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第十五話 あさひの場合、学期明けの頃—②

 「あんた……あんた!」


 「はいはい、人聞きの悪いこと言ってないで、とりあえず落ち着いてください」


 何気ないフリで言葉を遮って、周囲の視線が集まる前に、何事もないように真宵さんの向かいに腰を下ろす。……はあ、なじみの喫茶店だから、目立ちたくないんだけれど。これ、今後大丈夫かな。


 そんな私に真宵さんは、涙目でわなわなと口を震わせたままだ。ただ、しばらくすると、自分の大声と周囲の奇異の視線に気が付いたのか、そっと目線を下ろすと背を丸めるようにして椅子に座り直した。


 少しぼたったした服を着て、私と似た背たけくらいの細身の女性。整っているけど、どことなくきつさの漂っていた眼つきは、今は自信なさげに揺れている。そして、深めに被った黒色の帽子と大仰なサングラスで顔の大半が隠れている。ザ・不審者スタイルって感じかな、ストーカー検定あったら三級くらい、まだまだですな。


 如月 真宵。


 かつてのまひるちゃんの相棒で、ぱららいずの作曲を担当していた、まひるちゃんと並ぶ主要メンバー。


 ただ、今はまひるちゃんと同じく音楽活動もしてなくて、表舞台から姿を消しているはずだ。


 …………ていうか、今更だけど、寝取り女ってなんだ。今のところ、私はまひるちゃんとそこまでの関係にはなってないぞ。


 「な……何しに来たのよ」


 「こっちのセリフです。あなたこそ何してるんですか、もう、まひるちゃんに付きまとわないって、確か去年、約束してましたよね?」


 私がそう言うと、私のことを涙目で睨むようにしていた視線が、ぐっとひるむ。我ながら、少し怒っているので、言葉がちょっときつくなってるけど特に止める気もしない。この人相手には、私はあまり加減しないことを決めている。


 「そ、そういうあんたこそ、約束破ってるじゃない!」


 「…………はあ?」


 そういう真宵さんはすっかり涙目で語気も荒くなっていて、いったい何がそこまで彼女を駆り立てているのやら。私は背後から、雰囲気を怖がってか恐る恐る寄ってきた店員さんに、ジェスチャーでアイスカフェラテだけ注文しながら、首を傾げる。


 約束? そもそも私、この人と何か約束をしてただろうか。


 なんて、呆れに口を開いていたら、真宵さんはぐぎぎとしばらく唸ってから、まるで苦汁を口から絞り出すように言葉を零した。


 といっても、私、そんな大層なことしてる心当たりが―――。



 「あ、あんたが、まひるに、何度も何度も、一つ屋根の下で迫ってっるって…………」



 「………………」



 あ。



 「あんた……あんた言ってたじゃない……自分はまひるにとってただのファンだって、それ以上のことなんてないって……言ってたじゃない」



 「………………………………」



 ちょっと思考。



 「………………わ、私の方が先に好きだったのに。ずっとずっと、高校の頃から一緒……だったのに、なのに横からあんたなんかに急に……ひどい……ひどいでしょ」



 「あの……それ、誰から?」



 「………………ゆうから」



 「…………………………なる…ほど」



 長く。



 長く重い息が、喉の奥から漏れていく。



 瞼の裏でゆうちゃんがいつもの無表情でピースしながら、なぜか陽気なステップを踊ってた。いや何してくれてんのゆうちゃん。


 いや、まあ、そういえば『もしかしたらここ数日で、まひるの近くで、何かあるかもしれないよ』なんて、変な連絡よこしてはいたけれど。おかげで、些細な違和感からストーキングに気付けた節もあるけどさあ。


 ゆうちゃんがどういう意図かはさっぱりだけど、確実に己の欲求に従って動いているのだけは確かだった。何かしら性癖に刺さる要因があったんだろう。そういう理由があれば、やるかやらないかで言えば、ゆうちゃんは多分やる。


 「……なによ、なんかいい訳でもあんの?」


 「ないです……ないですが、ちょっとだけ待ってくださいね」


 とりあえずスマホを出して、ゆうちゃんに『ゆうちゃん、おこです』とだけ送っておく。語尾に怒りの顔文字だけつけといて。……うん、こっちの追及は後でにしよう。


 そう私が心を一つ決めている間に、対面の真っ赤で泣きそうだった真宵さんは、なぜかどんどん顔が青ざめて今度はどこか悲壮さを漂わせる泣き顔になっていく。


 「ない……? ないの? え、じゃあ、やっぱりほんとに、あんたまひると一線……」


 「…………こえてません」


 そこだけは否定できる……できるよね?


