最終話『自業自得』
注意: 暴力表現等が多分に含まれております。R18該当にならないよう作者としては細心の注意の元に書いているつもりですが、念のため、特に性的暴力表現について不愉快に思われる方は読まれない事を強く推奨いたします。
その場所は城本体からは離されているが、決して地下などに隠されているわけじゃない。むしろ建物は明るく、陰惨な雰囲気を持たせないよう常に留意されているのよね。そう、異世界における建物で例えるならば、総合病院って呼ばれるタイプの建物に似ているかも。
ここは簡単にいうと、治療中の麻薬中毒患者みたいに、特別な管理の必要な受刑者を収容するところなのね。
ただし異世界と違うのは、この世界には刑務所にあたるものがないって事。そのレベルの犯罪だとあっさり処刑されるか強制労働に回されるから。あるいは上位の貴族や王族でしばしばある「幽閉」だけど、これはこの国ごとの対応で、いわゆる刑務所にあたる概念はやはり存在しない。
ここまでいえば、ここに収容される人が相当にワケありだとわかってもらえただろうか?
はじめてこの建物を見た人は、大抵がこの建物は大きすぎるという。入口もたくさんあって、収容者のタイプによって完全隔離されているのも奇妙に思えるだろう。そして、それぞれのブロックの間は戦略級魔法でも破れないほどに頑強に仕切られている。
今回、私はその入口のひとつ……外来者受付のある『六番入口』から中に入る。
六という数字はこの世界では生命力と性愛の女神、リラータの事を示す。リラータの象徴は数字の六、色ならば薄いピンク、上気して赤らんだ乙女の頬、そしていわゆる男性の身体の例の部分である。リラータそのものの肖像画は魔術杖をもち、薄いベールをまとった乙女の姿で描かれている事が多いだけど、この魔術杖がなんなのかは聖典を読めばわかる。つまり、杖をもった乙女というのは、愛に満たされた乙女という意味を寓意化したものなのだ。
ちなみにこの女神リラータは、女性むけの恋愛小説にも描かれるけれども、同時に娼館にも飾られている。
というのも、リラータは娼婦と盗賊、それから再婚する女性の神でもあるからだ。複数の男性と契る事を良しとしない多くの神の中にあって、リラータはその基準から外れているたったひとりの女神。つまりリラータは乙女であり、慈母であり、遊女であり……そして救いの女神でもある。
つまり。
この入口に六の番号をつけられているのは偶然ではなく、ちゃんと意味があるというわけだ。
「そこの女、ここは特殊牢だ。女人禁制ではないが女の身で見ても不愉快なだけ……っとすみません、陛下でしたか!」
「いいの、ごくろうさま」
衛兵に軽く挨拶をして、中に入った。
床や壁の感じが、前世であるナギサ時代に馴染みのある病院のそれに似ている。特にこの六番の中は徹底しているが、その理由は内部設計者がどうやら記憶もちで「なるべく清潔に、なるべくきれいに」をモットーとして作ったかららしい。
確かに有りえないほど綺麗だし、軽い掃除で埃のひとつも出ないそうなのだけど……綺麗すぎて気持ち悪さを感じてしまうのは、やはり私が記憶もちとはいえ、基本的にこの世界の人間だからなのかもしれない。
なんというか……綺麗さに悪意を感じるといえば、わかってもらえるだろうか?
