↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/13

第2話−4:野心

 送られてきた使者にどう返答するか、評議会では意見が分かれていた。

 降伏するか、戦うか。圧倒的に不利なこの状況下で、二つの意見はほぼ同数の支持者を得ていた。

 マルティン=カフカスは主戦論を唱えている。

 ――一戦も交えずに降伏してしまえば、必ず相手は図に乗って無理な要求をつきつけてくる。

 勝てるとは思わないが、西海の覇者といわれるガルテアの意地を見せてやらねばならない。堅固な城壁を備えたガルテアなら一日、二日で落城ということはない。さすがはガルテア、という戦をしてから降伏するならすればいい。はなから降伏というのは、後々のことを考えると損の方が大きいように思われた。

 ――とにかく一度は戦うことだ。

 そうは思ってもなかなか口には出せない。五百人あまりの議員のいる評議会では発言の機会すら滅多にない。父の代にようやく議席を手に入れたマルティンではなおのこと、発言の機会は少ない。

 議論は主に降伏派、主戦派の有力者同士で進められていく。が、それも平行線をたどるようになって久しい。早朝から開かれている評議会も、夕暮れ刻を迎えている。連合側の使者はすでに何度か返答を催促している。

 「これだけ議論を尽くして決せぬとあれば致し方あるまい。票決をとりたいと思うが、各々方依存はないか」

 議論は尽くされたとみたか、これ以上話し合っても無駄だと考えたか、異議を唱えるものはなかった。あまり時間もない。このあたりが潮時には違いなかった。

 票決は議員全員が議場中央にある演壇に積まれている木の札を、その両側にある議長、副議長席のどちらかに置くという方式で行われる。今回は議長席が降伏票、副議長席が開戦票となっている。札には特に記名などされていないが、もちろん置くところを見ていれば誰がどこに置いたかはすぐわかる。票決の途中でもどちらの票が多いか、人の動きですぐわかる。

 今回はどうか。投票を待つ列のうしろの方に並んでいるマルティンには議場の中央がよく見える。列が丸い議場の丸い壁に沿ってできているからだ。

 ――ほぼ、同数だな。

 二人降伏に投じれば、次の二人は開戦に投じ、三人降伏に投じれば、また三人が開戦票を投じる。見ている限り、優劣はまったくないように思われた。

 長い列の端が、少しずつ近づいてくる。一歩ずつ、精密に彫刻がほどこされた大理石の壁に手をつきながら歩を進める。なんとなく息苦しい。じゅうたんに足を下ろすわずかな感触も、札が置かれるわずかな乾いた音も、この町の運命を左右する大きな舞台の上でふるえているようだ。

 自分の番がやってきた。残り少なくなった、整然と積み上げられた札の山から一枚とりあげて、演壇の右側を下りる。副議長席に積まれた開戦を望む声は、ほとんどの議員が投票を終えたこのときも、演壇をはさんで反対側にある議長席に積まれた札と同じくらいに見えた。マルティンは、それが自分の希望的観測でないことを祈りつつ、自分の札を積んでもとの席に戻った。

 結果がわかるまでに、いつもより少し時間がかかった。双方に投じられた票の数が僅差であれば、公正を期すために何度も数えなおしが行われる。まして、議題が都市の存亡をかけたとてつもなく重大な選択である。

 ――私たちはどうやら、歴史の岐路に立っているようだな。

 歴史物語の分かれ道はいつも、日常の中にひそんでいて誰もがそれと知らずに通り過ぎてしまうものだが、現実にはそうでもないらしい。

 決して長い時間ではないはずなのに、結果が出るまでにとてつもない時間がかかっているような気がする。胸がふるえる。どちらに転んでも今日この日は、歴史の大きな幕になるに違いない。それは本来予感と呼ばれる小さな感覚だったが、マルティンには疑いようのない確信のように感じられた。ガルテアの繁栄はここで終わるのか、それとも一週間ほど先延ばしになるのか。

 ――勝つということは、万に一つもあるまいな……

 開票結果は、二七一対二六二で、開戦と決まった。


 勧告拒否を連合の使者に伝えた後、評議会からこの戦の主将が選ばれる。

 ――まさかここまでうまくいくとはな。

 クルスは主将を承認する拍手を身に浴びながら、内心ほくそ笑んでいた。

 危機は野心家にとって最大の好機である。合法的に政治大権を手に入れることのできる唯一の機といっていい。まさにクルスは野心家だった。

 ガルテアにある、数ある商家のひとつに彼は生まれた。家の財政は安定していて生活の心配はない、身のまわりの世話はすべて召使がしてくれる、そんな恵まれた、ただしガルテアでは当たり前の家で育った。幼いころから変わった個で、商家の息子なのに外で剣を振りまわすのが好きな、それでいて無口な、近づきにくい雰囲気のある子供だった。

 近所の者たちはそんな彼を白い目で見ていた。商人は物腰がやわらかで、誰とでもうちとけて話ができなくてはつとまらない。相手に威圧感を与えるなどもってのほか。力仕事は奴隷か召使にまかせておけばいい。なんで自らすき好んで剣をとる必要があるのか、と。

 最初のうちはなぜ自分が批判されるのかもわからなかった。強くなりたい。それがなぜいけないのか。まわりの大人たちは誰も答えてくれなかった。それがまた、力の希求につながっていく。