 「ほんとに? じゃ、じゃあ手つないだりとか、キスしたりとか、ね、寝たりとかしてないわよね?!」


 「…………まあ、はい、してません。ね、寝たりなんてしてません、してませんよ」


 そう口にしながら、こめかみから冷や汗がつーっと落ちるのをただ感じる。うん、一線は越えてない。越えてないはず。三分の二は越えてたけれど、まだ最後の一線は保ってるはず。


 保ってる……よね?


 自分でも口にしてて大分怪しくなってきた。


 そのせいか、真宵さんの視線は気づけば、訝し気なものになってる。


 「…………ほんとに?」


 「…………………………寝たり…は…してません」


 「………………キスは?」

 「………………………………………………………………」


 私から二回。まひるちゃんから一回、通算三回。舌入れ済み、とは口が裂けても言えなかった。


 ついでにお風呂場で押し倒した光景もフラッシュバックしたけれど、多分ノーカン。ノーカン? ……いや、さすがに無理あるかなあ。


 ふと想い返すと、あれ、私、結構暴走してたんだなって、ちょっといたたまれなくなってくる。そしておそらくそんないたたまれなさと自信のなさが、悲しいかな、真宵さんに伝わってしまっている。


 「……したの? し、しちゃったの? え、え……」


 そして、時に沈黙はどんな肯定よりも、立派な返答になってしまうのです……。


 「いや、えと、そのちがくて、あくまでゲームで……」


 私の言葉に、真宵さんはもはや半泣きになって、悲壮感たっぷりにわなわな口を震わせていた。


 「なんで、なんで……! そんないかがわしいゲームしてんのよぉ……!」


 私が、本当の想いを隠したまま、それ(あいしてる)を口にするためです、とは口が裂けても言えなかった。


 「いえ、えと、その、だから……」


 「………………」


 言葉を探す、なんとかこの場をなだめる言葉を、彼女の想いをどうにか軟着陸させる言葉を探すこと………数十秒。


 ああ、そんなものはこの世のどこにもないのだと、私は極限の焦りの中で不意に悟ってしまった。


 「…………ご、ごめんなさい」


 「……うう、あ、謝らないでよぉ……。余計に惨めになる…………」


 最初、お互い怒っていたのはどこへやら。


 ただ心苦しさにそっと両目を覆う私と、悲壮感たっぷりで半泣きになる真宵さんだけが取り残されていて。


 周囲の視線が少し心配げに注がれているのが、今現状の私たちの痛ましさをただ助長しているのでした。





 そもそもの話をしますと。


 実は『ぱららいず』時代のころから、まひるちゃんに真宵さんが好意を寄せているというのは、結構有名な話だったりしたのです。


 もちろん、当人同士がそれを明言したり、メンバーの間で公的に話題になったなんてことはないのですけど。


 基本、真宵さんは誰に対しても塩対応。ファンはもちろん、スタッフや、果ては同じバンドメンバーの佑哉さんや文音さんにまで、冷めた言葉や厳しい視線を送るのも珍しくありませんでした。一部のファンはそういう所が逆にいいと言っていたくらいです。


 ただ、そんな真宵さんが、どことなくまひるちゃんの相手をしてる時だけは様子が違います。


 ライブ中の何気ない場面で、二人の目が合って、笑顔を見せ合う時があります。ちなみに、真宵さんはほとんどの場面で、ライブ中笑顔どころか視線すら向けません。


 他にはライブ途中で、他の人を演奏を止めて二人でセッションをするような演出がたまに入るのだけど、相手がまひるちゃんの時はどことなく生き生きしています。


 極めつけは二月のバレンタインイベントの時、ライブ中にまひるちゃんが小さな個包装のチョコをパフォーマンスでばらまいていたのですけれど。その一つを、バンドメンバーに不意打ちで食べさせて、……それをやられた真宵さんが、顔を真っ赤にして俯いてしまったのは、ぱららいずファンの間ではあまりにも有名すぎるお話です。


 もちろん、一つ一つは些細な断片に過ぎず、妄想力の高い一部のファンのちょっとしたお遊びに近い代物だったわけですが。私も高校生の頃は、そんな話題で大変、気ぶった思い出があります。


 ライブハウスの裏掲示板で、『まひまよ』派と『まよまひ』派が戦争を起こした数も計り知れません。普段、誰にも心を開かない孤高の作曲少女が、太陽のように明るいボーカルの少女に抱く淡い恋心。気ぶるなという方が無理があるでしょう。


 しかし、当時からそういった妄想をライブに持ち込むのはご法度。当人たちの関係はただ優しく無言で見守り壁に徹する。それがファンたるものの務め。


 ……そうファンたるもの、推しに干渉するなどあってはならないことなのですが。


 「どこがただのファンよ……、一緒に住むなんてどこが一線引いてんの? ……下心満載で近づいて、その上、ゲームにかこつけて迫ってる……? 脳内ピンク一色じゃない、どうかしてるんじゃないの?」