途中で背後にひとの気配があったので、見つかる前に関係者用の脇道に入る。この六番にはその性格上男性の来訪者が多いのだけど、彼らの要望から女の関係者は姿を見せてはならない事になっている。
未婚の私にはよくわからないけど、殿方というものは意外にデリケートな生き物らしい。
さて。
管理者用の通路に出ると、そこには定期的に『執行室』と書かれた扉が並んでいる。そして、どこかから「おー、おー、」と押し殺したような悲鳴も聞こえてくる。そして扉のそばには必ずテーブルがあり、中で『執行』されている人物の現在の詳細データが書かれた資料が置かれている。
資料を手にとり、静かに入室する。
室内には何もなく、壁も綺麗なものだ。椅子がひとつあるだけの殺風景もはなはだしい部屋なのだけど、向かいの壁には妙なものが生えている。
女の首と、そしてふたつの手首。
言うまでもないのだけど、女は壁に埋め込まれているわけではない。要は女の身体は壁の向こう側にあって、首と両手が壁で固定されているわけだ。こちらからは見えないが、身体もそれ相応に固定されていたりするが、ガチガチに固められているわけではない。
女は眠っている。心か身体のどちらか、あるいは両方が疲れきっているのだろう。
涙の跡が見えるが、本当に涙かはわからない。なぜなら、口は自殺防止に猿ぐつわがつけられているのだけど、口を開けっ放しで固定されているから、よだれがそこいら中にこぼれているからだ。
ゆっくりと椅子に座るが、それでも女は気づかない。
だけど少し待っていると、唐突に女の顔が「びくっ!」と反応した。
「おぉ、おぉ、おぉぉぉっ!」
しゃべれない口からよだれを流し、もがくように頭を動かしている。両手がぎゅううっと握りすぎて血が滲みそうにも見える。目からはポロポロと涙がこぼれている。
「あら、本当に涙だったのね」
「!?」
その言葉で気づいたのか、女が顔をあげてこっちを見た。
「おぉ!おぉ!!」
「あら、思ったより元気なのね、えっと……お名前はニーナ・ロッシュだったわね」
ぱらぱらと資料をめくる。
ちなみにこの女は、ココア嬢つきのメイドのひとりだった者だ。私たちが投獄されて牢屋で一晩過ごさせられたあの日、獄卒をけしかけて私を襲わせた筋金入り。まぁ、声が出せたから古代語魔法で返り討ちにしたのだけど。
そのろくでもない女は今、視線でひとが殺せたらって感じの憎しみもこもった目でこちらを見ている。まぁ、顔は上気してるし息も荒いのだけど。
「うちのメイドの事を尻軽だの何だのずいぶんと言ってくれたわりには、あなた随分と好き者みたいね。昨日イッちゃった回数の統計出ているけど見る?今までのお相手が合計何人かのデータもあるけど?」
「お、おぉぉぉっ!」
半狂乱になって首をふる元メイド。だけど当然、何もできない。
壁の向こうで誰に何をされているか知らないけど、彼女は相手が誰であるかすらわからない。声すら聞く事ができない。
選民思想の塊みたいな典型的貴族の彼女には、間違いなく死んだ方がマシなレベルの地獄だろう。だけど死を選ぶ事もできない。
まぁ本来なら、ここで私はニヤニヤ笑うべきなのだろう。彼女に嫌味をはきまくり、少しでも怒らせ、悔しがらせ、泣かせるために。
だけど、さすがに私には素で絶対無理だった。同情とかって意味ではない。なんというか、見てる私の方の神経がもたないのだ。我ながら情けない。
それでクラッシに相談したら、言われたものだ。
『だったらローザ、むしろ普通に応対しなよ』
『普通って?』
『囚人ごとに消化率のデータあるでしょ?本人の前でそれ見てさ、今までの成績とかあと何日でここは終わりだよとか、そういう話を普通にしてあげるだけ』
『それだけ?それで役に立つの?』
『役立つよ。でも一つだけ守らなくちゃだけど』
『何かしら?』
『それはね……』
クラッシのアドバイスを思い出しながら、彼女に微笑み、話しかける。
それにしても、あの壁の向こうはどうなってるのかしら?彼女の悲壮な顔がものすごい事になっているのだけど?
でも、見ないほうがいいって言われているのよね。仮の女王とはいえ嫁入り前の娘が見るものじゃないって。
そう言われると弱いのだけど。
まぁ私だって、目の前の彼女がちゃんと報いを受けているのなら細部は問わないけどね。
で、最後に付け加えておく。
「あら、もしかしてこの調子だと、今週中にも、ここのお勤めが終わるんじゃないかしら。良かったわね」
「!?」
あら、今度は一瞬で反応来たわね。
「うん、やっぱり間違いないわ。もう少しよ、がんばってね。それじゃあね」
そういうと、私は立ち上がり、部屋を出た。
部屋を出る前にチラッと確認すると、彼女は一時的にせよ気力を取り戻したみたいで、必死に耐えているようだった。
そう。そんなに楽しみなの。
確か彼女の予定だと、次に送られる所は確か人間でなくゴブリンがお相手よね。ふうん、そんな楽しみなの。まぁ人間、いろんな趣味の人がいるわよね。
あら、教えてないんだっけ?
