第九話 復讐の戦士
強くなりたい。もっと強く。
焼き焦げた匂いで目を覚ました。惨状を認識すると同時に吐いた。
目の前に広がるのは地獄。炎と瓦礫と血と骨と。数えきれないほどの死が横たわっていた。昨日まで充満していたはずの人と自然の力強い生命の息吹は悉く滅びていた。
俺は家族の名を叫んだ。もはや無意味な行動だとわかっていながら、俺の弱い心はそうせざるを得なかった。
なんて無駄な時間だ。その行為の先に絶望以外の何がある。
何もない。
何一つない!
何度も吐いた。胃の中が枯れるほどに。
家族の亡骸を抱きかかえ、獣のように叫んだ。怒りと憎しみによって叫ばされたのではない。それは誓いの咆哮だ。
必ず殺してやる。
この地獄を作り出した連中を一人残らず本物の地獄へ送る。
燃え盛る業火は、いつしか己の魂さえも焼いていた。
「……聞いておるのか!羅漢族の男!」
王の側近を名乗る小男が地団駄を踏んでいる。小奇麗なカーペットに小さな足跡が残る。
「仕事の依頼だろう。前置きは不要。本題に入れ」
「なんだ、その態度は!」
「よせ」
長身の男が小男を手で制する。無駄のない所作だ。同じ側近でも実力はまるで違うらしい。
「貴殿の言う通り、ラットウィッジ王の命である」
男は調書を広げてみせた。
「標的は二名。こちらがその人相書きである。なお、これは王自ら描いたものであるからして、心して確認するように」
手渡された用紙を広げる。下手糞な似顔絵だ。
女の方は派手に髪を染めている。三食団子を想起させられる色合いだ。この頭髪なら遠方からでもすぐに判別がつくだろう。
男の方は、ある一点を除いては何の特徴もないように見える。似顔絵通りの風貌だとすれば戦闘能力は皆無だろう。戦うことを知らない間抜け面だ。
「少女の名はマーブル。王城への不法侵入罪6件と窃盗未遂罪1件で処罰を受けた罪人である。少年の正体は不明。見慣れない服装から放浪人である可能性が高く、此度の重大事件の実行犯である疑いが濃厚である。両名は二時間ほど前に王城から脱出し、羅漢の里へと続く林道を進んだ模様。マーブルは生け捕りにし、少年は殺せ。それが王の命である」
「余計な情報が多い。捕縛と暗殺、その対象がどちらかという点のみで構わん」
「なんという不遜な。貴様ら一族の者は我らが仕事を与えねば――」
がなり散らす小男の首を掴んだ。
「ぐえっ!な、なにを……」
「知らんようだから教えてやる。一族の人間はもはや俺以外にはいない」
小男は怪訝な顔をしたが、数秒後に自分の失言に気付いたようだった。
「い、今のは、言葉のあやで……わ、わるかった……」
「シバ・羅閃殿」
長身の男が一歩前に出る。
「不用意な発言で気分を害してしまい申し訳ない。その男には私の方から厳重注意を行うので、この場は怒りを鎮めていただきたい。まだ話が途中である」
小男から手を離した。
「豚野郎の皮脂で指が汚れた」
腕の包帯の一部を破り、指を拭いた。長身の男がそれを受け取り掌で燃やした。多少なりとも魔力を扱える者であれば造作もないことだが、やはりこの男はかなりの手練れだ。
「お前が取り逃がすほどの相手か。こいつらは」
興味本位で尋ねた。
「それはどういう意味であるか」
話す気はない、か。王の側近としては正しい姿勢だ。
話の続きを促した。
「マーブルの生け捕りの際には荷物もすべて持ち帰ること。荷物の内容はこちらで検査を行うため、荷物には手を付けずそのままの状態で引き渡すこと」
「舐めているのか。羅漢の戦士が盗みをするとでも」
「少々の無礼は許していただきたい。これは国家の存続にまつわる重大な案件であるのだ」
「何が重大。こちらは数日前に地獄を見たばかりだ」
似顔絵を握り潰した。意図せず拳に万力が籠る。
全身を包む甲冑は皹だらけだ。関節部の至る所から軋むような音が滲み出る。
「羅漢の里での惨劇は我々もつい先ほど知った。耳を疑うとはこのことである」
「この目で見たものは疑いようがない。あいつらは必ず殺す。必ず、俺の手で」
たった一夜の間に何もかもを奪われた。
友も家族も。いつかの憧憬さえ。
「この特務とやらを片付ければ条例は解除するんだろうな」
「無論。非常事態により領土外への通行を禁じる条例を緊急発令したが、この二人の始末がつけばすぐにでも解除されよう」