 相手には事欠かなかった。家には必ず父が雇った護衛が幾人かいる。いつも彼らに相手になってくれとせがんだ。中にはもちろん雇い主の息子に武器を向けるのをためらうものもあったが、十人いれば一人か二人は子供に武術の手ほどきをしてくれるものもあった。

 ――坊ちゃん、腰が引けてるぜ。

 からかいのむこうにある、あたたかい微笑みがうれしかった。活発に走りまわり、武術のまねごとをする末息子をかえりみる目はそこにしかなかった。

 母は二人の子を連れて、そのときすでに二人の子をもうけていた父に嫁いできた。二人とも一度、自分の結婚相手を亡くしていた。互いに二度目の結婚は愛情よりもっと現実的な理由のために行われた。事業の合併である。

 幸いにして現実的な要求は満たされた。愛するものを失った悲しみは消えなかったが、ともに行きづまりかけていた事業は立ち直った。二人にとってはそれでよかった。それだけでよかった。

 天はそんな二人に子を授けた。愛情による結びつきの薄い二人を結び付けておくためだったのか。それもクルスがまっとうな、商人の子であれば可能だったかもしれない。しかし、生まれてきたのは二人の望みにかなうような子ではなかった。

 生まれたころは何くれと世話を焼いた両親も、成長してゆくにつれて徐々に冷たくなっていった。そして、彼はますます頑(かたく)なになっていった。

 一人になったクルスは、十歳を過ぎたころから憑(つ)かれたように書物を読みあさるようになった。それまでは日が昇ってから暮れるまで外で棒切れを振りまわしていた子が、今度は一日中家にこもっているのである。親兄弟は驚いたが、それは彼らにとって好ましい変化だったし、皆クルスが望めばどんな書物も買い与えてくれるようになった。

 そんな彼らをクルスは腹の中で笑っていたが、もうそれを表に出すことはしなかった。無口には変わりなかったが、それは賢者の沈黙に似ていてなんら不快なところのないものになった。数年が過ぎ、クルスは読書の合間に再び剣を持つようになったが、もう誰も何もいわなかった。

 兄たちは皆、早くに家を出て分家をたてた。末子ではありながら、クルスは本家を継ぐことになった。これは普通の商家なら珍しくない。評議会に議席を持つような名家であれば、本家を議席とともに長子に譲ることも多いが、そうでなければ本家だからといって付加価値はない。

 クルスが家を継いだのは二十歳過ぎ、疫病のために両親を亡くしたためであった。肉親の情に恵まれなかった彼も、このときばかりは声をあげて泣いたという。それが本心からのものでないと見破れるものは一人もなかった。

 彼にとって両親の死は、長い間あたためてきた野望の第一歩に過ぎなかったのだ。

 家財を引き継いだクルスがまず最初に行ったのは、慈善事業だった。自分と同じように疫病で親を失った子供たちを引き取って世話をするようになった。自ら直接子供にふれる時間がそう多いわけではなく、屋敷のすみに子供たちを住まわせて、召使を多めに雇って世話させるだけのことだったが、このことは彼の評判を大いに高めた。

 日に一度は必ず子供たちの顔を見てまわる。クルスはできる限り子供たちを名前で呼ぶようにした。元気にしているか。足りないものはないか。一人ずつ、何かしら声をかける。時には幼い苦悩にもつきあう。以前の彼からは考えられないような笑顔もしばしば見せた。

 ――安いものだ。

 この散財は彼にとって二つの意味があった。ひとつは今までの悪評を払拭(ふっしょく)し、名声を高めること。もうひとつは、そうして引き取った子供らを自分に忠誠を尽くす私兵とすることである。

 クルスは幼いころに抱いた望みを、ずっと捨てずにここまでの道を歩んできた。

 ――強くなる。

 その純粋な望みは、やがて書物と出会うことで変質する。歴史を知り、古今の英雄たちにふれるに従い、彼の望みはより大きくふくらんだ。

 ――この世を、わが手に。

 そのために彼は自分を変えた。クルスは、力を望む多くの支配者がそうであるように、愚かではなかった。万巻の書は、天下を手に入れるのにもっともふさわしい方法を彼に授けた。

 ――世の者たちが、俺に従いたくなるようにすればいい。

 王道を行こうというのだ。それはもっとも時を要するが、もっとも確実な方法。利口な男はこうして善行に励むようになった。

 面倒を見る子の数が百を数えるようになったころ、縁談が舞いこんできた。相手はガルテアにもそれとありと知られた名家のひとつ、イゼルニア家。家中のものが驚き、そしてそれ以上に喜ぶ中で、クルスは一人、心の中でいぶかしげな目線を縁談をもたらした使者にむけていた。

 商家として、クルスの家は大繁盛しているわけではない。慈善事業に手を出してもつぶれないくらいの規模で、ガルテアにあまたある大商家から見れば小さなものに過ぎない。よしんば財を成したとしても、イゼルニアは何代もつづく名家である。家格のつりあいを考えればこのようなところへ縁談をもってくるはずはないのだ。しかしどれだけ使者を問いただしても

 「当主じきじきにご用命つかまつりました、間違いのあろうはずがございません」

 と繰り返すばかりで、しまいには、

 「そんなにこの話が気に入らぬと申されるか」

 と、切りかえされる始末。らちがあかぬと見たクルスは、承諾を匂わせながら返答を保留し、使者を追い返すと、翌日自らイゼルニア邸へとおもむいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。