あとがき
あとがき
『光は息をしている』
ここまで、この長い物語を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この物語は、ソフィーアという一人の少女の人生を描いた作品であると同時に、「戦争とは何か」「平和とは何か」を問い続ける物語でもあります。
物語の始まりは、ソビエト連邦崩壊後のウクライナ。
春のブチャに生まれたオレクサンドル。
秋のブチャに生まれたオレーナ。
二人は機械と音楽、それぞれの夢を抱いて育ちました。
好きな人ができて。
結婚して。
子どもが生まれて。
本来なら誰にでもあるはずの日常を生きていました。
しかし、その日常は戦争によって引き裂かれます。
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私は、この物語を書くにあたり、一つの疑問をずっと抱いていました。
なぜ普通に暮らしている人たちが苦しまなければならないのか。
なぜ誰かの野望や権力欲のために、遠く離れた家族が引き裂かれなければならないのか。
なぜ子どもたちが地下鉄駅で寒さに震えなければならないのか。
なぜ歌を歌っていた少女が、爆撃の音を覚えなければならないのか。
なぜ父親が家族を守るために武器を持たなければならないのか。
この問いに、簡単な答えはありません。
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戦争が終われば平和が来る。
私たちはついそう考えます。
しかし現実は、それほど単純ではありません。
この物語で描いたように、地雷は戦争が終わった後も人を傷つけ続けます。
失われた手足は戻りません。
亡くなった人は帰ってきません。
心の傷も簡単には消えません。
オレクサンドルが悪夢を見るように。
ソフィーアが怒りや憎しみに飲み込まれそうになるように。
戦争は、人の心の中に長く残り続けます。
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だからこそ、この物語では「歌」と「笑い」を描きました。
歌は戦車を止めることはできません。
笑いでミサイルを撃ち落とすこともできません。
けれど。
歌は泣いている人の隣に座ることができます。
笑いは凍りついた心を少しだけ温めることができます。
それは小さな力です。
でも、小さな力だから価値がないわけではありません。
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ソフィーアが病院で歌った歌。
光子と優子が届けた笑い。
スヴィトリャーナとクリリナがキーウに作ったリトル博多。
どれも世界を一瞬で変える力はありません。
しかし、人を絶望から引き戻す力は持っています。
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この物語には、意図的に「憎しみだけで終わる人」を描きませんでした。
もちろん怒りはあります。
許せないこともあります。
理不尽な出来事もあります。
けれど、最後に憎しみだけが残ったら、戦争は終わらない。
オレーナの両親を奪われても。
祖父母が地雷で傷ついても。
オレクサンドルが拷問を受けても。
それでも前を向こうとする。
そこに希望があると思ったからです。
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そして、この物語でもう一つ描きたかったのは、「国境を越える友情」です。
ウクライナのソフィーア。
福岡の光子と優子。
育った国も、言葉も、文化も違う。
けれど、人を思う気持ちは同じでした。
悲しい時に寄り添う。
苦しい時に支える。
嬉しい時に一緒に笑う。
その積み重ねが、やがて国と国をつなぐ架け橋になる。
私はそう信じています。
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タイトルの『光は息をしている』には、そんな願いを込めました。
光とは、希望です。
優しさです。
人と人をつなぐ心です。
戦争は街を壊します。
建物を壊します。
家族を壊します。
けれど、光そのものを殺すことはできません。
誰かが受け継ぎ続ける限り。
光は生き続けます。
息をし続けます。
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オレクサンドルからソフィーアへ。
ソフィーアからスヴィトリャーナとクリリナへ。
そして、日本の光子と優子へ。
受け継がれた光は、物語の最後でも消えていません。
むしろ、これから先も広がり続けるでしょう。
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もしこの物語を読み終えたあと、
遠い国の出来事を少しだけ自分事として考えてもらえたなら。
平和について少しだけ考えてもらえたなら。
家族や友人の存在を少しだけ大切に思ってもらえたなら。
作者として、これ以上嬉しいことはありません。
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最後に。
戦争や災害や病気で、大切な人を失ったすべての人へ。
今も苦しみの中にいる人へ。
そして、それでも前を向こうとしている人へ。
この物語を捧げます。
歌がある。
笑いがある。
光がある。
だから人は、もう一度歩き出せる。
そう信じながら。
――終わり。




