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113.

「消息を絶つ直前、彼女が何をしていたか判然としない。何しろ先程話したような調子だった。言葉も具体的に聞いていなかった。確か、いつも通り何かを思い付いたかのようだったと思う。高い声で笑いながら、黒板に文字を書き足し、何に使うか知らない機械を慣れたように触っていた。彼女があの薄暗い研究室に来なくなって、けれど私は一切動かなかった。動くようにと命じられていなかったからだ。

 そこからもどれほど時間が経ったかは正直わからない。私はずっと、動かなかった。動くことを命じられていなかったからだ。何があっても……どれだけ時間が過ぎようとも、私が動くことはなかった。動くことを命じられていなかったからだ。それから研究室全体を揺らす大きな揺れが度々起こった。室内はその度に荒れ、書架は散らかり、機械が倒れ、そして、ひと際強い揺れで、私を繋いでいた金属線が外れてそのまま倒れ込んだ。私は立ち上がらなかった。動くようにと命じられていなかったからだ。以降も揺れは続き、天井から降った塵が頭に掛かり、倒れたドラム缶からこぼれた廃油に身体を浸し、永く永く、放置され放棄され、それでも私は動けなかった。動くようにと命じられていなかったからだ。

 ある日、天井が抜けた。自分が地下に居たということもこの時ようやく知った。わたしの身体は土砂や礫で埋まった。それでも、姉は戻ってこなかった」





「そうなって、突然……私の腕が、動いた」


「理由などわからない。後から適当にこじつけるしかないようなものだろう。瓦礫を持ち上げ、部屋の形すら消えたそんな穴の底で、私は立ち上がり空を見た。何もかもが赤く見えた気がした。身体の内側が、眼の奥が、頭の中が灼ける様に感じた。その時の私はそれを、憎悪だと認識した。勝手で作り出され、勝手で他人の記憶を植え付けられ、勝手で貶められ、勝手で棄てられた私にはきっと、この理不尽への復讐が赦されているはずだと……天が私にその使命を与えたのだと。

 私のいた地は攻め落とされたと、前に話したと思う。本当は私が……私がやったんだ。赤らむ視界に全ての責任を押し付けて、呼吸もしていない筈の躯体の胸が焦げる感覚に背中を押され、殺した。如何は問わなかった。見えたもの全てが私の存在を侮辱したと思い、殺した。何か、赤黒い何かが、私を突き動かした。君くらいの子だって手にかけたはずだ。それすら、正しく覚えられていない。むしろその時の私は、殺めた数が分からなくなる程でなければ、私の復讐心への正当性を示せないと思っていたのかもしれない。

 理性を取り戻して赤黒い何かは消えていた。しかし肝心のことだけは成せていなかった。姉への報復だ。死体は積み上げたが、肝心の一人だけまだ殺せていなかった。それからの私は、突き動かされるように姉の居場所を探り始めた。鉄の身体に宿った復讐心に酷く酔い痴れて、どんなことでもできた。研究所に残された資料に当たって私の躯体がそう長く保たないことが判り、そのことも私の行動に拍車をかけたと思う。

 自ら考え、自ら動く。私は最早鉄の塊ではない。人間になった。そう、思った。マスクを被り、コートを羽織り、人に化け、もはや人に成り代わる。それも、私の感情を高めてくれた。

 姉の行動を逆算して情報を辿って、私はようやく掴んだ。アムシース……秘術の街。目的はどうやら希少な鉱石らしく、その取引に向かったらしい。どうでもいい。この鉄の身体の命を侮辱した愚かな創造主に正義を執行する。その為なら、何でもできる……はずだった。

 あの日、あの噴火のことを知った日、頭の中全てが真っ白になった。復讐の為だけに突き動かされた私の生は、急にその意味を失った。辿り着くはずだった私の目的は、全て灰の中へと消えたんだ。だがそんなこと、直ぐに信じられるわけがない。信じられたわけがない。冗談じゃない。燃やし続けたこの感情をどうすればいい。私の生きる意味をどうすればいい。そう考えた時、ようやく理解した。私は所詮、復讐心という「指示」に従っていただけに過ぎなかった。「指示」が消えれば、途端に自我を失い、生きる意味を失う。自ら考え、自ら行動したなどと……笑われてしまうことだろう。しかし、つい昨日まで自分の全てだったものだ。どうしてもその結末をこの目で確かめるまで気が済まなかった。……猛暑だった。灰に沈んだ地面を踏みしめ歩き、地図と遠景から、街のおよその場所を特定した。そして、確かにその場所に辿り着いて、私の旅は終わった。私の生は終わった。すべてはこの灰の下に消え、何もかもを失い、私の生も意味もなくこの灰の下に沈んだ」




「君に出会ったのはその時だった」



「私が君に付き従い、君の意向に従ってきたのは、君の為じゃない。私の為だった。私の生きる意味を作り出す為に君を利用した。自我もなく人間には程遠い私には、そうする事でしか私自身の存在価値を見出す事が出来なかった。

 初めはそれだけだった。だからこそ、君の旅がただ長くなることは本当にどうでもよかった。むしろ都合がよかったくらいだったのだろう。けれど、君と話し、心を通わし、世界を見る余裕が生まれ、そして、理解した。私という愚かさを理解した。

 人間でないこと、血で染めた経歴と拙い復讐心を知られること、そして、純粋な感情で手を差し伸べたのではなく私の私利私欲な考えの為に君を利用した……そんな薄汚い感情があったことを、出来ることなら知られたくなかった。君が私を見る眼が、そんな怖れを強めていった。

 だが……だが、信じてほしい。私は、何度も伝えようと思っていた。それが君に対する誠意だと思ったからだ。何度も何度も……だが、喉の奥底の黒く刺すような異物感となって、ずっと、私は吐き出せなかった。

 君の正体を知った時……申し訳ない、私は……ただ喜ばしかった。君は人間だ。間違いなく人間だ。私と違って、余りにも人間だった。身体構造上の差があっても人間に成れると、それは私に……君が抱いた後ろ向きな感情に対して無責任にも、余りに希望を感じさせてくれた。同時に私自身という存在の下らなさも実感した。私は何処か、自分が人間へ至らないのをずっと、この鉄の肉体の所為にしていた。けれど、そうじゃなかった。私はただ、私自身が浅薄な存在だから人間に成れなかったんだと理解した。生まれの謂れも育ちの如何も、一切関係しない。ただ、君は人間で、私は人間に成れなかった。それだけだと理解した」

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