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第2話−5:対面

 季節は秋。イゼルニア邸は色とりどりに染まる。

 小さな花が足もとを黄色や紫に彩り、木々は赤く燃え上がる。

 青く澄みきった空を、風が吹き抜けていく。

 その中を、クルスは執事に導かれて進んでいく。

 目の前を、小さな花びらが横切った。

 ――さて、どうしたものか。

 縁談を受けてからクルスはイゼルニア家の内情を時間の許す限りで調べ上げてきた。

 当主、ミルト=イゼルニアは元老院の重鎮。ガルテアの動向には彼の意向が必ず反映されているといわれている。また、元老院に付属するガルテア最高法廷の長を九年間つとめている。

 身のまわりに黒い噂はたっていない。正妻を亡くして六年ほどたつが、その前にも後にも女性関係で問題を起こしたことはない。めかけはいない。

 元老院内部における抗争はうまく避けている。いくつもある派閥のすべてに知り合いをもち、影響力を行使することができる。あからさまにひとつを支持することはしない。

 いうべきことは必ずいう。ミルトの口から出るとどんな言葉も真実味を帯びて聞こえる。反対意見をもっていてもなんとなく黙り込んでしまう。そういう空気をまとっている。大物どうしのいさかいを調停するのはたいていミルトだという。

 司空、つまり最高法廷の長に彼が長い間とどまり続けているのもそういった彼だからこそである。司空が裁くのは法にかかわることすべて。刑事も民事もこじれたものはすべて最高法廷にもちこまれる。誰もが納得する裁定を下すには、どの集団の色にも染まらない人物が必要なのだ。

 ミルトには娘が三人いる。長女と次女はすでに他家に嫁いでいる。クルスの相手となるのは残った末娘である。深窓の令嬢という言葉にふさわしく、滅多に人前に姿を現すことはない。どの情報屋をあたっても、なにもわからなかった。

 ――そんなことはいい。

 問題は、なぜ自分に縁談がもちかけられているのか、ということである。

 イゼルニアには跡継ぎがいない。次期当主になる男子が欲しい。それは理解できる。後継ぎのない家が、あるいは跡継ぎのある家でさえも、有能な若者を養子として迎え入れ、当主の座を継がせるというのはそう珍しいことではない。

 しかし、入り婿というのは聞いたことがない。

 そもそも婚姻は、政治にかかわる階層の中では、感情的な理由で行われるものではない。必ず政治的な原因がからむ。敵を減らし、味方を増やすために行われる。婚姻の相手はつながりを持つことでこちらに利益があるようなものでなくてはならない。

 いまのところ、クルスにそれだけの力はない。富豪には違いないが、大商人の集まるガルテアでは目立たない程度のものでしかなく、元老院に議席をもっているわけでもないので政治的な発言力もない。孤児たちの世話をするようになって、少しばかり市民に人気があるくらいのものだ。

 ――なぜだ?

 娘に問題があって、とつがせることができないということは考えられる。かといって未婚のままでも外聞にかかわる。それで養子にせず縁談、婚約という形をとるということはなくはない。

 わかりやすく言えば、イゼルニアの家門と引きかえにできそこないの娘を引きとってもらおうということだ。

 さまざまな可能性を考え、手を尽くして調べたのだが、イゼルニアの三女については何もわからなかった。わからないというのが余計に不気味である。

 執事の前で扉が開く。豪奢ごうしゃなつくりだ。把手とっては金で獅子の顔が牙をいている。

 重く沈んだ色の扉には、がルテアの建国神話がきざまれている。

 人語を話す狼に育てられた青年が、天かける馬を得て天へ昇り、天界と魔界との戦いで功をたてて地上の王となる。彼、ガルティスが選んだ都がここガルテアの地であったという。

 クルス派、神話のたぐいなどはなから信じていなかった。この世界は人間のもの。馬が空を飛んだり、竜があらわれて火をふいたりするような、おとぎ話の世界とは違うのだ。奇跡は無知からおこる。何も知らなければ、たいしたことでなくとも驚きは大きくなるのだ。そう考える彼は、この時代には稀有けうな、徹底した合理的精神の持ち主だった。