まぁ次にいきましょう。
この後にも何人かを見たんだけど、そもそもここに収容されているメイドは特に凶悪な者だけだったりする。比較的ましな者は娼館送りだし、そもそもご実家の方がきちんとしていて、そちらでちゃんと貴族なりに重く罰するケースも意外に多かった。このあたり、腐っても貴族というべきかしら。
ちなみに最初のニーナ嬢は実家にも見捨てられてたりする。でも当人の性格を考えると、家にまで捨てられたら心が壊れちゃって刑罰の意味がなくなるかもしれないって事で、それを告げてはいけない事になってるのよね。
え?そんな事までして贖罪させて、なんの意味があるのって?
そりゃ、国としてはここまでする意味はないわね。
だって、自害すら許さず女の尊厳を汚し続けるわけだもの。見せしめという観点からいうと残酷すぎてもう第三者に見せられないでしょう?それに、どうせもう社会復帰させる事はないんだから、別にさくっと処刑しちゃうっていうのも「国としては」実に合理的よね。
でも……それでは納得できないって声が多かったわけ。
ええそうよ。
ここに収容されている者たちはつまり、ただ処刑するなんて納得できないって声が非常に多かった凶悪犯なわけ。たとえばニーナ嬢は私たちのケースの他にも、気に入らないメイドを暴漢に襲わせて自殺させるとか、そういうロクでもない余罪がいくつもあったのね。
だから、同じような暴力を刑罰として受けさせるって方向になったわけ。
そして、いよいよ最後……あの女の『執行室』にやってきた。
実をいうと、ココア嬢の刑罰についてはかなり議論が飛び交った。
魅了能力持ちだし何気にチートじみた能力もある。つまり油断ならない相手だし、また捕縛時に手出ししようとしたらあっさり自害しかけた事にも驚かされた。
元庶民だし、ナギサ時代の記憶から考えても、彼女の元いた異世界では自害というのは重い意味を持っていると思ったのだけど、違ったのだろうか?
とにかく。
ここまでの事をやらかしておいて、さっくりあの世に逃げてしまうなど許せるわけもない。これは間違いない。
まずはとにかく、自殺防止に口枷をつけさせた。私に使われていたものと同じで、これでもう、うめき声すら出せない。
魅了を潰すという事で魔法封じの首輪と魔眼殺しの目隠しをつけさせた。これもあの日、私がつけさせられていたものを流用した。
そうやって無力化したうえで、この世界に伝わる中でも最も凶悪と言われている刑罰を受けさせられている。実のところ、私の古代語魔法と同様に研究対象になっている種類のものだけど。
「おや、いらっしゃい」
「やってるみたいね」
「はい」
執行室に入ると、ここもニーナ嬢と同様、部屋自体の中には本人はいない。ただし研究員らしき服装の者たちがいて、あれこれ検査したり見ているところが違っているが。みんな魔道士らしく敬礼などは軽くすませてしまうので、もしここに騎士がいたら間違いなく眉をしかめるのだろう。
ニーナ嬢のように首が壁から生えているような事もなくて、何やら科学とも魔法ともつかない不思議なモニターっぽいものがいくつも設置されていて、それに、闇を見通す魔法で映したかのような映像で、女の姿が映されている。
間違いない、ココア嬢だ。見た目だけだとシルエットなのでごまかされそうなものだけど、なぜかわかる。
画面下には文字で、魔法的な感覚遮断が行われているので映像取得はこれが限界だと書かれている。
感覚遮断。
そう。今、ココア嬢は、刑の執行に必要なもの以外の全ての感覚から遮断されている。
ちなみにどんな感じかというと。
