②紙の上の存在
立ったままだった若い男が、相田に振り返る。
そんな展開など、物語にはない。
物語の魔王そのままの姿をした男は、どこか懐かしむように周囲を見渡しながら相田に視線を落とす。
「………初めまして、と言うべきだろうか」
殆ど目を瞑っているかのような細い眼。落ち着いているが、堂々たる覇気の籠った声。
僅かに間を置き、男は掌を開いて話を続けた。
「もっとも、貴様にとっては小さき頃から書物を通して余と何度も出会っているのだろう? 今更自己紹介は必要あるまい」
気が付けば、相田は茫然と直立していた。そして、目の前の男との視線がいつの間にか自分の身長に相応する高さになっていた事に気付いた相田は、息をのみ、静かに首を縦に振る。
―――真なる魔の王。
名前を口にする事すら憚れる感覚がこの世に存在するという事を、相田は初めて体験した。
男の背後では、相田が何度も読んでいた物語の最後が映し出されていた。
物語の主人公である勇者が幾度の戦いと成長の果てに、大魔王と互角に戦えるようになり、ついにはその強靭な体に剣を突き立てていた。
相田の目の前にいる男は、自分自身が打ち負かされている姿を静かに見届けていた。
その光景から目を反らす事なく、自身と相田に問うように男が口を動かす。
「余が貴様の心の中で生まれてから、ずっと考えてきた事がある」
魔王の死、そして勇者が仲間達に祝福される様子が同時に映し出される。
「何故余は、勇者に………いや、人間共に負けたのだろうかと」
「それは……」
相田は真剣に考えている目の前の男に、『物語だから』と答えるのを躊躇った。
だが目の前の魔王はにやりと笑い、相田が言おうとした答えを見通す。
「勇者は必ず勝つ存在だからか? 物語を記した神の意思か? それともお前達が読む物語では、必ず悪が滅びるように仕組まれているのか?」
だが、それが答えではつまらない。目の前の男は相田の答えを意地悪く代弁すると、宇宙に近い青黒い空を見上げた。
「………まさか余が紙の上の存在だったとは思いもよらなかった。しかもそれを人間共に読ませ、楽しませるだけの存在だったというのは、中々にくるものがあった」
男が自嘲する。
「まぁ、貴様の心の中で生まれた今の余も、似たような状況である事は変わらぬか」
男は静かに相田を睨み付ける。
言葉では自分の存在のをつまらなさそうにしているが、男の瞳は決して自分を見失った眼差しではなかった。自分が作家によって作られた役者としての存在だったとしても、男の目は魔を統べる王としての威厳と畏怖を極めた圧が確かに込められている。




