#9 キス
名残惜しいが、みっちゃん先生の命令で席に戻る。
鈴木達が風花に笑顔で声をかけ、水沢が俺の肩を叩いて「やるじゃん」とニカッと笑った。
「だろ?」
「あそこまでバカだとは思わなかった」
「そこは褒めなさいよ」
「褒めてる褒めてる」
ぎゃははは、と水沢は笑って席に戻っていった。
自分の席に戻ると、伊藤くんまで
「佐伯くんって凄いね」
と言ってきた。
「凄いっしょ?」
「うん、凄いバカ」
「伊藤くんまで!?」
地味にショックを受けた。伊藤くんは普段から控えめで穏やか、暴言など間違っても吐かない優しい男だったのに。
「おいバカ、うるせえぞ。HR始めるから静かにしろ」
生徒をバカ呼ばわりは昨今じゃ問題があると思うよみっちゃん先生。
★
放課後、俺は風花に連れられて空き教室に来ていた。
逆さにして机の上に置かれた椅子は針山のようで、空気はどこか埃っぽかった。窓を少し開けると、蝉の声と初夏の熱気が入り込んできた。
風花は窓際に立つと、カーテンを背にして俺の方を向いた。
「追試を受けさせてあげようと思って」
「追試?」
「そう。赤点ギリギリじゃそーたも悔しいでしょ?」
風花は意地悪そうな笑みを浮かべると「はい、どーぞ」と手を後ろ手に組んで俺の目を見た。
あぁ、うん、なるほど。
うん……いや、照れるなこれ。だが覚悟を決めよう。
「風花、俺は……お前が、好きだ」
「うん」
「きっかけこそあれだったけど、お前とデートして、一緒の時間を過ごして、お前が見せる色んな表情にどんどん惹かれていった」
「……」
「そうして、いつしかお前を好きになって、ずっと隣にいたいと思った。俺だけが、お前の隣に」
「……うん」
「俺はお前に比べたら平凡な男だけど……この先もずっと、俺の側にいて欲しい。……その、恋人、として」
「……100点」
風花は俺の一言ひとことを噛みしめるように頷いて、花が咲くような顔で笑った。
「ふーかも、そーたが好き」
ドッと力が抜ける思いがした。同時に心臓が跳ね上がって、胸がどきどきした。
やべ、ニヤケが止まらねえ。
「平凡なんてこと、ないよ。始めは変なやつだと思ってたけど……そーたは優しい人」
「そうかな」
「うん。だって、そーたはふーかの顔だけじゃなくて、内面をちゃんと見てくれたから」
……風花は顔がいいだけに、人間関係で苦労をしていたそうだ。男子からはトロフィーか人形のようにしか見られず、女子からは嫉妬され。
褒められ、持て囃されたりしても、それは上っ面の言葉だけで風花の人間性を評価してくれる人はほとんどいなかったらしい。
「ふーかの行動をちゃんと見て、優しいって言ってくれた。そういうことに気づけるそーたも、優しい人だよ」
「自分じゃよくわかんねえや。でも、風花がそう言うならそう思うことにする」
「ん。それにそーたは、いつもふーかを笑顔にさせようとしてくれるし、ふーかもそんなそーたと一緒にいると楽しい」
だから、と風花は続けた。
「私も、蒼太が好き」
そう言って、風花は俺の胸に飛び込んできた。
髪から揺れる爽やかな香りを嗅ぎながら、俺はそっと風花の肩を抱いた。細くて柔らかくて、少しでも力加減を間違えたら壊れてしまいそうなそれを、慎重に、だが決して離さない力で。
「あは、凄いドキドキしてる」
「そりゃあな。生まれて初めて好きな女の子に告白して、好きって言われたんだぞ」
「誰かと付き合うの、初めて?」
「初めてだ」
「私も」
俺達は、しばらくそうして抱き合っていた。窓から優しい風が夏の匂いを運んできて、風花の長い髪を揺らした。
風花の熱を感じる。女の子とはこんなにもいい匂いがして、柔らかくて、無条件に守ってあげたくなるものなのか。
誰にも渡したくない。改めて、強くそう思った。
やがて、風花が真剣な顔で俺を見上げて口を開いた。
「じゃあ」
「うん?」
「キスも初めて?」
「……うん」
「ん……私も、初めて」
風花はそっと目を閉じた。
長いまつげが僅かに震えていた。頬は少し赤く上気して、ふんわりと閉じられたくちびるの隙間から、白い歯とピンク色の舌が見えていた。
きれいだ。
素直にそう思った。
顔を近づけると、鼻と鼻が柔らかくぶつかり、甘い吐息がふっと漏れた。
僅かに角度をつけて、俺も目を閉じた。
そうして──
俺達は、初めてのキスをした。
とてつもなく長いようで、実はほんの数秒だったキスを終えると、風花は照れたように小さく笑った。
俺も笑った。
幸せっていうのはこういう気分のことを言うんだろう、と思った。
「キス、しちゃったね」
「うん。これからも、たくさんキスをしよう」
「ん、嬉しい」
そう言って、今度は風花からキスをしてきた。くちびるを軽く合わせるだけのキスだった。
好きな相手とするキスとは、こんなにも気持ちがいいものなのか。
「ねえ、これからの私のはじめては全部蒼太にあげる。だから、蒼太のはじめても全部、私にちょうだい」
「わかった」
「あと、もう他の女と二人っきりにならないで」
「もちろんだ」
「朝と寝る前、おはようとおやすみの挨拶して」
「わかった」
「会うたびに好きって、かわいいって言って欲しい」
「約束する」
「家族にも紹介したいし、して欲しい」
「都合をつけておくよ」
「駅前のクレープ屋台、行きたい」
「この後すぐにでも行こう」
「思い出、いっぱい作りたい」
「俺もだよ」
「一緒の大学行きたい」
「勉強頑張るよ」
……重い。
「あとね」
まだあるのか。
「もう一回、キスしよ」
「喜んで」
★
こうして、俺と風花は恋人同士になった。
友だち連中には祝福され、冷やかされまくった。そういうのも、悪くない気分だった。
華からは「ようやく蒼太も幼馴染離れできたかー」と言われた。心外だ。駿輔は早速ダブルデートの提案をしてきた。例によって映画だった。
華と風花は、なんだかんだ仲良くなったようだ。たまに彼氏を放置して二人で遊んでいるらしい。
学校はすぐに夏休みに入った。
毎日会うわけにはいかなかったけど 電話とLINEは欠かさなかった。
会うたびにかわいい、好きだと伝えると、風花は返事代わりにキスをしてくる。
どうやら、風花はキスが好きなようだ。そういう新たな一面を知って、色々な顔を見て、また少しずつ、俺は風花を好きになっていった。
きっかけこそしょうもないものだったけど、ひとつひとつの想いと行動が積み重なって、今がある。
夕暮れの公園のベンチで風花の重みを肩に感じながら、ふとそう思った。
あの時は勢いと対抗心だけだったが、行動して本当によかったと、今は思う。
「ねえ、蒼太」
「ん?」
「愛してる」
風花は大輪の花のような笑顔を浮かべて言った。
「これは、嘘じゃないからね」




