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「リアーヌ、お前と結婚する必要は無くなった。今日で婚約を解消させてもらう」
イジドール伯爵家の大広間でエリック伯爵令息は宣言した。突然の宣告を受けたリアーヌは、ただ静かに立っていた。
驚きはない。やはりこの時が来てしまったのか。その気持ちが大きかった。
彼の隣にいる一人の令嬢が上目遣いにこちらを見ている。眉目麗しい、どこか異国の香りがする女性だ。
「リアーヌ、お前も了承してくれるな?」
エリックは立て続けに問う。イジドールは伯爵家、対してリアーヌのアズナヴール家は、イジドール家から封土を与えられた男爵家。二家は封建的な主従関係にあり、明確な格差がある。
それだけではない。アズナヴール家は貿易業も営んでいるのだが、イジドール伯爵家はその主要な取引相手だ。ユーベイ港という巨大な港を仕切っており、逆らえばどんな報復でもすると有名である。
力関係的にもリアーヌは異議を唱えることが出来ない。それは婚約破棄を言い出したエリックが一番分かっている。分かっていて、言っているのだ。
「……しかし、急ではありませんか。エリック様のご両親は、このことを了承されているのですか」
「当たり前だろう。こんなこと、父上の許可なしに言い出すわけがない」
エリックは即答した。
「父上も、それから母上も俺と同意見だったよ。お前よりカサンドルの方が良いと仰っている」
どうやらリアーヌはエリックだけではなく、彼の両親からも切り捨てられていたらしい。直近で顔を合わせたタイミングでは笑顔で接してくれていたのに、人間、裏では何を考えているか分からないものだ。
「分かりました」
リアーヌは目を伏せ、低い声で言った。
「ですが理由はお聞かせ頂かないわけにはいきません。そうしなければ、私は実家の両親に説明することも出来ませんから」
エリックは鼻を鳴らした。
「分かり切っているだろう。それはカサンドルの方が俺の妻に相応しいからだ」
エリックはカサンドルを抱き寄せながら言った。彼女は潤んだ瞳でエリックを見つめている。華奢に見えるカサンドルだが、はっきりした身体のラインの持ち主であることはドレス越しにも分かった。
「リアーヌ、そもそもお前と結婚することになった大きな理由の一つは、『退魔の水晶』を使えることだったな。だがそれはお前じゃなくても出来る。しかも魔力量の遥かに優れるカサンドルなら、もっと簡単に扱える」
退魔の水晶とは、イジドール家に代々伝わる魔道具だ。これに魔力を持つ者が力を籠めることで、辺り一帯からモンスターを遠ざけることが出来る。
ユーベイ港は漁業も盛んであるのだが、しかし魚が多いということは、それを喰おうとする海洋性の魔物が集まって来るということだ。中には船に襲い掛かって来る大型のものもいる。
魔物を遠ざけるには、常に水晶の力を発動させておかねばならなかったのだが、それにはかなりの魔力量を必要とする。
リアーヌは退魔の水晶を発動させることが出来たため、エリックの父、ホルトン伯爵の目に留まったのだった。
しかし、カサンドルの魔力量はリアーヌの比ではないという。
カサンドルの姓をアルナルディ。皇帝の遠縁にあたる、隣国ユーリス帝国侯爵家の令嬢だ。
ユーリス帝国はここ、セアン王国の三倍の人口を有する巨大国家。カサンドルはその帝国の貴族院を首席で卒業し、魔法も学業もトップクラスだった。
好奇心旺盛な彼女は卒業後、知見を広めるため、我がセアン王国で開かれた舞踏会に参加した。
そこで出会ったのがエリックだった。
話しているうち、彼女はエリックに惹かれていった。
カサンドルは帝国の貴族には無い、紳士的なエリックの態度に惚れてしまったのだという。確かにエリックは外面が非常に良い。本性を隠していれば、外見も身のこなしも、一流の貴族に見えるだろう。
そして惚れたのはエリックも同じだった。
カサンドルは才色兼備であるにも関わらず、全く鼻にかける様子がない。柔らかい笑顔と明るい性格の、まさに完璧な淑女だった。
この時既にエリックはリアーヌと婚約していたが、そんなものは真実の愛の前には、あってないようなものだったという。
それにカサンドルと結婚することは、両家にとっても大きなメリットがある。
彼女の実家、アルナルディ侯爵領は穀物の生産が盛んだ。それを港を通して輸入が始まれば、双家にとって利益があるだけでなく、国同士の緊張緩和にも役立つ。
それらの理由を踏まえ、リアーヌとカサンドルを天秤にかけたエリックは、迷わずカサンドルを選んだのだった。