 「ぐぅぅ…………」


 言葉が、言葉が痛い。


 涙目でぐちぐちと零される嫌味だけれど、それがあまりにいい訳のきかない事実だからどうしようもなく痛い。胸に言葉の矢がどすどすと刺さってくる。


 「それでさらにストーカーとか終わってんじゃないの……? どの口で私にストーカーやめろとか言ってたのよ……。しかも私より後に出てきた、ぽっと出の癖に……。そもそもまひるに近づいたのだってほんとに偶然だったの……?」


 「…………かはっ」


 いかん、言葉の棘がひど過ぎて、血を吐きそうになる。何が酷いって、真宵さんは意気消沈して漏らしてるだけの言葉だから、ここまで刺さるのは完全に私の自業自得な所。


 「なんで……なんであんたみたいな変態なんかに…………」


 「あごばッ………………」


 トドメとばかりに変態というキーワードが鳩尾に深々と突き刺さる。痛い、なぜならなにもいい訳が出来ないから。あまりにも悲しい事実。


 「この変態……淫乱……ストーカー……痴女……」


 「そ、そっちこそ……今朝、まひるちゃんの食べたアイスの棒、ゴミ袋から回収してる癖に…………」


 あまりにも悲しくて痛かったので、反射的にそんな言葉が口からぽろっと漏れた。ただ口にしてから、これ私の想像じゃんってちょっと反省したけれど。


 ただ目の前で、真宵さんの顔がみるみる真っ赤になっていたので、ちゃんと事実だったらしい。よかった、よかった。いや何一つもよくはないんだけれど。


 しかし、思ったよりその私のちんけな反撃が深々と刺さったようで、真宵さんは震えながら小さく「ちがう、ちがう。これは、その魔が差しただけで……」と呟き続けていた。


 なんとあはれ、これがストーカーなんて悪事に手を染めたものの悲しい末路よ。まあ、隣で私も仲良く瀕死なんだけれど。


 そうやって二人揃って項垂れること数十秒。


 ただ己の恥知らず加減に唸っている私の頭上で、ぽつりと一つ言葉が漏れた。


 「あんた……さ」


 さっきまでとは少し違う、静かな、洞窟の中に雫が落ちるようなそんな静かな言葉だった。


 「あんた……したの……告白。ちゃんと……言ったの? 好きって」


 声に誘われるままに顔を上げる。真宵さんはまだ項垂れていて、こっちに視線は向けないまま、しずかに私の返事を待っていた。



 だから。



 「…………うん、言ったよ。……まだ返事待ちだけど」



 そう口にした。



 嘘はつかず。



 ただ、事実をそのままに。



 そうすることが、せめてもの、私の彼女へ向けられる誠実さな気がしたから。



 真宵さんは、俯いたまま、ふうと一つ息を漏らした。



 小さく、長く、でもどことなく何かを諦めるような、そんな吐息。



 「そう……凄いわね」



 それから、そうどこか自嘲するように笑い声を零しながら口にした。



 「私は……言えなかった」



 「…………」



 何も言えない、ただ黙って聴くことしか出来ないでいる。



 そうやって、告げられない気持ちも、言葉にできない弱さも、私だってそう変わらない気がしたから。ただ、たまたま私は、色んな幸運が重なって口にすることができただけ。



 「……三年も一緒に居たのにね、その癖、あんな酷いことして、もうあわせる顔も無くなって……」



 きっと、それは彼女の悔恨。もうどうすることもできない過去。



 誰より、何より、彼女自身が、彼女に刻み付けた罪の痕。



 「………………」



 なんて声をかければいいのか分からなかった。



 私が何を告げても、彼女を傷つけてしまう気がしたから。



 もう関わらない人のなのだから、ほっとけばいいと考えることもできたけど。



 どうしてか、それをしてしまったら、まひるちゃんはこれからずっとうまく笑えない気がしてた。



 だけど、どうすればいいのかは、私にはまだわからなくって。



 答えは出ないまま、ただ周りの小さな話声だけを聞いている時間が過ぎた。



 窓の向こうでは、九月のよく晴れた日差しが突き刺すように真っ青な空を照らしてて。



 やがて、しばらくの沈黙の後、まよいさんは腰を上げた。



 顔はうつむけたまま、脇に抱えた鞄を持って、もう帰ろうとしているのがわかってしまって。



 何か、何か、何でもいいから言わなくちゃ。



 そう想った頃のことだった。



 「あさひ、こんなとこで何してんの?」



 背後から聞こえてきたのは、あまりにも聞き慣れた声、聞き間違えるはずのない響き。



 思わず反射的に振り返った、私の前に立っていたのは。



 「まよい―――」



 いつのまにかバイトを終えて、静かな眼で私たちを見る、まひるちゃんだった。

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