47話 腹黒王子はヤンデレ王子!?
どれくらい時間が経ったんだろう。
たぶん、実際にはほんの数分……いや。数十秒だったかもしれない。
それでも私にとってはすごく長く感じるほど、ジョシュア殿下と抱き合っていた。
……どうしよう。
思わず背中に手を回してしまったけど、そろそろ離れたほうがいいのかしら?
嬉しさで溢れていた胸が、今はまた緊張と不安でいっぱいになっている。
男性とこういったことをしたことのない私は、どう対応するのが正解なのかまったくわからないのだ。
このままだと心臓ももたないし、そろそろ……。
恐る恐るゆっくりと、殿下の背中から手を離す。
ピクッと反応した殿下が、それを止めるかのように先ほどよりも強く抱きしめてきた。
「!」
「……さっきの話の続きだけど」
ずっと黙っていた殿下が、そのタイミングで同時に声を出した。
私の耳に近い場所で喋っているため、声を小さくしてくれていて少しくすぐったい。
「セアラも俺のことが好きってことで間違いないんだよね?」
「……はい」
「初恋って言ってたけど、教会で会ってたときも俺のことが好きだったってこと?」
「……は、はい」
うう……改めて聞かれると恥ずかしいわ。
「ふーーん。それなのに、俺がその少年だって全然気づかなかったんだ」
「…………」
ん?? なんだか様子が……。
最初と2番目の質問は、少し遠慮気味の穏やかな口調だった。
でも、3番目の質問だけは違う。
違うというより、普段のジョシュア殿下の嫌味っぽい口調に戻ったというか──。
「まあ、仕方ないよね。髪の色も違うし、瞳も隠してたし」
「…………」
「声だって当時とは全然違うだろうし」
「…………」
「セアラが気がつかなくても仕方ないよ」
「…………っ」
これ、もしかして怒ってる!?
私はグイッとジョシュア殿下を両手で押し返し、勢いよく頭を下げた。
「長年気がつかず、申し訳ございませんでした!」
「やだな。なんで謝ってるの? 俺は全然怒ってないのに。仕方ないよって言ってるだろ?」
「で、でも……」
ニコッと爽やかな笑みを浮かべたジョシュア殿下は、完全にいつもの意地悪な殿下だ。
この顔で言うことはほぼウソであり、すべて遠回しな嫌味であることを私は知っている。
さっきまでの優しい殿下はどこに……!?
怯えた私を見て、ジョシュア殿下がニヤリと笑った。
「まあ。セアラが申し訳ないなって思ってるなら、それなりに罰が必要かな?」
「罰……ですか?」
「うん。『ジョシュア殿下が大好きです』って100回言ったら許してあげるよ」
「…………」
「さあ。どうぞ」
ジョシュア殿下は自分のサラサラの銀髪を耳にかける仕草をして、耳に手を添えている。
聞く準備万端とでも言いたげなその態度に、私の目は軽蔑するように細められた。
……それを言わせるために、わざとあんなに責めてきたのね。
呆れる気持ちと、どこか可愛いと思ってしまっている自分。
どうやら私は自分で思っているよりもこの人のことが好きみたいだ。
かといって、そんな簡単に何度も言えないわよ!
「言いません。もう怒っていても別にいいです」
「あれ? いいの?」
「それに、こういうことは男性のほうから言うべきですから」
「!」
私からの小さな反抗。
そう言って話の流れを変えたかっただけなのに、ジョシュア殿下は意外にも楽しそうにニヤッと口角を上げた。
……え?
「俺はセアラが大好きだよ」
「!!」
「俺はセアラが大好きだ」
ウソ……本当に言い始めた!?
「あの、でん……」
「こんな俺を見せても俺を好きだと言ってくれる、そんなセアラが好きだ」
「!」
「真面目で何に対しても一生懸命で、考えてることが顔に出る素直なセアラが好きだ」
「で、殿下……」
「この綺麗な淡いピンク色の髪も、宝石のような薄紫色の瞳も、全部が可愛い」
「あの……もう……」
「俺を呼ぶ声も、俺を見つめるその目も、力のない弱くて細い手も、全部が愛しくてたまらないよ」
「もっ、もう大丈夫です!!!」
羞恥心が限界に達し、私は大声を出して殿下の言葉を止めた。
体中が熱くなっていて、きっと顔は真っ赤になっていると思う。
「え? もういいの? まだまだ100回には足りてないけど」
「もう充分です……」
「そう? 俺は全然言い足りないけど?」
「…………」
殿下を困らせるための反抗だったはずなのに、見事に反撃されてしまった。
うう……恥ずかしすぎるわ。
なんで殿下はこんなにペラペラと言えるの!?
