゃるルドヴィク様を見上げると、嫌か? と問われる。
「え、と……?」
まだぼんやりとして回り切っていない頭ではルドヴィク様のおっしゃる意味が上手く捉えられずに、小さく首を傾げる。
「『エミィ』なら、二人同時に呼べるのではないか、と思ったんだが」
「――二人、同時に?」
ぱちぱちと瞬いていると、ルドヴィク様は僅かに顔を顰めて「忘れろ」とおっしゃったかと思ったら、頭を抱き込まれてしまった。
「エミーリアと、えみりを、同時に……」
私はそこでようやく、ルドヴィク様のおっしゃっている意味が分かった。
さわさわと嬉しさが込み上げて来て、顔を上げる。
「い、いえ……っいいえ、嬉しいです。どうか、そのまま……っ」
呼んで下さい、とお願いしようとした声が、唇で閉じ込められる。
「エミィ」
囁くように呼ばれて、額に、眦に、口付けられる。
「エミィ」
「……はい」
慣れない呼び掛けに、けれど泣きたくなるような喜びや、くすぐったいような嬉しさが湧き上がってきて、ふふ、と声を出して笑うと、今度は鼻の頭に口付けられて、手の平で両頬を包み込まれる。
「ルドヴィク様、ありがとうございます」
微笑むと、ルドヴィク様もちらりと笑みを見せて、そしてゆっくりと口付け――の直前で、ルドヴィク様がふと動きを止めた。
「エミィも、何か」
「?」
「俺だけ『ルドヴィク様』のままなのは、不公平だろう」
「え? えぇ……?」
不公平? ルドヴィク様はお一人なのに? いえ、私も一人ではあるのだけれど――
という言葉は、じぃっと見つめて来るルドヴィク様の視線の熱さに、音には出来なかった。
「え、えぇと……ルドヴィク様……ですから、ルド様……?」
うーん、と悩んでいると、ぽっと一つ浮かんだ。
「では、『エミィ』と合わせて、『ルディ様』はどうでしょうか」
そう言った途端に「ばかっぷる」という言葉が思い浮かんだけれど、それって何だったかしら、と考えている間にルドヴィク様が決まりだな、と嬉しそうなお顔をなさったので、疑問はどこかに行ってしまった。
「だが、『様』はなしだ」
「え、ですが……」
それはさすがに、という反論は口付けで閉じ込められてしまった。
「――エミィ」
「ん……ルドヴィ……ルディさ……っ」
様、と言う前にまた塞がれて、私が恨めしそうにルドヴィク様を見上げると、ルドヴィク様はまた「エミィ」と囁く。
「……ル……ルディ……」
何とかその愛称を返すと、満足そうなお顔をされたルドヴィク様――ルディ、に、ころんと仰向けにされて圧し掛かられた。
私がえ? と見上げたのと同時に、いつの間にかまたお元気になられていたルドヴィク様が入って来て悲鳴を上げる。
「や、あの……ルドヴィク様っ?」
「違うだろう、エミィ」
「あ、や……っル、ディ……っ!」
待って、は聞いて貰えるはずもなく、慣れるまで特訓だ、とよく分からない事をおっしゃったルドヴィクさ――ルディに、私はこの日、何度も何度もその愛称を呼ばれて、もう呼び間違える事なんて出来ないくらいに呼ばされて、そしてそれ以上に喘がされた。
その翌日から、私はルディの寝室で眠るようになった。
身体を重ねる日もあれば、ただ抱き合って眠るだけの日や、ルディが遅くなる日は先に一人で休んで、翌朝ルディの腕の中で目を覚ます日もある。
グレンダールについて学ぶ私の為、と言いながら、ルディは私を視察に同行させる事も多くて、
そして「エミィ」「ルディ」と呼び合う私たちが、各所で随分と生暖かく見られているのだと知ったのは、随分後になってから――