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36話 「行くな」


「……今夜、実家に帰るのか?」


「はい」


「そうか……」



 やけに暗く元気のない反応。

 いつものジョシュア殿下らしくない態度に、思わず首を傾げてしまう。




 何かしら? こんなに反応の薄い殿下は初めてだわ。




 ジョシュア殿下は自分の机に向かうことなく、なぜか扉に寄りかかりながら立っている。

 まるで部屋から出られないようにされているみたいだ。



「殿下。もしかして体調が悪いのですか? ここ最近様子が変ですよ」


「体調は悪くない。……気分は最悪だけどな」


「えっ? 気分? たしかに顔色があまり良くないですし……睡眠不足とかですか? 早くお部屋に戻ってゆっくり休んだほうが……」


「寝ても治らない。原因はセアラだから」


「えっ!? 私?」



 ジョシュア殿下に恨めしい目を向けられて、思わず反論してしまう。



「わ、私が何かしましたか? 今日はミスもなかったと思いますけど」


「セアラが実家に帰るって言うから」


「!? 実家に帰ったらいけないのですか?」


「ああ」




 なんで!?




 意味のわからないことを言ってくるのに、殿下は笑顔ではなく不機嫌そうな顔だ。

 意地悪で言って楽しんでいるわけではないらしい。



「なぜ実家に帰ることが嫌なのですか?」


「……フレッド殿下に会うんだろ?」


「!」




 え……まさか、フレッド殿下に会ってほしくないから?




 ジョシュア殿下の不機嫌の理由がわかり、思わず手で口を隠した。

 自分の口角が上がってしまっている気がしたからだ。


 頭の中にはまた『ヤキモチ』の文字が浮かんでいる。



「フレッド殿下がセアラの家に来ているんだろ?」


「……はい」


「はあっ……」



 わざとらしく大きなため息をつくジョシュア殿下。

 なぜか彼がワガママを言っている少年のように見える。




 可愛い……なんて思ってないわ!

 これは殿下よ! 腹黒王子のあの殿下よ!?




 自分に言い聞かせるようにして心を落ち着かせると、私は冷静にジョシュア殿下と向き合った。



「明日ルイア王国に帰るそうです。なので、お見送りをするだけですよ」


「…………」




 ……納得のいってない顔ね。

 まだ不満そうな気持ちが思いっきり顔に出ているわ。




 腹黒王子様の機嫌を治してから実家に帰りたいところだけれど、そろそろ時間も遅くなってきている。




 とりあえず今日はもう行かなくちゃ。




「殿下。私はそろそろ……」



 そこまで言ったとき、急に殿下の腕が私の背中に伸びてきた。

 グイッと力強く引かれて、殿下の胸に顔を押しつけられる。




 え!?




 気がつけば、私はジョシュア殿下に抱きしめられていた。

 ギュウッと強く抱きしめられていて、全然抜け出せない。



「ジョシュア殿下!?」


「…………」




 何? なんで私、殿下に抱きしめられてるの!?




 手で押し返そうとしてもビクともしない。

 ジョシュア殿下の体温が伝わってきたのか、どんどん体が熱くなっていく。



「あの……殿下……!」


「…………くな」


「え?」


「行くな」


「…………」




 今のは本当にジョシュア殿下の声……?




 真っ先にそう思ってしまうほど、今まで聞いたことのないような力のない弱い声。

 ……ううん。こんな声を、昔どこかで聞いた気もする。


 ジョシュア殿下は私の肩に顔を(うず)めているため、なんとか届くくらいの小さな声だった。




 行くなって……それほどフレッド殿下に会ってほしくないっていうこと?




 普段の殿下なら、意地悪をして私の仕事を増やすなり強制的に命令するなりして、なんとか実家に帰れないように邪魔してきたはず。

 こんなに懇願するように何かを言われるのは初めてだ。




 どうしよう……どうしたらいいの?




「ジョシュア殿下……」



 なんて答えていいのかわからず小さく名前を呼んだとき、ジョシュア殿下が抱きしめる腕を弱めて私から離れた。

 弱々しい黄金の瞳が、私と目が合うなり柔らかく細められる。



「冗談だ」


「……え?」


「ただセアラをからかっただけだよ」



 フッと笑った殿下の顔は、私には泣きそうな笑顔に見えた。


 今まで、私が「冗談ですよね!?」と言っても「冗談じゃない」としか返さなかったジョシュア殿下。

 その殿下が、自分から冗談だと言うなんて。




 そんなの、余計にウソっぽいよ……。




「気をつけて行ってきてね」



 そう言って、ジョシュア殿下は私の肩をポンと軽く叩いてから出ていった。

 部屋に取り残された私の頭の中には、さっき見た切なそうな殿下の顔がずっと離れずにいた。

 

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