「承知した。最後の確認だが、この男……」
似顔絵の皺を伸ばす。男の方の頭髪を指した。
「角が二本生えているように見えるが、鬼族か?」
似顔絵を男に手渡した。一貫して無表情な男がかすかに眉をひそめた。
「確かに角に見えなくもないが、鬼ではありえないだろう。いかに人に化けようと鬼には特有の妖気がある。ゆえに城のどこに現れようと、あるいは逃げようと、確実に探知できる。しかし、この男の気は弱すぎて探知できぬ。謎は多いが、ただの人間と判断できる」
すっかり大人しくなっていた小男が口を開いた。
「待て、この絵を描いたのは王だ。絵に対する疑問は王に聞くのが筋だろう」
「王に問うべきか。では、シバ・羅閃殿、少々待たれよ」
長身の男は小男を連れて退室した。
手元に残った女の方の似顔絵を見る。姉とは似ても似つかないが、女を相手にするのは抵抗を感じる。こちらが生け捕りの方で良かったと感じるのは俺が甘いせいだ。
テーブルの上のカップには黒い液体がなみなみと注がれていた。嗅いだことのない匂いだが、品質の高い飲み物だということはわかった。それでも飲む気にはならない。
あの地獄の夜が明けて今日で四日目。俺はあれから何も口にしていない。
「待たせた」
長身の男だけが戻ってきた。
「結論が出た。この二本の角は、単なる寝癖と考えて良いとのことである。やはり鬼ではない」
「そうか。まあ、鬼であろうとなかろうと俺に不都合はない」
「イッチという男は放浪人だが、何らかの手段を用いてマーブルの不法侵入を手引きしたという見解である。貴殿には要らぬ忠告であろうが――」
「よせ。その言葉の先は侮辱だ」
部屋の窓を開けた。いくつかの力の気配が風に乗って流れてくる。
標的は林道に向かったと言っていたが、あの辺りは猛獣が多い。気配が紛れて容易には索敵ができない。地道に探すしかないだろう。
「林道まではそれなりの距離がある。希望するのなら馬を手配するが」
「いや、結構。森には馬をも喰らう獣がいる。余計な戦闘は避けたい」
「ならば走るか。なるべく急いでもらいたいところではあるが」
「知っているだろう。羅漢族は龍を使う」
左腕に装着した龍気甲に右手を滑らせる。この手甲に刻まれた術式に闘気を込め、名を呼ぶことで竜の力を使役することができる。
四日前、地獄の日。その始まりの数時間前に、俺はこの力を継承したばかりだった。
「召龍儀。古より出でし無歯の翼竜よ。その力を我に示せ」
一体どれほど足を動かしただろう。
いつになったら足を動かさずに済むのだろう。、
「マ、マー……マ、ブル……。す、少しだけ、ペースを落としてくれ……」
俺は今すぐ仰向けになりたい気持ちを堪えながら、先頭を進むマーブルに声をかけた。
「はい。私もかなり体力を消耗しました」
マーブルはそう言って振り返った。さすがの体力おばけも、息が上がり始めたようだ。
「しかし、ゆっくりでももう少しだけ進みましょう」
「え~!」
小学生のような抗議の声を上げてしまった。
「何か嫌な感じがします。ずっと何かに見られているような感覚があります」
「何かって……」
辺りは林に囲まれている。だんだんと空が白ずんできたおかげで、だいぶ見通しは良くなってくなっている。今のところ猛獣には遭遇していないが、この世界には何がいるのかわからない。
「あ」
と、何かに気付いたようにマーブルは声を発した。
「え?え?何か出たの?」
俺は慌てて周囲を見回すが、何もいない。
「たぶん追っ手ですね。逃げても捕まりますね、あれでは」
マーブルは前髪をかき上げて、空を眺めながら冷静に言った。
俺はおそるおそる空を見上げると――そこには、ドラゴンがいた。
いや、よく見ると――
水蒸気?炎?オーラ?のような……とにかく、生物じゃない。
竜の形状のオーラ。そういう表現が一番しっくりくる。
その竜の背に乗っている奴がいる!
竜のオーラは霧散し、竜の背に乗っていた人物は数十メートルはある高さからなんなく着地した。どう考えてもただ者じゃない。
カチャ、カチャと金属音を立てながらこちらに歩み寄ってくる。その男は、皹だらけの甲冑に身を包んでいた。
「見つけたぞ」
男の低い声が響く。
夜明け前が一番暗い。
なぜか俺は唐突にそんな言葉を思い出した。