第1話嘘のはじまり
足音が、やけに大きく響いていた。
逃げ場などないと分かっているのに、は振り返ることができなかった。
「――玲花」
名前を呼ばれた瞬間、終わったのだと理解する。
抵抗はしなかった。
いや、できなかったと言うべきだった。
仲間は、もう捕まっている。
あの人も。
あの人も。
――あの人も。
玲花はそっと目を閉じる。
何も言わなければ、すべてが終わる気がした。
「お前を拘束する」
感情のない淡々とした声。
それでも玲花は、一度だけ顔を上げた。
「……やっていません」
口から出たのは、嘘だった。
自分でも驚くほど、迷いのない声だった。
気がつくと、そこは見知らぬ部屋だった。
白い天井。
柔らかな寝具。
整えられすぎた静かな空間。
玲花はゆっくりと身体を起こす。
「……ここ、どこ……?」
拘束されている様子はない。
身体も問題なく動く。
警戒しながら扉へ向かい、そっと開ける。
廊下には誰の気配もなかった。
逃げようと思えば、逃げられる。
そう思った、その時。
「起きたんだね」
背後から声が響いた。
玲花は反射的に振り返る。
その瞬間、息が止まった。
金色の髪。
整いすぎた顔立ち。
まるで現実感のない、美しさを持つ男だった。
男は静かに微笑む。
「体調は大丈夫?」
穏やかな声だった。
あまりにも自然で、ここがどこなのか一瞬分からなくなるほどに。
「……あなたは」
問いかける玲花の声は、わずかに震えていた。
男は一歩だけ近づく。
距離を詰めすぎないまま、逃げ場だけを奪うような位置で止まった。
「無理しなくていいよ」
優しい声音。
「ずっとここにいればいい」
その言葉に、玲花は返事ができなかった。
優しいはずなのに。
どこか、引っかかる。
「ここは……?」
「君のための場所だよ」
男は迷いなく答えた。
「外にも出られるし、好きにしていい」
「……好きに?」
「うん」
男は柔らかく笑う。
「君が安心できるようにしてるだけだから」
安心。
その言葉だけが、妙に軽く聞こえた。
けれど、否定する理由もなかった。
行く場所はない。
帰る場所もない。
「……玲花、でいい?」
玲花は小さく目を見開く。
初対面のはずなのに、彼は自分の名前を知っていた。
「……はい」
小さく答えると、男は少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ、玲花」
その呼び方には、不自然なほど親しげな響きがあった。
「これから、よろしくね」
拒絶の言葉は出てこなかった。
ただ、胸の奥に小さな違和感だけが残る。
ここにいてはいけない。
そんな感覚。
それでも玲花は、その違和感に名前をつけることができなかった。
――そして彼女は、まだ知らない。
この屋敷のどこにいても。
何をしていても。
常に誰かに見られていることを。
そして彼も、まだ知らない。
玲花が、嘘をついていることを。
――第1話 終――




