アンプラグドの倫理:非接続の自由と「不便な」身体性の肯定
「アンプラグド(Unplugged)」とは、SIDデバイスを装着しない、あるいは装着していてもSIDネットワークへの接続を意図的に拒否する人々の総称である。
彼らは、SIDがもたらす利便性や「最適化された幸福」を享受しない代わりに、自身の精神の自由と、「非接続」という、きわめてラディカルな選択を行った。
彼らの倫理は、SID社会の「透明化」と「共有」という強制力に対する、きわめて明確な異議申し立てでもあった。
アンプラグドの根底にあったのは、「内心の不可侵性」という哲学だ。
彼らは、思考や感情がSIDによってリアルタイムで監視・評価されることに異議を唱え、自己の精神を外部の介入から守ることを最も優先した。
これは、デカルト的な「我思う、故に我あり」という近代的主体の再主張であり、自身の思考が「私だけのもの」であるという確信を求めた結果でもある。
SID社会が意識を肉体から解放し、情報空間に「棲家」を見つける中で、アンプラグドは、あえて肉体という「不完全な容器」に固執した。
彼らは、五感を通じた「生々しい感覚」、身体的な痛み、疲労、そして快楽といった、肉体が持つ根源的な体験の中にこそ、真の人間性があるのだと考えた。
これは、第7章で論じた「電子ドラッグ」が、最適化された意識の「穴」を埋めるために「身体性への回帰」を促した現象と深く関連するが、アンプラグドは、外部からの操作を伴う電子ドラッグではなく、自身の肉体そのものから湧き上がる感覚を重視した。
アンプラグドは、SIDがもたらす効率性や最適化を拒否し、あえて「不便な」生活を選択した。
彼らは、手書きの手紙、物理的な書籍、アナログな芸術表現、そして顔を突き合わせての直接的なコミュニケーションの中に、真の人間的な豊かさを見出そうとした。
彼らの「けしからん」衝動は、この「不便さ」や「非効率さ」を愛すること、そしてSID社会では「見えない」とされてしまうような、きわめて個人的で、誰にも理解されない「性癖」を、ひそかに、しかし深く追求することとして現れた。
例えば、SIDに接続された者であれば決して理解できないであろう、「紙に描かれた薄い本のインクの匂いから感じる性的興奮」といった、きわめてアナログで身体的な性癖を、彼らは究極の快楽として肯定した。
アンプラグドの選択は、自身の精神の自由を守るための倫理的な選択でもあった。
しかし、それは同時に、社会的な不利益と、きわめて深刻な代償を伴っていた。
SIDは、情報アクセス、コミュニケーション、経済活動、さらには医療や教育といった社会のあらゆる側面に深く組み込まれていた。
アンプラグドは、これらのSIDが前提とするサービスや情報から隔絶されていたため、究極的なデジタルデバイドに直面していた。
NeuroPayのようなSID連動型決済システムは利用できず、SIDCOMのネットワークサービスから隔絶されることで経済的・情報的な不利益を被った。
アンプラグドは、主流であるSID社会から外れた存在として、社会的な疎外感や孤立感を深めていった。
SIDを介した感情の共有や共感の輪から隔絶されていたため、彼らと社会の繋がりを築くことが困難になっていた。
SID社会において、思考や感情が共有されることが「存在」の前提となる中で、アンプラグドは「存在しない」ものとして扱われる「存在論的格差」に直面した。
彼らは、社会的な機会や承認を犠牲にしたことで、自身の精神の自由を守ったとも言える。




