⑤勇者に非ず
相田は『もう1人の自分』がいるかのような、そこまで客観的に感じられる程に感情的になっていた事に気付く。そして胸元の服を強く握ると何度も服を扇ぎ、火照った体に冷たい空気を送りながら、大きく深呼吸を繰り替えす。
このまま感情に任せると、周りが見えなくなる。相田は顎を引き口を閉じ、無言を保って自らを戒めた。殴られた腹部も首回りも未だに痛みが引かず、リズムを取る打楽器のように振動している。
「………くそぉぉ」
地面に半分程埋まりかけていたリコルが起き上がろうと、地面に両手を突いた。
だが、左手が思うように動かず、また残った右手にも力が入らず、彼は再び地面に顔を付ける。
リコルは左手に視線を送るが、何度試みても彼の意志によって動かす事ができない。
「俺は………俺は勇者なんだぞ」
何という情けない姿かと、彼は残った手で震えながら体を無理矢理起こし、片膝を体と地面の間に挟んで何とか起き上がった。
翠の甲冑は、土と血で汚れているものの目立った破損はない。しかし、地面に擦られた方の服は破け、皮膚もめくれて所々出血していた。
リコルは土の混ざった唾を隅に吐き捨てると、顔も髪も土だらけになった体の汚れを片手のまま軽く払う。
そして残った右手で、回復魔法を放ち始めた。
「その魔法で、そこの魔法使いも治してやれよ」
相田は顎を軽く突き出し、遠くで倒れているクレアにも治療するように勧める。
「その間くらいは、待ってやるさ」
その言葉に、リコルが倒れているクレアに視線を送る。彼女は指先一つ動いておらず、死んでいるか生きているのかは分からない。
だが、それだけだった。
リコルは自分の回復魔法をかけ終わると、そのまま顔を正面に戻す。
「魔王の言葉なぞ、聞く必要はない」
「………別に」
相田は思わず呆れ、言葉を一瞬詰まらせた。
「そこまで俺の肩書に気にする必要はないだろう。なぁ? それとも俺は間違った事を言ったのか?」
今一度、リコルと言葉を交わそうと試みる。
「勇者は、倒れた仲間には手を差し伸べないのか? もし彼女を回復させたいなら、その時間位は待つぞ? 約束してもいい。回復中に俺からは絶対に手を出さない」
だがリコルは白銀の剣を片手で抜き、その先を相田に突き付けた。
「施しは無用。勇者は悪である魔王を倒す。それが何よりも優先される」
「くそっ、施しのつもりで言った訳じゃ………いや、もう何を言っても無駄か」
一気に感情が諦めへと落ちる。
そして溜息をつく。
もう少しでボスが倒せるだろうと錯覚し、仲間の回復よりも攻撃を優先させた結果、総崩れになる状態と似ている。相田は首を左右に振った。
最早、ゲームだとか漫画だとかそういう次元の話ではない。
助けられる命にも関わらず、仲間を見捨てでも戦おうとする姿に、相田は改めて自身がもつ様々な『勇者』と決して相いれない存在として、また人として彼の行動が間違っていると確信する。
相田の心が随分と落ち着いた分、気が付けば自分の中で蠢いた声や慟哭が気にならなくなっていた。それと同時に、目の前の男に対する落胆の思いを吐くように天を仰ぐ。
その時、巨大の光の束が、リコルの後ろから空へと向かって駆け上がった。
「あれは、ホーリークロス?」
その技を見たのは、相田にとって二度目であった。
そして、リコルも同じ光を見上げている。
「今のは妹の技………どうやらこの勝負、我々の勝ちのようだ」
光の束を見届けたリコルは、妹の勝利を確信し、自信に満ちた表情に戻る。
「………そうだな、我々の勝ちのようだ」
相田もまた、仲間の勝利を確信した。