 書斎に案内された。クルスが入ると執事は一礼して去っていった。

「クルス殿だな。わたしに直接たずねたいことがあるそうだな」

 前置きがない。名家の人間には珍しい。

「司空殿におかれましては、まずこのようにご多忙のなか、わたくしのような若輩のためにこのような席をご用意くださいまして――」

 いい終わらないうちに、ミルトは顔の前で軽く手をふった。

「よい」

「は――」

「わたしにそのようなまどろっこしいあいさつは無用だ。訊きたいことがあるのだろう。なんなりというてみよ。答えられることなら答えをさしあげよう」

 ――さて。

 ここでいきなり本題に入るべきなのか。ああいっていても、名家の人間は難しい。どうでもいいことで、すぐ機嫌が悪くなる。クルスとしてはミルトが機嫌を損ねたところでどうということはないが、元老院でも大きな発言力を持つ人間に悪い印象をもたれると、これからの動きがとりにくくなる。ましてや相手はガルテア最高法廷の長だ。まだなにも持っていない自分としては、なるたけ敵はつくりたくない。

 一瞬の逡巡しゅんじゅん。ミルトは軽く腕をくみ、黙ってこちらを見ている。穏やかな目のなかに鋭い光が見えた。

 ――俺を試そうというのか。いいだろう。

 心を決めた。

「ではたずねる。今回の縁談はいかなる理由によるものか、お聞かせ願いたい」

「ふむ――」

 ミルトが少し視線を下げた。

「なぜ、それを知りたいと思う」

「問いに問いをもってかえされるか」

 主導権をこちらで握りたい。クルスはいくぶんか強い口調で切りこんだ。

 間が、あった。

「なるほど。君を甘く見ていたようだ。失礼した。しかし、やはりこれだけは聞いておきたい。わたしが答えを与えたら、君はどうするつもりだ?」

「事の次第によっては、この話、なかったことにしていただきたい」

 ミルトの目があがった。視線に力がこもる。気圧けおされそうになる。

 ――ひるめば負けだ。

 じっと見つめかえす。

「この、イゼルニアとの縁談を断ると?」

「納得のいかぬ事情があれば、それもやむをえません」

 ミルトがふっと下をむいた。かすかにため息の音が聞こえた気がした。

「君を見こんだから、といっては納得してもらえないだろうか」

 ――どういうことだ。

 今度はクルスが驚く番だった。もっと長い言葉が続くものだと、こみいった事情があるものだと思っていた。

 ――甘く見ていたのはこちらだったか。

 説明になっていない。

 嘘ではない。そのことは直感でわかる。しかし、答えがあまりに突飛だ。

これは庶民の縁談とはわけが違う。ガルテアでは貴族という呼称こそ使わないが、元老院議員といえば雲の上。すべてが政事にかかわる。縁談は自家の勢力圏を広げる手段。そんな世界の人間が、こんな形で縁談をもってくることがあるのか。

「腑に落ちぬようだな。無理もない」

 そういってミルトは立ちあがった。いすのうしろにある窓の前に立って、外をながめる。逆光の中に、彼の輪郭が黒く浮かぶ。

「わたしは、このイゼルニア家に生まれ、なにひとつ不自由なく暮らしてきた。父祖の言葉に従い、どの派閥にもつかず、力あるものとのつながりを深め、わが一族がこれから先も続くよう力を尽くしてきた」

 そこでミルトはいったん言葉をきった。窓を、枯れ葉がよこぎる。

「しかし、わたしはいつしか、そんな生活に疑問を抱くようになっていった。このまま、一族の歴史の中に埋もれていくのが嫌になった。いや、怖くなった。そう、怖くなった。何か、わたしが生きた証を残したいと思うようになった」

 初秋の陽の中で、低く穏やかな声がとけていく。

「どこで?元老院?議長にでもなるか?あの腐りきった世界で生きることになんの意味がある?商売?残るのは金と商売敵だけ。芸術?そんな高等な才覚はない」

 なにを伝えようというのだろうか?この話から、なにをめと?

