第111話 アミノ強化トレーニング(実戦版)
エルミア村の夜の畑は、もはや静かな農地とは言い難い状態になっていた。地面が波のようにうねり、乾いた土がゆっくりと盛り上がるたび、その下で巨大な何かが這い回っているのがはっきりと伝わってくる。やがて次の瞬間、地面を破って太い蔦が飛び出した。一本ではない。二本、三本、さらにその奥からも次々と現れ、蛇のように空中をうねりながら周囲を探るように揺れている。畑のあちこちから同じような蔦が伸び始めた光景は、まるで大地の下に巨大な植物の怪物が眠り、その体を地上に広げているかのようだった。
「……うん」
アルエは杖を肩に担ぎながら、しばらくその光景を眺めてから言った。
「思ってたより面倒なやつね」
そして次の瞬間、彼女は躊躇なく一歩前に出る。杖を軽く振り上げると、空気が震え、赤い火球が夜の闇の中に生まれた。
「開幕サービスよ!」
放たれた火球は一直線に畑を走り、蔦の群れに叩き込まれる。爆発音とともに炎が広がり、夜の畑の一角が赤く染め上げられた。焼けた蔦の匂いが風に乗って漂い、地面の上では火の粉が散る。
しかし。
炎が消えた直後、焼け焦げたはずの蔦がゆっくりと持ち上がった。さらに別の場所では新しい蔦が地面を破って伸びてくる。しかもそれだけではない。先ほどよりも勢いよく、まるで力を得たかのように空中を暴れ始めていた。
「……あれ?」
アルエが首を傾げる。
ロイドはその様子を見て、むしろ感心したように小さく頷いた。
「なるほど。だめだね」
「は?」
「完全に吸収してるよ。魔法を打てば打つほど、あの植物の魔力源になる仕組みだ」
数秒の沈黙のあと、アルエは杖をだらりと下げた。
「……えー」
彼女はため息をつく。
「じゃああたしの出番ないじゃない」
「戦術的に言えば、かなり不利だね」
ロイドは平然と頷く。
「ひどくない?」
その横で、リーリヤが静かに前へ出た。彼女は杖を構え、深く息を吸い込むと、空気中の水分を一気に集める。次の瞬間、極細の水流が閃いた。
ウォーターカッター。
狙いは蔦の節。硬い部分を断てば動きは鈍るはずだった。
しかし、鋭い水流が蔦に触れた瞬間、キィン、と硬い音が響いた。蔦の表面が弾くように震え、切断には至らない。リーリヤは角度を変え、狙いを変え、何度も刃のような水流を走らせるが、削れるのはせいぜい表皮だけだった。
しかも蔦は微妙に揺れ、こちらの狙いを避けるように動いている。
リーリヤは静かに杖を下ろした。
「……これじゃ私もどうしようもないわね」
アルエが横で腕を組む。
「でしょ?」
「喜ばないで」
そのやり取りの後ろで、マットがゆっくりと前に出た。振り下ろされた蔦を腕で受け止め、そのまま掴む。筋肉が膨れ、蔦が軋む。
「じゃあ、俺の出番だな」
次の瞬間。
バキッ。
蔦が一本、引きちぎられた。
その直後、遠くで爆発音が響く。畑の向こう側で土煙が上がり、地面が揺れた。
「……え?」
アルエが振り返る。
「村の方で爆発したわよ」
ロイドは顎に手を当てて考え込む。
「おそらく地下で繋がってるんだろうね。危機を察知して、他の蔦が暴発したんだ」
「つまり?」
「適当に引きちぎると村が壊れる」
アルエが叫ぶ。
「じゃあどうしろって言うのよ!」
ロイドはゆっくりと井戸の方を指さした。
「蔦ということは、本体は地下にある。そこを叩けば終わる可能性が高い」
「地下って、さっきの井戸?」
「そうなるね」
「……なんで村の真ん中にボス部屋あるのよ」
マットは頷いた。
「よし、行くか」
数分後。
マットたちは井戸の中にいた。湿った石壁に足をかけながらロープを伝って降りていくと、途中で空気が変わる。土の匂いに混じって、甘ったるい植物の臭気が漂っていた。