尊敬なのか呆れなのかよくわからない感情で殿下を見つめると、ニコッと余裕そうに笑顔を返された。
朝会ったときとは比べものにならないほどご機嫌な様子だ。
「……あれ? セアラ。何か落としてるよ」
「え? …………あっ」
私の足元に視線を落としたジョシュア殿下が、私が動くより先に落ちていた小さい紙を拾い上げる。
そして、裏面にうっすら私の写真が写っていることに気づいたのか「これ……」と何かを確信するようにその紙を広げた。
「これ、セアラの……?」
「はい。妃候補の中に入っていた私の書類です」
「なんでこれがここに?」
「それは……その方を、殿下の妃候補にいかがかなと思いまして……」
「!」
モジモジしながら遠慮気味にそう言うと、殿下は一瞬パチッと目を丸くしたあとに「ははっ」と吹き出した。
「ああ。そうだね。何度も伝えてきた通りの理想の相手だ。この人に決めよう」
「……本当にいいのですか? 後悔はしませんか?」
「するわけないだろ。俺が何年この女性を妃に望んでいたと思ってるんだよ」
「! そ、そうですか」
「ああ。よろしく頼むよ。セアラ」
「……はい」
好きとは言われていたけれど、結婚まで考えた上で言ってくれているかは自信がなかった。
この国の王太子という立場上、好きという気持ちだけではどうにもできないこともあると思っていたから。
でも……。
こんなにもハッキリ言ってくれるなんて、嬉しい……けど、それならなんでさっき……。
殿下の気持ちに感謝しつつ、どうしても気になることがある。
「あの。先ほど、私が望むならルイア王国に行ってもいいとおっしゃいましたよね? もし私が行くと言っていたら、本当に許してくださったのですか?」
「俺は一言も『行っていい』なんて言ってないけど」
「え? ですが、私が『行っていいんですか?』って聞いたら『お前が行きたいなら』って……」
「うん。『お前が行きたいなら』とは言ったけど、『行っていい』とは言ってないよ」
「…………」
何それ!?
屁理屈のような殿下の返答に、思わず口をポカンと開けてしまう。
聞きたいようで聞きたくない真実を確かめるために、私は恐る恐る話を続けた。
「では……もし私が行くと言っていたら、どうされたのですか……?」
「そうならなくて、本当によかったよ」
殿下はわざとらしく切ない表情を浮かべると、服のポケットから何かを取り出した。
それが手錠とわかるなり、私はズサッと足を動かし殿下から距離を取った。
えっ!? 手錠!?
ま、まさか、それで私を……!?
以前、殿下が私に「監禁するしかないかな」と言ったことがあるのを思い出す。
サーーッと青ざめた私を見て、ジョシュア殿下はフッと柔らかく意味深に笑った。
「俺が素直にフレッド殿下にセアラを渡すと思う?」
「……殿下。それは犯罪ですよ。いくら殿下といえども、許されないです」
「やだな。セアラ。冗談だよ。実際に使ってないだろ」
それは私が行かない選択をしたからですよね!?
もし行く選択をしていたら……そんなことを考えてゾッとしてしまう。
さっきまでの甘いムードが台無しだ。
もう……! あいかわらず腹黒なんだから。
でも、体調も問題なさそうね。完全に回復したみたいだわ。
「……もうお元気そうですし、執務室に戻りますか?」
「そうだね。でも、その前にまだやらなきゃいけないことがあるから」
「やらなきゃいけないこと?」
「うん。セアラともっと恋人らしいことをしなくちゃね」
「……はい?」
ニコニコしながら私に近づいてきた殿下は、そっと優しく私の手を握り、その甲にキスを落とす。
自然で美しい所作に見惚れている間に、次は頬にキスをされた。
思わずビクッと肩を震わせてしまったけれど、殿下は止まることなく私の耳元や額にまでキスをしてくる。
「…………っ!」
その唇が私の唇に触れそうになった瞬間、殿下の動きがピタッと止まった。
「……?」
ギュッとつぶっていた目を開けてみると、至近距離で綺麗な黄金色の瞳と目が合う。
まるで愛しいものでも見ているかのような優しい瞳が、何かを確認するように私を見ている気がして、私はもう一度目を閉じた。
……自分勝手なのか優しいのかわからないわね。
すぐに唇が重ねられて、殿下の手が私の首筋に伸びてきた。
殿下の手が熱いのか、私自身が熱いのか、頭がクラクラしてめまいがする。
それでも離れたくなくて、私は殿下の服を掴んでそのまま彼に身を任せた。
「で、殿下……」
「ん?」
「そろそろ執務室に……戻りませんか?」
「まだ」
「…………」
あれからどれくらい時間が経ったのか。
初めてのキスを交わしたあと……抱きしめられたり、唇や頬にキスをされたり、ジョシュア殿下からのスキンシップが止まらない。
もう……もう……限界だわ!!
幸せに浸れていたのも数分。
今はもうどこか冷静になった私が恥ずかしさを訴えてきているし、仕事中にこんなことをしている後ろめたさが大きくなっている。
「ですが、もう10分くらい経っている気が……」
「たった10分でしょ。俺が何年セアラとこうしたいのを我慢してたと思ってるの?」
「…………」
が、我慢って……。
「だから、まだまだ。……ね?」
「……ダメです! 今は仕事中なんですから。私はもう戻ります」
「はぁ……。ほんとセアラは真面目だよね。まあ、そういうところも好きだからいいけど」
「!」
カアッと赤くなった私を見て、満足そうに殿下が笑う。
嬉しそうな殿下の笑顔を見られて私も嬉しく思うけど、どうにも心がくすぐったくて仕方がない。
「俺たちのこと、いろいろな人に報告しなきゃだし、ね」
「そう……ですね」
マーガレット殿下やトユン事務官に報告したら、どんな反応するかしら……。
きっとジョシュア殿下のように喜ばしい気持ちをそのまま顔に出されそうな気がして、私は想像するだけで顔が赤くなってしまうのだった。