いい加減、彼の演説じみた婚約破棄の理由付けに辟易していたリアーヌは、早くその場を辞去したかった。
もう決定は覆らないのだ。ならばここに用はない。これまで婚約前にもかかわらず、退魔の水晶に力を込める作業を始め、少しでも伯爵家に役に立とうとして来た。
それがこういう形で裏切られたのなら、もう未練も何も無い。
さっさと引き上げるに限る。
ようやく話が一区切りしたタイミングでリアーヌはお辞儀をした。
「では私はこれで失礼させて頂きます」
「待て、まだ話は終わっていない」
直ぐに低い声で呼び止められた。
「何でしょうか」
振り返ると、エリックは元婚約者に向けているとは思えないような、冷たい視線でリアーヌを見ていた。
「お前にはアメルハウザー諸島領の領主、ハルトヴィン子爵の元に嫁いでもらいたいと思っている。既にお前の父親……ルーデンス男爵には我が伯爵家から話をしてある」
脇に控えていた使用人たちが静かにざわつくのが分かった。勿論リアーヌも動揺していた。表情を変えぬよう努めるのに必死だった。
婚約破棄に関しては、ここにカサンドルがいる時点で、正直予想が出来た。しかしその要求は想定外だ。
もしリアーヌがこのまま実家に戻れたのであれば、まだ正式に伯爵家との婚姻が結ばれる前であるし、貴族令嬢としてやり直すことが出来る。
しかしハルトヴィン子爵に嫁ぐとなると話が変わって来る。彼は通称、魔海の海賊と呼ばれる男だ。
アメルハウザー諸島はユーベイ港の遥か沖合に浮かぶ島々。
そのまた海の向こうは隣国と接しており、過去何度も侵攻や略奪に晒されてきた。
しかしその度撃退に活躍したのが、アメルハウザー子爵家の有する海軍部隊だ。
現領主のハルトヴィン氏、並びに彼の父や祖先は幾度となく侵攻を食い止めてきた。セアン王国ではアメルハウザー家の人々を英雄視する見方もあるのだが、隣国からの侵攻が落ち着いてきた今は海賊としてのイメージが上回っている。
彼らは敵船だろうが商船だろうが見境なく襲い掛かり、根こそぎ金品を奪って、海を血に染めるという、まさに海賊のような蛮行をしているという。
だがアメルハウザーの存在は国防上非常に重要。故に国王陛下は彼らの蛮行に目を瞑り続けているらしい。
また、島々はこのイジドール伯爵領を上回る豊かな漁場だと言われているが、退魔の力は届いていない。つまり常にモンスターが出現する危険地帯でもある。子爵家の力を借りねば、渡航すること自体が命がけだ。
「……何故、私にアメルハウザー諸島へ行けと」
リアーヌは自分でも声が震えていることに気付いていた。
「アメルハウザー諸島は国防の要衝であると同時に、海の向こう側とはいえ我がイジドール領と隣り合っている。子爵家との関係は良好に保っておかねばならない」
少しづつ、話が見えてきた。
「それで、現領主ハルトヴィンと最近手紙をやり取りしたのだが、島には貴族自体が少ないらしくてな。ちょうど、あいつと同じ年ごろの娘がいないらしい。このまま放っておいたら一生独身……それは奴も望んでいないだろう。だからこう書いた。『俺が良い嫁を紹介してやる』とな」
エリックは何故か愉快そうに言うが、リアーヌは全く心穏やかではいられなかった。要するに、野蛮な辺境の領主の元に嫁が来ないので、彼らのご機嫌を取るためだけに、不要になった元婚約者を送ろうとしているのだ。まるで着なくなった服でも譲り渡すかのように。
エリックは「リアーヌの父に既に話をしてある」と言ったが、それは要するに、封建的関係にあって逆らえない父に、圧力をかけ、無理やり了承させたということに違いなかった。
「良いか、これは国防を担う重要な役割だ。適任はお前しかいない。行ってくれるな?」
普段は物静かなリアーヌも、この時ばかりは怒りが爆発しそうだった。
「なぁに、形的には島流しのようなものになってしまうが、男爵家より家格は上なんだ、ちょうど良かったじゃないか」
エリックは他人事とばかりに続ける。
さっきまで怒りの湧いていたリアーヌだが、急に空しくなった。こんな人間のいるイジドール家のために、今まで精いっぱい尽くしてきたのだろうか。そう思うと、全てがどうでも良くなった。
「分かりました。行かせていただきます」
リアーヌは感情のこもらない声で言った。もう何も期待しない。自分の道は、自分で切り開くしかない。その思いが腹に据わっていた。
たとえ相手が蛮族だろうと海賊だろうと、自分は妻として、セアン王国の人間として、役目を果たすのみだ。
もはや幸せになろうという気は一滴もわいてこないのだった。