「わたしは考えた。その間にも、わたしの望みは大きくふくらんでいく。これからこの世に生まれるものすべてが、自分のことを知っていてほしいと思うようになった」

 すこしうつむいた。影は短い。まだ正午すこしまえだ。

そういえば、リタが植えた薔薇ばらは咲いただろうか。リタというのは一年ほど前からクルスの屋敷に住んでいる少女だ。

どうでもいいことばかり考えてしまう。

その先を聞けば、もう戻れない。

「なにもかも退け、わたしがたどり着いたのは、天下、だった」

 ――そんな。

「そう、きみが望むもの」

 ――まさか。

「だが、わたしがそこにたどりついたとき、わたしにはそれを成し遂げるだけの時間は残されていなかった」

 ミルトがふりむいた。光の加減で、顔はよく見えない。

「わたしは若いきみに、わたしの願いを託したい」

 ――これは。

 信用する、しないという一線をはるかに越えている。ミルトは賭けに出たのだ。負ければ二度と取りかえすことのできない賭けに。

 短く、長い静寂が、空間を支配する。はりつめた空気に、息が詰まりそうだ。

「わたしを選んだ根拠は?」

 同じような野心を抱く者は、自分に限るまい。もっと力のある者を選ぶこともできるはず。力なき者を選ぶのは排除するのが容易だから、そうも考えられる。もっとも、これは最終確認に過ぎない。ミルトの話が本当であることは、話の大きさからかえって明白である。

 ミルトは、

「私心のために私心を捨てきれなかったということだ」

 と、わかりにくいことをいった。

「ガルテアを、この腐りきった国を、再びよみがえらせるためには、新しい血が必要だ」

 ――そうか。

 天下を望む、という私心のために、ガルテアを愛する心を切り捨てられなかったということか。ミルトの望む天下はガルテアの天下でなければならず、そしてそれは累卵の危うさの上にたつような、一代限りのものであってはならないのだ。

「天下は末代まで続いてこその、天下であると」

「そうだ」

「しかし――」

 クルスは言葉をさがした。まるであたりに求めた言葉があるかのように、周りを眺めまわした。

「なぜわたしを、そこまで見込んでくださる?」

 ミルトが微笑んだ。

「わたしにもわからなんだ。今になってようやくわかってきた」

「は――?」

「ふふ――」

 ミルトはにやけた顔のまま、壁際へ歩いていき、呼び鈴を鳴らした。

 すぐにノックがあった。

「お呼びでしょうか」

 執事の声だ。

「うむ、アイリーンをここへ」

「かしこまりました」

 アイリーン=イゼルニア。クルスが、相手となるイゼルニアの末娘について知っている数少ない事実のうちひとつが、名前だった。

 執事が扉の前を離れると、急に二人の間から言葉が消えた。

 ミルトは、人二人は座れそうな肱掛椅子に身を沈めて腕をくみ、静かな微笑みを浮かべている。真実を見抜く鋭い司空の目が、このときは穏やかで慈愛にみちた好々こうこうやのそれに見えた。

 扉をたたく音が聞こえた。

「お呼びですか?お父さま」

秋の光に春の香りがまじる。冷たく、緊張した空気がやわらいだ。

「うむ、入りなさい」

 落ち着いた、低い声に応えて扉が開く。

 開き方が、思うより早い。

 開いた扉から入ってきた娘は、淡い橙色の質素なドレスをまとっている。ドレスのすそをつまんで軽く会釈する。

 アイリーンが顔を上げると、クルスの頭は真っ白になった。

 ――リタではないか。

 いすから立ち上がったまま、会釈をかえすのも忘れてアイリーンの顔を穴が開くほど見つめていた。

「あら、もうばれてしまったみたいね。うまくばけたと思ったんだけど。さすがね、クルスさま」

 彼女の声にわれにかえり、なんとか会釈をかえす。

「いったい――」

 リタはいつもクルスのことを「クルスさま」と呼んでいた。

「ふふ、わたしが誰なのかは、お父さまから話してもらいましょ」


 豪奢…ぜいたくで、はでなこと。

 稀有…めったにないこと。

 逡巡…ためらうこと。

 累卵…卵を積み重ねること。くずれやすく、きわめて危険な状態のたとえ。

 好々爺…にこにこしたやさしそうな老人。



 受験も無事に終わり、ようやく帰ってきました。HNも変わって心機一転。これからもよろしくお願いします。

 これからは週一で更新することを目標にやっていきたいと思ってます。一応、毎週火曜日更新ということで…。

 まだまだ序盤なのにサイドストーリーばっかり膨らんでしまって、まずいなぁと思ってます。それでもまだあと2回くらいはクルスの物語です。もう少しつきあってやってください。

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