やがて底に降り立つ。
そこは地下洞窟のような空間で、中央には巨大な塊が鎮座していた。
「……球根だな」
マットが言う。直径数メートルはある巨大な塊が、肉のように脈打ちながら地面に埋まっていた。
そのとき。
上から声が響いた。
「クゥゥゥ!!」
全員が見上げる。
ササミだった。
井戸に降りようとして、途中で完全に詰まっている。
腹が井戸の縁に引っかかり、抜けなくなっていた。
さらにその上から、カーボが顔を出す。井戸の縁から身を乗り出し、困ったように首を傾げながらササミの尻をくわえ、ぐい、と引っ張った。
しかし。
びくともしない。
ササミは必死にもがくが、余計に詰まるだけだった。
「……何してるの」
アルエが呆れる。
リーリヤは深く息を吐き、杖でササミの尻をつついた。
「戻りなさい」
ぽふ。
しかしササミは諦めない。カーボは再び引っ張るが、やはり動かない。
「……現実逃避しないで、リーリヤ」
アルエが言う。
「してない!」
リーリヤは即座に返した。
「なかったことにしようとしてるだけ」
その横で。
アミノがするりと地面へ降りた。
蛇体がゆっくりと球根へ近づき、迷いなく牙を突き立てる。
ズブリ。
鈍い音が洞窟に響いた。
次の瞬間、球根が大きく脈打つ。内部に蓄えられていた膨大な魔力が一気に流れ込み、アミノの体が光り始めた。
「魔力吸収か」
ロイドが言う。
「でもこのままだとまずいね」
「何が?」
「吸収量が多すぎる」
実際、アミノの腹が少しずつ膨らみ始めていた。
そこで。
マットが腕を組む。
そして、ぽつりと呟いた。
「……今なら」
「何?」
「いつものアミノの電撃魔法を使ったESMトレーニングが、無尽蔵にできるんじゃないか?」
ロイドが瞬きをする。
「……理屈としては成立している」
アルエが頭を抱える。
「成立しないでほしかった」
しかしマットは既に決めていた。
「アミノ。出力上げろ」
次の瞬間。
バチッ。
電撃が走った。
マットの体が大きく跳ねる。筋肉が一瞬で硬直し、背中から肩にかけて電流が走り抜けた。
「あばばばばばばばばばばばばば」
歯が激しく鳴る。
しかし。
マットの顔は満面の笑みだった。
さらに一瞬の間。
「今のは広背筋だあああああああああああ」
「そんなピンポイントに効くんだ」
アルエが呆れた声を漏らす。もはや声を荒げる気もしない。
しかしロイドは頷いていた。
「いや、あり得るね。背中に流れている」
さらに雷撃。
今度は音が違う。
もはや電撃ではなく、雷鳴に近かった。
洞窟全体が震える。
球根の表面が焦げる。
ロイドが冷静に言う。
「出力が上がっている」
「どれくらい?」
アルエが聞く。
「初級魔法は完全に超えている」
もう一度雷。
バリィィィィィィン。
「中級魔法レベルだ」
先ほどまで、嬉しそうにがたがたと言っていたマットの声が止まる。
「ちょっと、マット今の平気なの!?」
白い雷と緑の回復魔法の光がマットの体を絶えず包み込み、その中心からは歓喜の叫びが響く。
「すごいぞアミノ!これは今までにない刺激だ!筋肉が引き裂かれるような衝撃!これは初体験だ!」
アルエは完全に引いていた。
「……何この光景。熱出して寝込んだ時でももうちょっとマシな夢だったわ」
そのころ、井戸の上では相変わらずササミが詰まったままだった。井戸の縁に腹が見事に引っかかっており、どう足掻いても身動きが取れない。
縁から顔を出したカーボは状況を確かめるようにササミを見つめ、首を傾げ、もう一度まじまじと眺めてから小さく鳴いた。
「クゥ?」
どうする? と言いたげな顔だった。