温度も、音も、光も、上下感覚も、まったく何もない世界に浮遊している自分を考えてほしい。そんな無限の暗黒の中を漂いつつ、唯一リアルに体感できるのが、自分をまさぐる暴漢の手であり、息遣いであり……という状態。
ああ、始まったみたいね。写っている女の姿が、何かに逆らうように、もがくように動きはじめた。
要するに刑罰自体はニーナ嬢と同じといっていい。つまり、動けない状態でその、アレをされているわけだ。
だけど刑自体の本気度が全く違う。
ニーナ嬢たちの方はまだ人間的だった。まぁ残酷な刑罰なのは間違いないけど、あれで本人が体調を崩したらきちんと治療もしてもらえるし、執行中はプロの担当が評価していて、場合によっては減刑や中断もありうる事になっている。そして全期間が無事に終わったら、当人の希望をきいてその後の願いを叶える事になっている。修道院から娼館までいくつかの候補があるが、もちろん死を選ぶのもかまわない事になっている。
だがココア嬢には、そんな未来すらもない。
彼女がここから出られる可能性はただひとつ……だけど、それを知って自分で自分を殺そうとするのを防ぐために、そうした事実すらも一切教えていない。
ちなみに余談だけども。
ココア嬢のお相手をしているのはニーナ嬢のそれと違い外部から来ている素人ではない。半分魔道研究所から来ている魔道士で、残りも彼らと関わりのある者の、いわば納得ずくのアルバイト。
どうしてそうなっているかというと、この刑には様々な古き魔法が使われていて、彼らにとってもめったにない貴重な実験とデータとりの機会だからだ。素人がヘンなことをして台無しにされたくないという事らしい。
要するにココア嬢は事実上、彼らの実験動物というわけだ。
まぁ、こんな人体実験なんていくら魔道研究所でもホイホイやらせるわけにはいかないものね。その意味でもめったにないチャンスなのかしら。
「どうします?声がけしますか?」
「声がけできるの?」
詳細がよく見えないけど、たぶんこれは「真っ最中」というやつだろう。
「返答をこちらで聞く事はできませんが、ちゃんと聞こえているか、反応しているかはモニターできますね」
「そう。それじゃ挨拶くらいはさせてもらおうかしら?」
「わかりました。ではこちらにどうぞ」
木製の古めかしい、どこかマイクに似た魔道具の前に案内された。おそらく機能的にもマイクそのものなのだろう。音声を電気信号にするのか、それとも他の謎のエネルギーにするのかは別として。
計器類もそうだけど、ここまでくると私にももう、魔法だか科学だか全然わからない。
「はい、どうぞ。陛下の声を選んで届けるようにしてみました」
「ありがとう」
それだけ言うと、私はモニターの向こうにいるココア嬢に語りかけた。
「こんにちは、ココアさん」
『!』
なるほど、何も音は聞こえない。だけど画面の向こうで反応したのはわかった。
「なかなか素敵な状況ね。指定以外の全感覚を遮断されて無限の闇に幽閉されるって、どういう気持ちかしら?」
『……!……!』
彼女が闇の中、必死にもがいているのがわかる。
念のために周囲の研究員に確認すると、大丈夫ですよと言わんばかりに微笑んでうなずいてくれた。この程度なら問題ないらしい。
「ここなら何の心配もいらないわ。魅了や魔法を使わせてあげるわけにはいかないしお相手を選ばせてもあげられないのも悪いけど、心ゆくまでお楽しみできると思うの。何人もの男性を操り、天秤にかけていた貴女ですものね、ちょっぴりご自分の理想とは違うかもしれないけど、悪い未来ではないでしょう?
