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古代文明の遺物「カップラーメン」を再現したら、聖女と間違われました  作者: 神楽坂ミコト


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第二百八十七話:ルークの最初の一杯

「……温かい」


私のその一言は、固く閉ざされていた部屋の扉を、そして私の心の扉を、確かに開け放った。

扉の外で息を殺して待っていた弟子たちが、私の声を聞きつけ、雪崩を打つように部屋へとなだれ込んでくる。

「親方!」「大師匠!」

彼らは、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、私の周りに集まった。ケンが、アヤが、そして厨房の仲間たちが、ただ「よかった」と繰り返す。その、不器用で、しかしどこまでも温かい歓迎に、私はようやく、自分が一人ではなかったことを、心の底から思い出した。


私は、弟子たちが作ってくれた、たくさんの物語が溶け込んだスープを、最後の一滴まで、ゆっくりと、大切に味わった。空っぽだった私の心は、彼らの温もりで、確かに満たされていった。


その光景を、部屋の隅で、ルークはただ黙って見つめていた。

彼の、まだ何色にも染まっていない純粋な魂は、この部屋に満ちる温かい感情の奔流を、畏怖と、そして少しの羨望と共に感じ取っていた。

(……これが、リナが創り出してきた世界。これが、『絆』という名の、温もり)


彼は、思い出した。

自分が神の力を失い、この厨房で初めて人間として目覚めた日。空っぽだった自分の魂を、莉奈が差し出してくれた一杯のラーメンが、どれほど優しく満たしてくれたことか。あの温かさがなければ、今の自分はなかった。

今、師である莉奈は、弟子たちの温もりで、少しだけ元気を取り戻した。でも、まだ足りない。彼女の魂の光は、まだか弱く揺らめいている。


(僕も……)


彼の心に、生まれて初めて、一つの強い感情が芽生えた。

誰かに与えられるのを待つのではない。自らの意思で、誰かのために、何かをしたい。

あの日の恩返しを、僕も、この手でしたい。


弟子たちが、喜びの余韻に浸りながら厨房の片付けを始める中、ルークは、おずおずと、しかし決意を秘めた足取りで、火の灯った厨房へと足を踏み入れた。

「……僕も、作りたい」

彼の、か細いが、真剣な声に、厨房にいた全員が、驚いて彼を振り返った。

「ルークさん?」「何を作るってんだ?」

「リナに……ラーメンを」


その言葉に、ケンが慌てて彼の前に立ちはだかった。

「馬鹿野郎!お前にラーメンが作れるわけねえだろ!親方の心がようやく戻りかけてるって時に、変なもん食わせてみろ!」

ケンの言葉は、もっともだった。ルークは、皿洗いくらいしかしたことがない。料理など、一度も。

だが、その時、厨房の入り口に寄りかかっていた私が、静かに首を横に振った。


「……やらせてあげて、ケン」


私の声には、もう以前のような力ない響きはなかった。ただ、穏やかで、優しい好奇心が宿っていた。

私は、ルークの瞳の奥にある、純粋な光を見ていた。それは、技術や知識ではない。ただ、大切な人を喜ばせたいという、料理の、最も根源的で、美しい光だった。


ルークの、最初で最後のラーメン作りが始まった。

それは、壮絶な、そしてどこか微笑ましい光景だった。

麺を打とうとして、小麦粉を顔中真っ白にする。スープの味見をしては、醤油を入れすぎて「しょっぱい!」と叫ぶ。チャーシューの代わりに、彼が切ったのは歪んだ野菜の切れ端。

弟子たちは、ハラハラしながらも、手を出さずに見守っていた。ケンは頭を抱え、アヤは「頑張って!」と小さな声援を送っている。

マヤだけが、その光景を、うっとりとした目で見つめていた。彼女の神の舌には、ルークが鍋に落とす一滴一滴の汗さえもが、最高の隠し味として感じられていた。


数時間後。

ルークは、小麦粉と汗とスープで汚れながらも、一つのどんぶりを、震える手で私の前に差し出した。

「……ごめん。うまく、できなかった」

そこに置かれたのは、ラーメンと呼ぶにはあまりにもお粗末な一杯だった。麺は切れ切れで、スープは濁り、野菜は不揃い。

だが、私は、その一杯から立ち上る湯気に、確かに見た。彼が、私に伝えたい、たった一つの想いを。


私は、何も言わずに、そのどんぶりを受け取った。そして、レンゲでスープを一口、口に運んだ。

しょっぱい。そして、薄い。技術的には、間違いなく人生で一番不味いスープだった。

だが、その味の向こう側に、物語が聞こえた。

初めてラーメンを食べた日の、彼の驚きと喜び。皿を洗いながら、仲間たちの笑い声を聞いていた時の、穏やかな時間。そして何より、私に元気になってほしいという、彼の、どこまでも純粋で、温かい祈り。


私は、顔を上げた。私の瞳から、また、涙がこぼれ落ちた。でも、今度の涙は、弟子たちがくれた涙よりも、もっと温かかった。

私は、ルークに向かって、この数週間で、初めて心の底からの、満面の笑みを浮かべた。


「……美味しい」


その一言は、どんな賛辞よりも、ルークの魂を、そして、その光景を見守っていた全ての仲間たちの魂を、温かく満たした。

私が失っていたもの。それは、完璧な一杯を創り出す技術ではなかった。

ただ、誰かのために創られた、不格好で、温かい一杯を、「美味しい」と笑って食べる、その心だったのだ。

その光景を、広場の向かいから、一人の男が静かに見つめていた。彼の口元に、好敵手だけが浮かべる、不敵な笑みが浮かぶ。

「……茶番は終わりだ。ここからは、俺の出番らしい」

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