第三百三十話:莉奈の決断
仲間を救うか、世界を守るか。
ジロの禁断の研究が進む中、私は一人、厨房で答えの出ない問いと向き合い続けていた。日本の当局が提示した期限は、刻一刻と迫っている。壁に貼られた二つの世界の地図が、私の引き裂かれた心を象徴しているかのようだった。
(どうすれば……どうすれば、ドルフさんを助けられる?でも、この世界を危険に晒すわけには…)
その時、ふと、私の脳裏に蘇ったのは、日本での、あの短い時間の記憶だった。父と母の涙。源さんの頑固な魂。ケイレブ様が出会った、名もなき警察官の誠実さ。そして、レンの冷たい野望と、ジロの危険な探求。
どちらの世界も、単純な善悪では割り切れない。どちらの世界にも、守るべき温かさと、警戒すべき危うさが存在している。ならば、私が取るべき道は、どちらかを選ぶことではない。
「……両方、守る」
私の唇から、か細いが、鋼の意志を宿した声が漏れた。
そうだ。私は、諦めない。仲間も、二つの故郷も。その全てを守り抜く道を、この手で見つけ出す。
私は、厨房を飛び出した。そして、ラボで苦悩する魁人と、街の防衛準備に追われるミーシャとケイレブ様を集めた。
「私は、決めたわ」
私は、仲間たちの顔を見渡し、はっきりと告げた。
「日本の当局との交渉に応じます。でも、全面降伏じゃない。『限定的な協力関係』を結ぶことを、こちらから提案するの」
「莉奈さん!?それはあまりに危険では…!」
ミーシャが反対の声を上げる。
「分かってる」
私は頷いた。
「でも、これが唯一の道だと思う。彼らも、レンという脅威には気づいているはず。共通の敵を前に、一時的にでも手を取り合う。そして、その交渉のテーブルで、私は証明してみせる。私たちが、彼らにとって脅威ではなく、むしろ有益な存在になりうることを」
「どうやって…?」
ケイレブ様が問う。
私は、厨房の棚から、一つの小さな壺を取り出した。中には、日本での経験からヒントを得て開発した、【慈悲ラーメン】の、濃縮されたタレが入っていた。
「私の武器は、これよ」
私は、その壺を、決意と共に握りしめた。
「武力でも、科学でもない。『食』による外交を、始めるの」
それは、あまりにも無謀で、前代未聞の賭けだった。だが、私の瞳に宿る揺るぎない光を見て、仲間たちは、もはや反対の言葉を口にすることはできなかった。彼らは、この厨房の主が、再び立ち上がったことを悟ったのだ。




