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112.

 ハーツさんが重たい金属管を持ち上げて、ウォーレンさんの折れていない方の腕を引っ張ります。強く引き上げようとしたところでハーツさんは一度力を緩めました。ガシャガシャと耳障る音を立てて、胴から先が置き去りになり、無数のコードがピンと張りました。このまま引っ張るともっとまずいことになると誰でも理解できたでしょう。

「ハーツ!頼む、すぐ……」

「黙ってなさい!とっとと助けるから」

「違う!早くマリーをどこかに――」

「ウォーレン!」

 訴えを遮ったハーツさんの声に、ウォーレンさんはハッと見上げます。

「無理だよ。もう」

 それだけ聞いてウォーレンさんは、静かになりました。





 未だ灰に覆われた途方もない大地を歩きます。この地も幾度かの雨を経験していることとは思いますが砂のような乾きがまだ残っていました。胴体から上と胴体から下を順を崩さないよう抱きかかえたハーツさんは黙ったままで、わたしもこの空気感に呑まれて、最初はただ黙って隣を歩いていました。けれど、聞かなければならないことがあるように思いました。

 いつから、ハーツさんは知っていたんですか。

「……」

 どうして、教えてくださらなかったんですか。

「……」

 わたしは質問したはずですが、その返答はあまり期待していなかったかもしれません。知ったところで、何も変わらないのです。胴体がかろうじて繋がっている状態のわたしの恩人が、子供のように黙って顔を伏せるくらいで済んでいるなんて。

「……ウォーレン」

 ハーツさんは手に抱え上げたその半身と半身に呼びかけます。

「ちょっと、ここで待っててくれる?」

 腰を下ろし、ウォーレンさんが腕の中から降ろされます。しかし腰で腹部から上を支える能力を失っているウォーレンさんは、座り込むのではなく灰の上にそのまま寝かせられる形になります。折れた腕の位置もわざわざ整えてハーツさんは立ち上がり、そして促されて、わたしたちはその場から少し距離を取りました。声が聞こえるかどうかよりも、心理的な距離を稼ぐためだと思います。

「質問の答えだけど……」

 ハーツさんは、どことなくわたしから目を逸らしながら、

「カンランに着く、あの少し前。……ちょっとした事故みたいなものでね。あいつの身体のこと知っちゃったのよ」

 事故というのは何ですか。

「それはまぁ……事故は事故、よ。いろいろすれ違って、みたいな……まあ説明が難しくて……」

 ハーツさんはこの一件とは関係ないことであることを強調するかのようでした。確かに、関係もないことです。今問題なのは、あの人のことでしたから。

「……ある程度のことは聞いたわ。その上で黙っておいて欲しいって言われて、申し訳ないけど、それでマリーには黙っていたの。アルカも勿論知らない。何故秘密にしてほしかったのかとか、ウォーレンのこれまでのこととか……その辺りは、本人がちゃんと話すべきだと思うわ。あたしが伝えるのとウォーレンが伝えるのとじゃ、やっぱいろいろ違うでしょ?」

 ハーツさんはウォーレンさんの方を見ました。

「……ただ、あいつが話しにくいこと、話すのがつらそうなことは代わりにあたしが話しておくべきよね」

 一息をおきました。その間に心の準備を整えよ、ということでしょう。

「元より身体の調子が悪かったらしくてね、けど、『修理』してくれるような人はもうこの世にはいないって」





 ハーツさんに送り出されて、わたしは重い足取りで寝転んだ大切な人に近寄るしかありませんでした。目を逸らせば何か現実が変わっているんじゃないかと、あり得ないことだって期待してしまいます。けれど、灰だらけの地面の上に寝かせられた彼は、折れた片腕の先はピクリとも動かないのに、肩は時々、何かが繋がっていると思い込んだように金属線や鉄心を動かします。折れていないもう片方の腕は、ウォーレンさんの自分の顔を隠していました。そうしたとして、姿が消える訳でもないのに。

「……理解した」

 口を動かしました。

「あの時の君は、こんな気分だったんだな」

 わたしは、ウォーレンさんの顔の隣に座りました。

「……なら、君は本当によく我慢していたんだろう。……私には、とても耐えられそうにない。消えてしまいたいくらい……消えてしまったとしても尚、心に深くとげが刺さったような、そんな気分だ」

 わたしは、何を言葉にすればよいのか分かりませんでした。顔を見せてくれないからでしょうか。

「……私は……私の正体は、見ての通りだ。金属でできた、命とはかけ離れたただの機械。私も、君と同じだったんだ。私だって、人間じゃなかった」





「いつか君や、ハーツ達に語ったウォーレンという人物の物語は、一つ、重要な結末の嘘が混ざっている。死だ。兵卒ウォーレンは戦地にて死亡した。状況は確かではない。死の直前、彼は塹壕で自身の小銃を抱えて張り詰めた戦場で束の間の休息を取っていた。恐らく砲弾にでも吹き飛ばされたのだろう。……私の意識は、そのように終わる人間の、記憶だけを所持した状態で、薄暗い研究所の室内で目覚めたところから始まった。無数の金属線に繋がれ、傍に居た一人の人間にじろじろと見つめられていた。私の記憶……私が「所有」していた記憶の中に、該当する人物がいた。ウォーレンの姉に相当する人間だ。髪の状態や顔色、格好等が記憶の中の人物像とはかけ離れていたが、同一人物であると断定するのは容易かった。そして、目を見開いて口角を上げたかと思えば傍らの黒板に文字を書き出し、高い声で笑ったり、かたや髪を掻きむしって嗚咽を吐き出したりもした。

 それを、私はただ眺めていた。眺めるだけだった。なぜなら、動くように命じられていなかったからだ。

 数日か、数か月か、数年かは分からない。毎日、私は彼女の顔を見ていた。ずっと同じように、私の顔をまじまじと見つめるか、狂ったように笑いだすか、黒板をただ殴り続けるか……殆どこの三つと考えて大差ない。その間もずっと、わたしはただ動かなかった。動くようにと命じられていなかったからだ。鬱々としたときの彼女はずっと、ぶつぶつと同じことを呟き続けていた。違う、違う、違う、これはウォーレンじゃない、ずっとそう言っていた。私は、それを黙って見るだけだった。何もしなかった。ずっとずっと、動くことすらしなかった。動くようにと命じられていなかったからだ。そんな生活が続いた」





「ある日、彼女は姿を消した」

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