表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花風の香り  作者: Shinoka
3/7

雨の香り

日も暮れてきた頃、僕はレポートを書くために大学の図書館へ行った。するとそこには、難しそうな顔をしている彼女がいた。

「なに、急に隣に座ってきて。みてわからない?私今忙しいんだけど」

たしかに、彼女の眼の前にはパソコンと、山積みにされた本があった。

「空いてる席がここしかなかったんだ。隣でレポートでも書かせておくれよ」

嘘だった。金曜日のこの時間は、みんなだいたい飲みに行っているため、席は空いていた。彼女は何も言わず、また眼の前の課題に取り組んでいた。


ページをめくる音だけが響いていた。閉館前の図書館は妙に静かで、誰かの咳払いすら遠く感じる。

彼女は難しそうな顔でレポートを書いていた。時々髪を耳にかけるたび、甘い匂いがふわりと漂う。金木犀―――いや、違う。春みたいな、雨上がりみたいな、名前のつけられない匂い。

「さっきから、なに」

「いや」と声を出しかけたが、彼女が言葉を紡ぎそうな勢いだったので、静かに話を聞いてみた。

「ぼーっとしちゃってさ。人の顔見てレポート進むわけ?」

「進まない」

「じゃあ帰れば?」

追い払うような言い方なのに、彼女は席を立たなかった。窓の外では雨が降っていた。街灯に照らされた雨粒が、やけに白く見える。

「雨、強くなってきたね」

「私傘ないかも。あんた傘、ある?」

「ない」

「最悪」

そう言って彼女は少し笑った。その瞬間、胸の奥が妙に苦しくなった。どうして顔を見るだけで、こんなにも安心するんだろう。

「ねえ、もしもの話してもいい?」

彼女はキーボードを打つ手を止めないまま言った。

「私が急に居なくなったら、どうする?」

若干笑い気味の声の気もした。ただどこか、現実味を帯びている気もした。

「探す、かな。」

そう答えると、彼女は少しだけ笑った。「そっか」という、安心したような、小さな声が聞こえた気もした。

雨音が、少し強くなる。窓に映る彼女の姿が、ほんの一瞬だけ知らない誰かに見えた。


気付けば、図書館も閉館時間となってしまった。僕は彼女と二人で濡れながら帰った。

雨も止み、僕と彼女は別れようとしていた。彼女の渡る横断歩道。霞む信号機。やけに明るい光りに照らされるアスファルト。そして叫ぶ君。

その日から、僕は記憶が全く無い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