⑧既に始まっている
バージル卿が、『だが』と、表情を和らげる。
「娘の命を助けてもらった事には感謝している。君には君なりの思惑があっての行動だろうが、父親としてはきちんと礼を言わせて欲しい」
最期まで彼は頭を下げなかったが、先程の握手の件で理由を察した分、相田も特に気を悪くしなかった。
「それで、こちらの眠そうにしているお嬢さんは?」
「むにゅー、フォーネだぞ! おっちゃん」
半開きの目に緩んだ頬のまま、フォーネは手をまっすぐ伸ばして挨拶する。
「一応、自分の護衛でついてきていますが………見ての通り無害な奴ですので」
「成程。よろしく、フォーネちゃん」
バージル卿が表情に困りながらも、微笑んで見せた。
「こちらで食事を用意させてもらった。聞けば、うちの娘が半日も閉じ込めていたと聞く。お詫びと感謝を込めて、是非食べていって欲しい」
「ありがとうございます」
「ご飯だぁぁぁ! ひゃっはぁぁぁぁ!」
今まで後ろで静かにしていたフォーネが覚醒。我慢できずに両手を上げて走り出した。
「フォーネ! あぁ、頼むからマナーを守ってだな………」
相田が彼女の後ろを追いかけ、バージル卿とすれ違う。
その僅か瞬間だった。
前にいたはずのフォーネの姿が相田の視界から消え、遅れて相田の横を風が通り過ぎる。そして、その風を追うように相田が振り向くと、フォーネが相田とバージル卿の間に立ち、顔の前で何かを掴んでいた。
彼女の手が緩み、その中から親指の爪ほどの石が絨毯の上に落ちる。
「成程、立派な護衛だ」
後頭部まで貫くかのようなフォーネの鋭い瞳に、バージル卿は降参だと両手を小さく上げた。
「お、お父様!?」
クレアが一筋の汗を流しながら、父親の行為を責める。
「いやいや、済まない。私自身、中々に実感が湧かなくてな………つい試させてもらった」
片手を胸に当て、バージル卿は相田に向かって謝意を込めて目を瞑る。
「………フォーネ、もう大丈夫だ」
「はい、ししょー」
フォーネも表情を和らげると、静かに半歩下がり、相田の横に立つ。
相田は敢えて何も言わなかった。
むしろ自分の感情が緩み切っていた事に気付き、相田は無表情のまま猛省する。相手がクレアの父親だからか、話が通れば戦争が終わるという期待からか。これから話す相手が、敵国の中で最も強い発言力をもつ大貴族の一人だという事実を相田に認識させるには、十分な狼煙だった。




