第三話 まひるの場合、梅雨の頃—①
窓を開けて、とりあえず、ふうと一息ついた。
視界に広がるのは、目一杯の灰色の雲たちと、降り注ぐ雫、土日の学生街の静かな姿。
ぽつぽつと、雨音は絶え間なく鳴り続けているのに、どうして静かなんて言葉が出てくるのかは不思議だけれど。でも、静かっていう言葉以外で、この景色を表せる気がしない。
そんなことをぼんやりと考えながら、梅雨の日の、ちょっと億劫な洗濯物の作業に映る。
もう早いもので、気づけば六月になった。
あさひとの同棲生活が始まってはや二か月。
最初の方は、愛してるゲームでどたばたしていたけれど。さすがに私も警戒して引き分けが多くなってきたからか、最近はちょっとなりを潜めてる。
ゆえに心穏やか、と言いたいところではあるけれど、そういう油断を実は狙われているかもしれない。なんてことをぼんやりと考えながら、私とあさひの洗濯物を、室内のハンガーに吊っていく。
途中、自分が胸に付けている平坦な物品より、はるかにでかい物をまじまじと改めて見てしまったけれど、幸いあさひに発見されることはなかった。実際これ、いくつくらいあるんだろう、Dか……Eか?
なんて益体のない思考と、洗濯物を干しを終えて、うーんと身体を伸ばす。久しぶりに授業もバイトもない平和な土曜日。ここんところゆうのイベントに駆り出されたり、よぞらの試合に応援に行ったりで、あんまり落ち着く暇がなかったから、こんなにゆっくりできるの久々だ。
なーにしよっかなーって考えるけれど、いまいちぱっと答えは出てこない。
二人暮らし用の少し広い廊下をとてとて歩いて、リビングに当たる場所へ。そのまま洗濯物を入れるために開けていた窓の傍に、なんとはなしにすとんと腰を下ろした。
雨が、降ってる。
しんしんと、ぽつぽつと、ざあざあと。
湿気たような、どことなく苦いような、雨の匂いと。灰に染まった空と、街をただ眺める。
こうやって、暇な時間になると、改めて自分の無趣味具合を思い知らされる。
熱を込めて打ち込むものもない、己の尊厳をかけて叫ぶこともない。
ただありふれて、ただ漠然としたそんな時間。
胸の奥に少しだけ孔が開いてるような、幸せなはずなのにどこか満たされないような、そんな安っぽい虚無感だけが身体を満たしてく。
…………望んでこうなっているはずなのにね。
そう軽く欠伸をしていたら、とんとんと音がして、振り返ると部屋着の姿のあさひ肩くらいまでの髪を揺らして、気の抜けた顔でそこにいた。さっきまでゼミのレポートをしていたはずだけど、もう終わったのかな。
「ふー、ひとだんらくー」
「おつかれ、レポート終わった?」
「とりあえず、ねー。後でちょっとゼミの人と見せ合って、修正だけする感じ」
「えら、私そんなの全然してないよ。書いたら書いたまんま」
「はは、学部違うからねー、うちのゼミの先生厳しいから、対策必須なんだよねー」
そうやって、とりとめもない話をしていたら、あさひはすとんと私の隣に腰を下ろしてきた。肩がくっつくくらいの距離だけど、最近はさすがにちょっと慣れてきてこれくらいじゃあ動揺しない。
かすかに触れる暖かさをむしろ心地よく感じているくらいだったりする。
「ていうか、洗濯ありがと。次は私がするよ」
「んー、いいよ? いっつもやってもらってばっかだし」
私がそういうと、あさひは隣で気の抜けたような顔のままふるふると首を横に振った。
「だって、まひるちゃん一杯バイトしてるから、代わりに私がやるのは自然でしょ」
「まーでも、私がバイトしてるのは、うちの事情だし。それのツケをあさひに払わせんのは気が引けるって。バイトの日、ご飯いっつも作ってもらってるし」
「んー、それは……半分私が楽しくてやってるので、お気になさらず」
「そっか……でもまあ、多少やらせてくれると、ありがたいかな。この前ちょっと危機感抱いたから……」
そう言って、私が苦笑いを浮かべると、あさひは不思議そうに首を傾げた。
「危機感?」
「ほら、ゆうんとこさ、家事ほとんどよぞらにやってもらってるって話……」
そんな言葉に、あさひはあー、って納得しながら頷いた。
「あれ、衝撃的だったねえ。おはようからおやすみまで、髪のセットとお風呂上がりのケアまでよぞらちゃんがやってるって言ってたっけ」
「……さすがにあれにはなりたくないかな」
まあ、ゆうのやつに生活能力がないのはわかりきってたことではあるけれど。まさか、あそこまで全部やってもらっているとは。というか、やらせてみたらあまりにも壊滅的だったから、見兼ねたよぞらが全部奪ったって認識が正しいのかもしれない。
「あはは……あれはよぞらちゃんの完璧主義にスイッチ入っちゃってるところもあるから……」
そういって、あさひは困り顔で笑ってた。
それに私も苦笑いで返して、それから、ぽつぽつと話しを始めた。
雨粒が落ちるみたいに小さく、少しずつ、途切れ途切れに言葉を紡いで。
絶え間ない雨音なか、ただ静かに、そうやって二人で言葉を交わしてた。
梅雨の日の雨の土曜日のことだった。
きっと、何でもない日の、そんな些細な光景だった。
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