第三話 (1) 『ヒロイン喪失事件』
「七々扇さん、これ俺らの班が必要な物品のメモ。大きさとかも書いてあるから、その通りのやつ頼むな!」
「うん、了解だよー! って、うわー細かいねぇ!」
「当たり前やで! めっちゃ頑張って計算したからな!」
「ふふ、雅樹君たちの班は、模型に力入れてたもんね。うん、了解! ちゃんと注文しておくね!」
「ありがとう七々扇さん!」
「ユーリちゃーん! こっちもー! こっちもおねがーい!」
「はいはーい! 今行くよー!」
九月も中盤に差し掛かり、スクフェスの準備が本格的に進んでいる。
もうすぐ模型や壁紙を作るための材料を注文する期間に入るため、みんな教室の中にメジャーを当てたり設計図を書いたりしながら、あーでもない、こーでもないと侃々諤々(かんかんがくがく)の話し合いをしている。
必要な物品を取りまとめ、注文する係である学級委員の夢莉さんは特に忙しそうで、先日からひっきりなしに色んな人に呼び止められていた。メモを渡されたり、メモを取ったり。僕ならすぐに管理できなくなりそうだ。
当然ながら、彼女が本物の夢莉さんではない事は、みんな気付いていない。
彼女が夢莉さんである事を誰も疑わず、笑顔で話している。
もしかしたらおかしいのは僕だけではないのかと、そんな錯覚を抱いてしまうくらいに、彼女はこの学院に溶け込んでいた。
『七々扇さんが別人と入れ替わっていたという事実を、私たちが気付くことができなかった理由。これはまだ分からない』
昨晩、ララちゃんと話した内容が脳裏をよぎる。
結局あの後数時間話し合った後に僕は眠ってしまった。
肩を叩かれて起きた時には起床時間の十分前で、僕とララちゃんは急いで、そして慎重に、それぞれの寮へと戻った。
僕を起こしてくれたララちゃんは、果たして寝ていたのだろうかと、ちらりと横目で彼女の姿を確認する。相変わらずテキパキと作業を進め、班の人たちに指示を出したりしている。とても徹夜した人間の動きには見えなかった。
『今私たちが確認できる真実は二つ、入学当初に居た七々扇夢莉は姿を消してしまったということ。もう一つは、今いる七々扇夢莉が別人だという事だ』
『ヒントが少なすぎるね……』
分かっていない事の数に比べて、手持ちの手札があまりにも少なすぎる。こんな状況で、どうやったら真実にたどり着くことができるというのか。そう思って僕は頭を抱えそうになったけれど、ララちゃんはあっけらかんと言った。
『そんな事はない。最高の手掛かりが転がっているじゃないか』
『最高の、手掛かり?』
『あぁ。七々扇夢莉の「偽物」さ』
偽物。つまり、今夢莉さんとして振舞っている人物の事か。
『偽物は自分が七々扇夢莉でないことを知ってるはずだ。つまり、どのように入れ替わったのか、何故入れ替わったのか、私たちが知りたい情報を持っている。これを使わない手はない』
『それはそうだけど……直接聞き出すって事?』
ララちゃんは首を横に振った。
『いや、それは危険すぎる。偽物にはあくまで、私たちがこの事実に気付いていない、と思ってもらっていなくてはならない。もし私たちが気付いたことを知られてしまえば、最悪、七々扇さんの命にかかわるかもしれないだろう?』
その通りだ。だからこそ、偽物は僕たちの手掛かりにはなり得ない。そう思っていたのだが……
『偽物に悟られず、彼女から情報を抜き取る方法があるってこと?』
『あぁ。それが君ならばできるんだ。強い共感力を持つ、君ならば、ね』
今度は僕が首を横に振る番だった。
最初に行ったことを、ララちゃんは忘れてしまったのだろうか。
『ララちゃん、言ったじゃないか。僕の共感力は、精々小説の中の……物語の中の登場人物の気持ちを汲み取る事しかできないって。現実の人間の感情を読み取ることはできないんだよ』
『なんだ、まだそんな事を言っているのか』
駄々をこねる子供に言い聞かせるように、ララちゃんは言った。
『だがカナタ。君はいくつかの事件を、その共感力を使って解決してきたじゃないか。それは現実世界の人間の思考と感情をトレースした結果じゃないのか?』
『それは……』
そう、それは僕も気になっていたことだ。
だけど、僕なりに結論は出ている。
与えられた情報が限定的で、かつ、登場人物がある程度整合性の取れた行動を取っている必要があったかこそ、成り立ったのだ。そう僕が言うと、ララちゃんはなるほど、と頷いた。
『確かにそれもあるだろう。だが、一番はそこではないんだよ、カナタ』
『どういうこと……?』
『カナタ、君は繊細で、傷つきやすく、そして優しい。さらに言えば、自分にあまり自信がない』
『えぇぇ、そうかな……?』
まぁ自分に自信がないのは確かだけれど。
『当然だ。文章の機微から登場人物の気持ちを汲み取れるなんて繊細な感性を持っていなくては成り立たない技術だし、君のこれまでの暮らしぶりを見ていたら、優しい人間だというのはすぐに分かるよ。実直で、純粋だ』
ほめられている、のか?