よかったわね、おめでとう。本当に心からお祝いさせていただくわね」
『……!……!』
ココア嬢の動きが激しくなった。激情にかられているのは間違いないのだろうけども。
「む」
「いまの誰だ、状況教えてくれ」
「問題ない。あまり激しく動くので状況2を適用したらしい」
「ああ了解、それならいいんだ」
あら。
素人の私にもわかったわ。今の、たぶん相手の方にお尻かどこか叩かれたわね。おとなしくしろって事かしら。
そしてココア嬢の動きも、ゆるやかなものに変わったみたい。
まぁそうよね。
いくらなんでも相手に意味もなくジタバタ暴れられたら、そりゃ殿方も困ってしまうものね。
あまりお邪魔するのも悪いみたいだから、私ももう一言だけでやめておこう。
「あらあら大変ね。余計なお世話かもしれないけど、立場をわきまえて、あまりお相手の方に不愉快な思いをさせない事をおすすめするわ。
じゃあ、お楽しみ中に声かけてごめんなさいね。楽しんでちょうだい。じゃあね」
それだけ言うと、研究員に頼んでマイクを止めてもらった。
「この後はどうされますか?」
「残りの視察をして、それから城に戻るわ。悪いけどがんばってね」
「いえ、お疲れ様です」
当たり前だけど、あんな猟奇的とも言える刑罰がいつまでもできるわけではない。特に執行されているメイドさんたちの方は要するに受刑者に石を投げさせる刑罰などと同じような性格のものだけど、長く続けると間違いなく風紀が乱れるし、だいいち料金設定などにもよるけど、町の娼館に営業妨害と言われかねない。
それに、繰り返すけどあの刑罰に合理性はほとんどない。せいぜい恨み重なる被害者たちの溜飲が下がるだけなので、落ち着いたところで他にやられるか、一般の刑罰に切り替わるはず。
まぁ、近いうちに受刑者はココア嬢だけになるだろう。
「おかえりー」
「おかえりなさい姫様、いえ陛下」
「ただいま」
ちょうどお昼になったので、お城にいた側近やメイドたちと食事をとる。
女帝らしくないのはわかっているが、所詮は臨時なのだ。長く続くなら体裁を整えるけれども、今は内部の人間にまで偉そうにする必要はない。
「あの女どうでした?」
「魔道研究所がガッチリ抱え込んでるわ。お相手もプロと関係者だけみたいね、もちろん当人にはそんな話してないようだけど」
「うわ……完全に実験体ですか」
「あの本気っぷりはたぶん間違いないと思うわ。なるべく今の状態でデータをとり続けて、やがて当人が壊れたら壊れたで別の実験に使って、骨の髄までサンプルリソースとして使い切るつもりなんでしょうね」
ひとの精神や肉体を狂わせたり操作したりする魔法というのは、当たり前だが非常に実験しづらい。動物に使っても聞き取り調査なんてできないし、だからって迂闊に人に使って死人が出たら笑えないし。
いちおう、釘をさしてはいるが……ココア嬢だけでなくメイドの受刑者にも何かやらかしている可能性は否定できない。何しろ魔道研究所だし。
「……うわぁ」
さすがにみんな全力で引いていた。当たり前だが。
「いま、ちょっとだけあの女に同情しました」
「ちょっとだけなの?リカ?」
「もちろんですよ。だって、ひとつ間違ったら私たちが同じ目にあわされていた可能性もあるわけですし」
「そりゃそうだ」
リカがためいきをつき、クアがそれに同意した。
「そういえば、ふたりの実家は今どうなってるの?お父様たちのお手伝いかしら?」
ホーエンハイム家は結局、北の隣国でやはり辺境伯の仕事についた。こちらの事情もあって、元軍務卿の上のお兄さまを含め数名が手伝いにきてくださっているけど、いつまでも頼りっぱなしというわけにもいかないだろう。
「うちは今、旧ホーエンハイム領の方に手伝いに回ってます」
「え、リカのご実家って」
「うちは本家が西にありますから、ずっと北部というのはどうかって事になったんです。政情も落ち着いてきたようですし、西の国の辺境伯にお館様経由で連絡をとってもらって」
「そう……リカはどうするの?」
「もちろん姫様……すみません、陛下に放り出されない限り、いつまでもご一緒いたします」
「そう」
リカは昔と同じ、オレンジの瞳でニコニコと笑う。
「クアはどうするの?」
「わたしですか?わたしはいつもどおり、訓練の毎日ですが?」
「いえ、そうじゃなくて」
「えーと?すみません、予定でないとすると何でしょうか?」
素でわからないらしい。
