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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第六章 桜の花
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6-6 天才の片鱗(過去編)

「よろしくね、霧島啓介くん。あたしは桜花皐月。あなたを救う陰陽師よ」

 自分の名前を呼ばれた啓介はビクンと肩を揺らした。

「嘘だ、無理だよ。誰も助けてくれなかった。みんな嘘つきだった」

 初めて聞いた啓介の声は、頼りなくて弱々しいものだった。

「近寄らないで……。僕に近づいたら、死んじゃう。火がついて、死んじゃう」

「死なないよ」

「嘘だ、みんな燃えちゃう。本当だよ?」

「燃えないよ」

「嘘だ!」

 気が高ぶった啓介の両腕から、黄色い光が漏れ出す。その光が一瞬で消えたかと思えば、再び閃光がほとばしり、今度は黄色い物質が現れ、啓介の両腕を燃やす。

「ぁあああ!」

 黄色い物質が砕け、火の粉のように弾けた。そして矢のような形を成して皐月に襲いかかる。

 そのような事態に、退魔師の幹部は誰一人動かない。あるものたちは桜花皐月の実力を熟知しているため助ける必要を感じない。あるものは桜花家への好奇心から、事態を見守っている。

 皐月は左手を上げ、人差し指を自らの唇に当てた。そして、軽く息を吐く。それだけで、襲ってきた黄色い矢は跡形もなく消え去った。

 啓介の眼が驚きで見開く。

 飛び散っていた黄色い物質は啓介の腕に集り、輝きを増した。

「いけない」

 呟いた皐月は啓介に近づく。

「寄らないで、嫌だ……」

 明らかに啓介は取り乱している。少し安定していた精神が再び乱れる。このままでは全身を発火しかねない。

「紫……!」

「はい」

 呼ばれた式神は最初からそこにいたかのように応答する。皐月の傍で跪く短髪の美女。丈の短い着物からは白く艶かしい脚が覗いている。

「お呼びでしょうか?」

「御言とやらを教えて。あるんでしょう? 桜花流の式に」

 紫が眉をひそめる。

「その式名をどこでお知りに?」

「話、聞いてなかったの?」

「ええ、主さまの呼びかけがないと出てこられませんので……」

「そう……でしたっけ?」

「ええ、本当に不便です」

「……そ、そうですか。それは不便ですね。そんなことより、すぐに術の式を教えて」

 恨みがましい紫の視線をはねのけ、皐月は動揺を隠す。

「この術はもう少し後に伝えたかったのですが……」

 声を落とした紫は啓介を見やり、ため息をついた。

「仕方ありません。いいでしょう。主さまなら、あるいは……」

 すでに啓介の腕はドロドロに溶けている。

「早く。式は?」

「落ち着いてください。そう急いては成功するものも成功しません。まず、式はすでにあなたさまの体内につくられております。これまでの鍛錬はその式をつくりあげるためのもの。相手の魂――退魔師で言うところの霊気を正確に読み取り、操り、変化させることが桜花流の真髄。簡単に言いますと、相手の魂を言葉に宿る霊に書き換えるのが言霊。言葉は御言となります」

「もっと簡単に言って」

「つまり、魂を言葉で縛り付けるのですよ。その男子に『落ち着け』と御言を与えれば、霊が鎮まり、症状も治まるはずです」

「それだけなの?」

「はい。式の発動はいつもより指を一本増やしたほうがよろしいでしょう。それと、発動したあとは目的の御言以外は口にしてはいけません。力が弱まります。言葉の数が多くなれば力が分散してしまう。だいたい三、四文字程度が強制できる御言の限度でしょう」

「わかった」

「では集中してください。『落ち着け』という言葉は本来、気を収めるべきところに落ち着かせるという意味合いです。それを意識し、理解し、己の魂を吐き出すように言葉を並べるのです」

 目をつぶった皐月は、左手の人差し指と中指を唇に当て、フッと息を吐いた。

『落ち着け』

 その四文字の御言が空気を揺るがす。

 全ての音が止む。

 皐月は式を解き、啓介の様子を見る。黄色い物質の存在感が希薄になっている。しかし、消滅していないということは、失敗したということだろう。

「失敗……?」

 小首を傾げた皐月は、紫を振り返る。

 紫は驚いたとばかりにあんぐりと口を開いている。

「驚きました……まさか初式からここまで言霊をのせられるとは……美月さまでもできなかったことを……」

「あなた、失敗するってわかってたの?」

 皐月は責めるように紫を睨んだ。

「も、申し訳ありません。とりあえず術と主さまの相性を窺おうと思ったのですが……よくわかりました。次は失敗しないでしょう」

「もう、時間ないんだから、はじめっからちゃんと教えてよね」

 再び皐月は、指を唇に当てる。

「いいですか? この術は強力な呪です。相手を従わせ、喰らい、消滅させることができる強力な呪。主さまなら十分に理解しているかと思いますが、呪は己にもかかる恐れが非常に高い。今風に言うならリスクですか? そのリスクを恐れず、純度の高い御言を意識するのです」

