35話 殿下の妃候補を決めたくない……
「はぁ……」
フレッド殿下と王宮で会った日から3日。
私はいつも通り秘書官としての仕事で忙しくしている。
変わったことといえば、やっぱりあれからジョシュア殿下の嫌がらせが減ったことだろうか。
なんだか最近様子が変っていうか、どこか元気ないのよね。
無言で書類にサインをしているジョシュア殿下をチラリと横目で見たとき、トユン事務官に声をかけられた。
「セアラ秘書官」
「あっ、はい。なんですか?」
「アレは決まりましたか?」
「アレ?」
ハッキリと内容を口にしたくないのか、トユン事務官はジョシュア殿下をチラチラと見ながら私に合図を送ってくる。
ハッ!
わかったわ。
ジョシュア殿下の妃候補の件ね!
「まだです」
「もうすぐ最初に言われていた期日ですが、大丈夫ですか?」
「……なんとかします」
そういえば、夜会で候補を選んでくれるって約束をしたまま話を進めてなかったわ。
どうして頭からスッポリ抜けてしまっていたのか。
私は机の引き出しにしまった妃候補の書類を急いで取り出した。
期日までに決まらなかったときのためにと、私が選んだ3人の候補者だけが別にまとめられている。
この3人でいいのか、殿下に確認しなくちゃ。
今までは却下ばかりで一向に決めてくれなかった妃候補。
夜会で約束したのだから、今度こそはちゃんと選んでくれるはずだ。
これで妃候補が決定したら、陛下に提出をしてこの仕事は終わり……。
最終的に婚約者となる方が決まったら、私は秘書官を辞めて自分の婚約者を探すのよね。
「…………」
望んでいた方向に進んでいるというのに、なぜか気分が晴れない。
あんなに決めてほしいと思っていた妃候補についても、殿下に確認したくないと思ってしまっている。
どうしたのよ、私。
早くこの候補者の書類を殿下に見てもらわなくちゃいけないのに……。
「セアラ秘書官?」
「!」
私が書類を見たまま動かなくなったため、どうしたのかと思われてしまったようだ。
トユン事務官が心配そうに私の名前を呼んだ。
「あ、えっと……殿下の今の仕事がひと段落したら、確認してもらいますね」
「わかりました」
……つい先延ばしにしちゃったわ。
ジョシュア殿下は自分の仕事に集中しているのか、こちらを見ることもなくペンを動かし続けている。
私は書類を自分の机の端に置き、今やっている仕事を再開した。
*
その日の午後。
まだ妃候補の確認が取れていない私は、ため息をつきながら実家からの手紙を開けていた。
ジョシュア殿下とトユン事務官はまだ昼食から戻ってこない。
今は執務室に1人きりだ。
「フレッド殿下がまたうちに来るのね……」
手紙を読んだ私は、ボソッと独り言を呟く。
ハッキリとフレッド王子の名前は書いていないけれど、内容で彼のことを言っているのだとすぐにわかった。
この前、今度は実家でって言っていたものね。
本当に有言実行される方だわ。
手紙には、今夜また帰ってきてほしいということが記されている。
午前中にがんばったから、今日の仕事はもうほぼ終わっているのよね。
あとは諸々の確認と、妃候補の件だけ……。
ジョシュア殿下の嫌がらせや邪魔が入らないことで、仕事がいつもよりスムーズに進んでいるのだ。
喜ばしいことなのに、なぜか素直に喜べない。
「殿下が戻ってきたら、すぐに妃候補の方を決めていただかないと!」
そう決心したはずだったのに──。
「セアラ。この予算案の資料はあるか?」
「はい。すぐにお持ちしますね」
「ああ」
執務室の本棚の中から該当する資料を探し出し、ジョシュア殿下の机に置く。
すでに見終わったと思われる資料を棚に戻し、殿下の机の上を小まめに整理するのも私の仕事だ。
今日はジョシュア殿下もずっと机に張りついてるから、明日の分の仕事にまで手を出し始めているわね。
仕事に余裕のある今こそ、妃候補の書類を確認してもらうチャンスだ。
そうわかっているのに、どうしてもその提案をすることができない。
……ダメだわ!!
どうして言えないのかしら!?
つい最近までは、強気な態度で「候補者を決めてください!」と言っていたというのに。
今ではその書類を差し出すことすらできなくなっている。
あんなに殿下に決めてほしいと願っていたのに、今では心のどこかで決まらないでほしいと思っている自分がいる。
それはどうしてなのか──その理由はあまり考えたくない。
結局、この日私は妃候補の書類を殿下に渡すことができなかった。
「すみません。トユン事務官。少し確認したいことがありまして。明日こそは殿下に決めていただきますので」
「まだ期日まで数日あるから大丈夫ですよ。では、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
ジョシュア殿下もトユン事務官もいなくなった執務室で、ふぅ……と小さくため息をつく。
全員がこんなに早く仕事を終えたのは久しぶりだ。
よし! 私も実家に行かなくちゃ。
自分の机の上を整理して執務室を出ようとしたタイミングで、ジョシュア殿下が戻ってきた。
ニヤニヤとした笑みもなく、どこか暗い顔をしている。
「ジョシュア殿下。何か忘れ物ですか?」
「いや。セアラに確認したいことがあって戻ってきた。……今夜、実家に帰るのか?」
不安を感じているような小さな声で、ジョシュア殿下が尋ねてきた。