リカが苦笑して補足してきた。
「クア。陛下は、今後も一緒にお仕事してくれるかって尋ねてらっしゃるのよ?」
「え」
その瞬間、クアはこの世の終わりのような顔をした。
「あの、わたし何かしましたか?何かローザリア様をご不快にさせるような事を何か、あの、あの、」
「……ごめんなさい悪かったわクア。これからも好きなだけ私のそばにいてちょうだい」
「そ、そうですか……」
そういうと、何か小動物のようにチラッとこっちを見る。
思わずためいきをついた。
「わかった言い直す、命令。クア、あなたはいつまでも私のそばでお仕事してなさい。いいわね!」
「はい、了解いたしました!」
おかずのきれっぱしをほっぺたにつけたまま、その場で敬礼するクア。瞳がキラキラ輝いてるのが、まるで子犬でも相手にしてるみたいで可愛い。
ええ、そうなのよね。
この子って真面目だし有能なんだけど、自分に自信がないというか単純バカというか。あまり長く側から離すと、そのまま見捨てられて解雇されるんじゃないかって思い込んじゃうところがあるのよね。
まぁ、ある意味人間的な欠点だし、かわいいところでもあるのだけどね。
食事が終わり、食休みに私は中庭の一つに出た。
この、日当たりの良い小さな庭は現在、私とその側近以外は立ち入り禁止になっている。かつてはココア嬢とキラケニアがこっそりイチャイチャする空間だったそうだけど、もちろん今はそんな事をしている者はいない。
そして。
「……」
今そこには、見上げるほどの大きさの大木が一本、立っている。以前は存在しなかったものだ。
そしてその周辺にも、以前はなかった、芝生とは違う下草がたくさん生えている。
ヨグ・トレント。エルダートレントの系列で、トレントとしてはかなりの上位種だ。
ふと視線を感じ目を向けると、そこにはオークが静かに立っている。ヨグの守り人だろう。
このヨグは先日、唐突にこの場に現れた。その横には昏倒している男性がおり、調べてみたところ、王都襲撃の際に逃げ出した内政官のひとりだった。
つまり。
トレント化が近かった種のひとつが男性に乗り移り、ここまで運んできたというのが真相らしい。
ふむ。
呼ばれているような気がしたので、近寄った。
下がスカートなので右手でおさえつつ、ヨグを背にして地面に座った。
座ってのんびりとしていると、何やら全身からムズムズと、何かが伸びていく感覚がする。
思わず、クウッとヘンな声が出そうになった。
背後にスルスルと伸びてきたヨグの蔓草が、同じく私から伸びた蔓草と絡みあう。そしてその瞬間、私にはまるで、自分の身体に蔓草が巻きつき、やんわりと締め付けられているように感じられた。
だめ。身体に力が入らない。
そのまま背後のヨグの樹体に、ゆっくりともたれかかる。
なぜか脳裏に、さきほどのココア嬢やメイドたちの、女としてはこれ以上ない悲惨な姿が思い出された。
うん。
でもあれって。
もしあれが同意の上で、あんな場所じゃなくて。そしてお相手も旦那様か、それとも未来を誓った殿方だったら……そんな事をふと考えてしまうと、身体がポッと熱くなった。
そういや私、婚期のがしたよね。婚約破棄から何年もたっちゃったし。
「ん」
ふと気づくと、大量の蔓草の中に囚われていた。
あれ、そういえばトレントって雌雄がある種類の植物だっけ?
ああでも、私の中のソレは何年もたってるけど、まだトレント化はしてないのだけど?受粉したいのかもだけど無理だけど?
しかし、若いトレントにそんなお話が通じるわけもなく。
つーんと刺激臭。たぶん花粉の匂いだろう。
反射的に逆らおうとしたけど、全く動けない。蔓草たちはとっくに抵抗をあきらめて、されるがままになっているみたい。
ああ……なんか気持ちいい……。
私は知らなかった。
高位のトレント種は好ましい場所を探し、満を持して樹体化するという事。つまり、私のように人間社会で活動している場合、時と場所を探して待ち続けているだけで中身は立派に成体というケースは珍しくないそうだ。
つまり。
私は自分が何をされているのか知らないまま、お昼休みに毎日まいにち、このトレントの元にかよっていたわけで。
いや、だってさ。
気持ちいいだけでなく、起きた時の体調もすごくいいんだもの。
そして一ヶ月後。
むせ返る緑の香りに目覚めた私が見たのは、どこかで見たトレントの花にうめつくされ、緑の野原と化した自分の寝室だった。