井戸の下から見上げていたリーリヤは深くため息をつき、「……まずは戻りなさい」と静かに言いながら杖でササミの腹を軽くつつく。ぽふ、と鈍い音がしたが、ササミはもがくだけで抜ける気配はない。
仕方なくカーボがササミの尻尾をくわえて引き抜こうとする。しかし結果は変わらず、どれだけ力を込めてもびくともしなかった。
やがてササミは焦り始め、羽をばたつかせて必死にもがき出す。するとその拍子に、ぽろり、と小さな塊が落ちてきて、アルエの頭に直撃した。
「……何?」
アルエが拾い上げると、それはただの土だった。
しかしそれで終わらない。続けて、ぼと、とロープが落ちてくる。
「上がれなくなったじゃないの」
さらに井戸の上から、ずる、と長い何かが垂れ下がってきた。よく見ればモンスターの蔦である。
アルエはとうとう叫んだ。
「なんでそんなものまで降ってくるのよ!!」
暴れるササミと困り果てたカーボ。井戸の外ではツタがササミを絡めとろうとして逆に引き裂かれている。そのたびに遠くで爆音が響く。
「……これ以上暴れると井戸も村も壊れるわよ」
アルエが井戸の上を見上げると、ちょうどササミと目が合った。
「あたしにはどうしようもないわ」
その瞬間。
アミノの腹がさらに膨らんだ。
ロイドが真顔になる。
「いや、まずいね」
「何が?」
アルエが聞く。
「吸収量がまだ上回っている」
マットが震えながら叫ぶ。
「アミノ!!」
「最大出力だ!!」
落雷。
洞窟が白く染まる。
その瞬間。
アミノの体が大きく痙攣した。
しかし次に起きた変化は、四肢の発生ではなかった。
鱗の隙間が、わずかに開く。
そこから細い繊維のようなものが伸び始めた。
「……羽?」
リーリヤが呟く。
最初は一本。
だがすぐに二本、三本と増えていく。
やがてそれは明確な形を持ち始めた。
羽毛だった。
首の後ろから背中にかけて、長い羽が広がっていく。
色が変わる。
黒い鱗の縁に、鮮やかな緑。
その奥に青。
さらに羽根の先端に、金の光が差した。
洞窟の中で羽毛がふわりと揺れる。
次の瞬間。
アミノの体が、ふっと持ち上がった。
地面から、数センチ。
「……浮いてる?」
アルエが言う。
翼はない。
羽ばたいてもいない。
それでもアミノの体は、ゆっくりと空中を泳ぐように動き始めた。
蛇の体はそのままだ。
だが首周りを飾る羽毛が、空気を切るたび微かな光を散らす。
ロイドの眼鏡がきらりと光った。
「なるほど……」
彼は小さく息を吐く。
「これは単なる蛇の進化ではない」
アルエが聞く。
「じゃあ何よ」
ロイドは少し楽しそうに言葉を選んだ。
「コカトリスという魔物は、元々“鳥と蛇の混合種”だ」
彼はアミノを指さす。
「通常の進化では、どちらかの要素に寄っていく。蛇寄りになるか、鳥寄りになるかだ」
「で?」
「だが今回は違う」
ロイドは眼鏡を押し上げる。
「蛇の体を維持したまま、鳥の要素がさらに強く発現している」
羽毛が揺れる。
雷光がその隙間を走る。
「つまりこれは――」
ロイドは結論を口にした。
「コカトリスの本質が、より純粋な形で表に出た進化だ」
アルエがぽつりと言う。
「……羽毛蛇?」
ロイドは頷いた。
「そう。伝承に出てくる“羽毛蛇”に近い形態だね」
アミノはゆっくりと洞窟を一周した。
長い体が空中を滑る。
羽毛がふわりと広がり、雷光がその隙間を走る。
そして最後に、するりとマットの肩へ巻きついた。
羽毛がかすかに光る。
マットの回復魔力に反応しているようだった。
マットは腕を組みながら言う。
「……なんか、派手になったな」
アミノは静かに首を上げた。
その背の羽毛が、誇らしげに揺れていた。
ロイドは満足そうに頷いた。
「面白い。実に面白い進化だね」