 無言でコクリと頷いた皐月は、どこでもなく、ただ虚空を見つめた。

 霊が見える。死霊だけではなく、世界に漂い、世界を構築する元となる素。空気に漂う霊。モノに宿る霊。人に宿る霊。そして、啓介の中で蠢く……。

 なるほど、と皐月は理解した。

 啓介の中には多数の霊が混在している、ように最初は思えた。しかしそれは違う。混在することで一つの個となっている。木・火・土・金・水の五行が、啓介の内に混ざり合っている。確かにこれでは身体がもたないだろう。

 攻撃性が高い「火」が身体を燃やし、「金」が火に形を与え、燃えかすの「土」となって身体に戻り、再び身体を燃やす。治癒性の高い「木・水」が傷ついた身体を癒す。その繰り返しだ。 

 ――マグマの霊、いや、火山噴火という現象の霊。

 それが啓介を苦しめる元凶であり、啓介を形成する魂の元素。

 大地の熱が噴き出す火山活動。噴き出したマグマは溶岩となって地上を飲み込む。地中の「火・金・土」の暴君が地上の「木・水・土」を蹂躙する。地球上で起こりうる最大級の自然現象。その一連の現象が、啓介の体内で繰り返し行われている。

 現象の霊はたしかに存在する。

 しかし、現象の霊が人に宿るなどありえるだろうか? 

 皐月はそこまで思考を巡らせ、結局は自分の判断を信じることにした。だとすれば、この少年を落ち着かせるのは『落ち着け』では弱い。

 深く――深く息を吸い込む。

 漂う全ての霊を体内に取り入れて言葉に宿す。そうして言霊を生成。

 噛み砕かれ、ただの素となり、練りこまれた霊。生まれ変わった姿は言霊の精製。

 吐き出された御言は全ての霊を強制する最強の暗示。


『とまれ』

 

 その瞬間、時間が静止したかのように、世界は錯覚した。

 時計の針、立ち込める煙、空気の流れが止まる。

 生物は独立した無意識による身体活動以外の、意識的な活動を止める。まばたき、呼吸、思考……これらが止まり、植物になってしまったかのように動けない。

 部屋にいる人間の、心臓の音だけが谺する。それも、呼吸ができなければいずれ止まり、死ぬ。

 皐月だけが、この不動の世界で生きられる唯一の存在。

 ――おかしい。

 周りの人の様子がおかしい。止まっただけにしては放心しすぎている。魂が抜き取られたかのように空っぽの存在に思えた。

 ――やりすぎた。

 そう思って、すぐに術を解く。

 止まっていた活動が再開し、老人たちが激しく咳き込んで息を吹き返した。松島は「なんだこれは」と驚きながら、ニヤニヤと笑っている。

 紫は、青ざめた顔で皐月を睨んでいた。

「…………馬鹿な」

「うっ……ごめんなさい」

 素直に謝った皐月に、紫は首を左右に振る。

「いえ、謝る必要はありません」

「で、でも紫、怒ってる……」

「これは自分に対して怒っているのです。予測できなかった……」

「え?」

「やはり主さまは、桜花家の当主にふさわしい才覚をお持ちのようです。それよりも、言霊は成功です。一時的にですが、少年は助かりました」

 言われて、皐月は啓介に目を向ける。

 黄色い物質は消え去り、荒ぶっていた感情も安定している。

「主さま、なぜ言葉を変えて『とまれ』と?」

「えぇっと……循環によって引き起こる現象だと思ったから、止めたの。『落ち着け』だと流れが弱まるだけだから」

「……?」

「あとで説明するわ。それで? 予測できなかったってどういうこと?」

 少し黙り込み、紫は申し訳ありませんと呟いた。

「主さまは言霊をつくりだすとき、周りの霊を吸い込みましたね? そのとき、我々の霊も主さまに吸い取られたのです。つまり、我々が動きを止めたのは言霊にかかったからだけでなく、あなたさまに喰われたからなのです」

「あたしが? 喰った? みんなを?」

「はい、言霊の対象である少年は無事に救われましたが、我々は危うく主さまの体内に取り込まれるところでした」

「じゃあ、あたしは別の式を使ってしまったってこと?」

「はい、正確に言えば二つの式を併発してしまったのです。もともと言霊はそれほど実用性の高い術ではありません。強制できる命令にも限りがあります。敵を殺すことも消滅させることもできない。できたとしても、行動や心を変えさせる程度です。しかし主さまはもう一つの術を使うことで言霊の効果を強力なものにした」

「それが……」

「鬼喰いの術……だろう?」

 ニヤニヤと楽しそうに口を挟んできたのは松島だった。


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