そこまで分析しているのなら、傷つきやすい、の部分はどこから類推したんだろうか……。
『だからこそ君は、怖いんだよ。実際の人間の感情を当ててしまう事が怖い。それとは逆に、自分が読み取った感情が、もし間違っていたらどうしようという恐怖も抱いている。だから君は、無意識に身近な人間の感情を読み取ることを制限しているんだ。本当はわかるのに』
『犯人当ての場合は、例えその読みが外れていたとしても自分にさして影響がないから、できたってこと?』
『そうだ。勿論、小説の登場人物にしたってそうだ』
もし、友達の感情を読み取ることができたとすれば。
僕はその直感に従って行動してしまうだろう。
けれどそれがもし外れていたとすれば?
もしくは、真実を突き付けたがために逆に相手を怒らせてしまったとすれば?
それならば最初から、感情なんて読み取らなくていい。あるがままの人間関係を築けばいい。そう、無意識に思っていた、という事か。
『はは……』
なんて臆病な。
『それは違うよ、カナタ。君は純粋なだけだ。買ったばかりのキャンパスのようにね』
また心の中を読んだみたいに……。
認めたくはなかったけれど、だけどどうしようもなく彼女の説は僕の感情にフィットした。
きっとそれが真実だから、パズルのピースの凹凸の様にぴたりとはまったのだろう。
『だとすれば、僕は偽物に嫌われようがどうしようが構わないから、彼女の気持ちも読み取れるはずだってことだね』
『あぁ。おまけに、彼女は七々扇夢莉ではない。つまり、君の言うような情報の海に溺れることはないはずだ。くく……これほど仮説を検証する実験にふさわしい相手はいるまいよ』
相手に話しかけず、何も悟られることなく、情報を抜き取る方法。
確かに僕の共感力は、それにぴったりなのかもしれない。
どんな情報が得られるかはまったくもって謎だけれど……やってみる価値はあるだろう。
そう思い、僕は今日、夢莉さんの偽物の事を不自然でない程度に観察していた。
ララちゃんのお陰で、僕はあまり動揺することなく、偽物さんを眺めることができた。
肩辺りで揺れるショートヘアー。顔は小さく、鼻筋はすっと通っている。
まつ毛は長く、ネコみたいな目は両方二重で、くりくりとしていて可愛らしい。
赤色のメガネが良く似合っていると思う。パーツの配置は確かに似ているけれど、写真で見た夢莉さんとは全くの別人だ。
だけど、彼女は夢莉さんを完全に演じきっていた。
口調、口癖、所作、仕草、思考回路に至るまで、完全に夢莉さんそのものだった。
■ □ ■ ■ □ ■ ■ □ ■ ■ □ ■?
「……?」
一瞬、自分の考えに違和感を覚えた。
もやもやと形にならない、埃みたいなそれは、僕が実態をつかみ切る前に霧消してしまった。
「ユーリちゃーん! 作業道具ってどこかしまう所あるかなー?」
「あー、じゃぁ一番右端のロッカー使ってー! 空いてるはずだから!」
「あーほんとだ! ありがとー!」
……いや、やはりおかしい所はない。周りのみんなが不審に思わない時点で、偽物の夢莉さんの真似はクオリティーが非常に高いはずだ。そこは疑うべくもない。
ただ……。
「七々扇さーん!」
「はいはーい! 今行くよー!」
何故だろう。
今日一日観察して、僕は彼女が、どこか……どこか少し、投げやりになっているのではないかと、そんな事を思った。
「……いやいや、投げやりってなんだよ……」
我ながら意味が分からない。
偽物はわざわざ入れ替わりを成功させて、この場所にいるんだ。投げやりになる要素がどこにある?
