第1話「ギルドの剣士」
エテリア大陸の東端に、霧の多い小さな街がある。ルミナス。辺境と呼ぶには多少の活気があり、都市と呼ぶには程遠い。それでも俺はこの街が嫌いじゃなかった。鍛冶の煙と、革なめしの匂いと、朝市の怒鳴り声が混ざり合った空気。物心ついた頃から吸い続けた、俺の原点の匂いだ。
俺の名はカイル・ヴァルド。この街で鎚を振るい続ける鍛冶師ヴァルド親父の息子で、今は冒険者ギルドにたむろするA級剣士だ。才能と呼ばれるものは一つだけある。「剣魂の血統」。遠い先祖に伝説の剣聖がいるとかいないとか、家に伝わる話は曖昧だが、剣を握って体を動かし始めると確かに何かが変わる。全身が熱くなる。斬撃の一本一本が、磨かれた刃のように鋭くなっていく。チートじゃない。才能でもない。毎朝、夜明け前から父の作った剣で素振りを繰り返してきた。その積み重ねが、血の中に刻み込まれただけのことだ。
その日も俺はカウンターで依頼書を流し読みしていた。ギルドの空気がいつもと違った。酒を飲んでいた連中が口を閉じている。いつも賑やかな受付周りが妙に静かだ。掲示板に人だかりができていた。近づいて見ると、巨大な羊皮紙が一枚、他の依頼を押しのけるように貼り出されている。
緊急討伐依頼:古竜の覚醒
報酬:金貨五百枚。
備考:失敗した場合、ルミナスおよび周辺集落への甚大な被害が予測される。
しばらく眺めた。「また俺か」
「また君よ」振り向くと、受付のエリカが書類の山から顔を上げてため息をついていた。
「A級で今ギルドにいるのは、あなただけ。他の連中に回せる話じゃないわ。わかってるでしょ?」
「わかってるよ」俺は肩をすくめた。「仲間は?」
「いつもの三人ならもう来てる」言い終える前に扉が開いた。
「また古竜絡みの依頼? あなたって本当に、面倒事を引き寄せる体質ね」銀髪が揺れた。リリア・フェアウィンド。エルフの弓使いで、俺の長年の相棒。口の悪さと射精度の高さは、どちらも大陸一だと思っている。
「一緒に来てくれるんだろ」
「あなたが死んだら後始末が面倒だから、しょうがなく」
続いて床が揺れた。ガルドだ。ドワーフの斧戦士、ガルド・アイアンベアードがドカドカと入ってきて、俺の肩を叩く。力加減というものを知らない男だ。
「よお、カイル! 古竜の鱗で新しい斧が作れそうだ、最高じゃねえか!」
「お前の目的はそれか」
「戦いに行く理由なんて、そんなもんだろ!」
最後に小走りで駆け込んできたのがミア。猫耳の魔法使い、ミア・ルナール。ローブの裾を翻しながら、俺を見て満面の笑みを浮かべる。
「カイルさん、また一緒に戦えるんですね! 嬉しいですよ〜!」
「俺を喜ばせる前に、荷物をまとめてこい」
「もうまとめてきました!」
こいつらがいる限り、どんな依頼でも笑えてくる。
森の入口にキャンプを張ったのは夕刻だった。焚き火を囲んで、リリアが地図を広げる。指先が古竜の巣窟とされる山の頂付近を示した。
「まずは眷属の狼の群れ。次に森の中層でワイバーン級の中ボス。それを抜けたら本体と当たる」リリアが俺を見た。「要所要所で、あなたの剣が鍵になる。わかってる?」
「わかってる」
「わかってても死ぬことがある。気を抜かないで」
「抜いたことないだろ」
「あなたが気を抜かないのは知ってる。ただ言いたかっただけ」ガルドが豪快に笑い、ミアが苦笑した。風が揺れ、炎が傾いた。
その夜。遠吠えが聞こえたのは、夜半を過ぎた頃だった。
最初は一匹。次に二匹。気がつけば四方から重なり合い、森全体が低く唸っているような錯覚に陥った。俺は立ち上がり、剣の柄に手をかけた。暗闇の中で、十数対の目が光っている。シャドウウルフ。通常の狼より一回り大きく、毛並みが闇に溶け込む。群れで囲んで仕留める。それがあいつらの戦い方だ。
「十五……いや、十八か。多いな」
「数えてる場合じゃないでしょ」リリアがすでに矢をつがえていた。「来るわよ」
先頭の一匹が地を蹴った。
俺は踏み込んだ。父が作った剣、「ヴァルドブレイド」を抜き放つ。刃が焚き火の光を受けて白く輝いた瞬間、体の芯に熱が走る。血統が目覚める感覚。手のひらから肩、背中、足先まで、全身に火が点くようだ。飛びかかってきた狼の顎を、ステップで外した。
横薙ぎ。一閃。
風を切る音と、肉を断つ音が重なる。三匹が同時に地に落ちた。血の匂いが広がる。
後ろから矢が飛んだ。リリアが二匹を串刺しにする。ガルドが雄叫びとともに斧を振り回し、群れの横腹へ突っ込んでいった。ミアの火球が弧を描き、夜の森を一瞬昼に変える。それでも狼は怯まない。
左から二匹。俺は剣を立てて一匹の突進を受け流し、その勢いを利用して回転。続く一匹の首元を薙いだ。血しぶきが頬を打った。熱い。生き物の熱が顔にかかる感覚は、何度味わっても慣れない。
右。また二匹。今度は回避できない角度だ。俺は避けずに踏み込んだ。懐に入って最短距離で刺突。一匹の喉を貫く。もう一匹の爪が肩を掠め、革鎧が裂けた。痛みは後で感じる。今は動くことだけを考える。汗が目に入る。息が上がる。それでも足を止めない。群れが薄くなっていくのがわかった。ミアの炎が追い詰め、ガルドが押し込み、リリアが逃げ道を塞ぐ。俺の役割は、前線を割ること。
最後の一匹が牙を剥いて跳んだ。俺は一歩前へ出て、上段から縦一文字に振り下ろした。地面に落ちる前に、それは二つになっていた。静寂が戻ってくる。風だけが吹いていた。
【戦闘終了。経験値獲得】
レベルが上がる感覚はないが、体がさらに軽くなる。
「……終わったか」息が荒い。肩の傷が、遅れて主張し始める。大したことはない。ガルドが斧を担ぎ直しながら、豪快に笑った。
「いい腕してるじゃねえか、カイル! まあ俺も負けてないけどな!」
「負けてたら今ここにいない」リリアが俺の肩の裂け目を一瞥した。
「手当しなさい。本番前に傷を増やさないで」
「わかってる」
ミアがすでにポーチを開けていた。小さな手が俺の肩に触れる。回復魔法の光が滲んだ。
「大丈夫ですか、カイルさん」
「問題ない」
焚き火が揺れる。夜はまだ深い。古竜の巣窟まで、道のりは残っている。俺は剣を拭い、鞘に収めた。
—続く—