そう冷静に判断はするのだけれど、それでもやはり、僕の直感は彼女が投げやりになっていると、そう静かに告げていた。
「どしたん、かなたっち。眉間にしわ寄ってるで。お腹痛いん?」
「あぁ、雅樹か……。いや、そういうんじゃなくて……」
「じゃぁ、腰痛?」
「お前は僕の腹周りになんか恨みでもあるのか……。そうじゃなくてさ。夢莉さん、なんか疲れてるのかなーって思って」
「ゆうりさん?」
「間違えた。七々扇さん」
「……」
「間違えたんだよ、他意はない」
「……」
「待って落ち着いて本当に他意は――――」
「こんちゃん、わっきー! 集合や!」
「かけなくていい! そんな集合かけなくていいから! ほら皆今は自分の班の手伝いをしなくちゃいけないだろうしだからお前ら来んなよぉおおおおお! 暇かよぉおおおお!」
駆け足で駆け付けた残りの変態二人組に机を囲まれ、僕は頭を抱える。
「どうした雅樹、事件か?」
「せやねんこんちゃん。薄々感じてたとは思うけど、かなたっちとある女性が怪しい」
「ふふ……それは僕も薄々思っていたんだよ」
「あぁ、俺もだわっきー。みんなでせーの、で言おうか」
「せやな。「せーの」の「の」で言うんやで。じゃないと合わへんからな。いくで、せーの」
「七々扇さん」
「七々扇さん」
「麗華さん」
「え?」
「え?」
「あ、そっち?」
「どっちも違うから」
七々扇さん派の雅樹とわっきーが言う。
「いや、七々扇さんやって絶対。さっき名前で呼んでたもん夢莉さんって、名前で。ファーストネームやでファーストネーム。絶対ただならぬ関係やろ」
「僕もそう思う。体育倉庫の一件では、かなたっちは七々扇さんの為に動いていたみたいなものだからね。何かしらの特別な感情がないと、あそこまでは動けないと思う」
ララちゃん派のこんちゃんの意見はこうだ。
「いや、呼び名で言えば、麗華さんのこともララちゃん、と呼んでいるじゃないか。奏汰以外の人間がそう呼んでいるのを、俺は聞いたことがない」
「た、確かに……」
「それに昨晩、寮を抜け出して会いに行ってたよね?」
「なんやて⁈」
つーっと背中の上を冷や汗が流れた。
なんで、ばれた?
「いや、俺昨日中々眠れなくてさ。結局朝までゲームしてたんだけど、奏汰全然帰って来なかったから」
「み、未曾有の腹痛に苛まれてて……」
「後、朝戻ってきた奏汰から麗華さんの香水の匂いがした」
「浮気発見した新妻みたいなこと言うな!」
昨晩はバタバタしていて三人に事情を話すのをすっかり忘れていた。
けれど、まさかこんな形でばれてしまうなんて……。
僕はとにかくそのことはまた今度話すから、今は絶対誰にも言わないでくれ、と小さな声で懇願した。
「まぁ勿論内緒にはしとくけどさ。なんや、そしてらもう麗華さんで確定やん。七々扇さん、あんなに可愛いのにもったいな」
「本当にね。僕も鴨川さんと出会ってなかったら、七々扇さん狙ってたかもしれないのに。顔は申し分なく可愛いし、性格も良い」
「いや、勿論僕にはもったいないんだけど、別にアプローチ掛けられてたとかじゃないから。というか、ララちゃんとも全くそういう関係ではなくてね……」
「言い訳は寮でじっくり聞くよ、奏汰」
「そんな、話は署で聞こう、みたいな言い方やめて」
なんの罪も犯していない僕の言い分は、しかし変態三人衆には通らなかった。やれ羨ましいだの、やれどこまでいったんだだの、浮いた話を聞き出そうとあの手この手を使ってくる。
掘ったって何も出て来やしないのに……。
こうなるとララちゃんに相談事をするのはここでは難しそうだ。
僕はがたりと椅子を引き、立ち上がっていった。
「ちょっと図書館行ってくるね、調べ物しなくちゃ」
「お、逃げるのか?」
「そういうわけじゃないけど……そろそろ三人とも班に戻った方がいいんじゃない? それぞれの班のボスがにらんでるよ?」
「げ、マジで?」
「ち、違うんだ如月さん! 話を聞いてくれ!」
「麗華さん、僕はさぼっていたわけじゃないんだ。少しリフレッシュをしていただけというかなんというかごめんなさい今すぐ資料まとめるの許してください」
どこの班も女性が強いなぁと思いながら、僕は教室を後にした。
相談の内容も内容だし、ここはお言葉に甘えて、妖精さんにお願いするとしよう。




