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第九話 ターニングポイント

 チンピラどもを片付けた後、俺はおっさんと向かい合いって食事を楽しんだ。

 おっさんは、果汁を絞った水を酒みたいに飲む俺に変な顔をしていたが、それには何も言わず楽しそうに酔っ払っていた。

 こうやって年長者と食事をするのは久しぶりだ、以前は隊の先輩たちと騒ぐこともあった。ほんの少し前のことのはずなのに、もう随分前のことに思える。


「お前、その歳で随分手慣れてるな。どこで戦い方を学んだ?」


 おっさんが軽く尋ねる。俺は新しい肉にナイフを刺しながら適当に答えた。


「まあ、それなりに戦う機会があったんでね」

「ふむ……。旅をしているんだろう、これからどうするつもりなんだ?」

「王都まで行って兵士になるつもりだ」


 おっさんはそれ以上深く追及せず、どこか品のある物腰で静かにワインを口に運ぶ。俺も別に語るつもりはない。そんな空気のまま、しばらく食事が続いた。


 だが、気づけば俺は口を開いていた。


「……軍全体を鍛え上げる。どんな敵にも負けないように」


 自分でも驚いた。こんなこと誰かに話すつもりはなかったのに、自然と呟いてしまっていた。このおっさんの雰囲気というか圧力のせいだろう。嫌な感じじゃないんだが、隠し事が出来ない空気がある。


 おっさんは手を止め、じっと俺を見つめた。次の瞬間、わずかに表情が曇る。


「……なるほどな」


 それ以上、何も言わない。だが、その反応で分かった。こいつは俺よりも多くのことを知っている。そして、俺の考えに疑問を抱いた。


「なんだよ」


「……………傭兵団を作る気はないか?」


「は?……俺が?」


「お前には、人を惹きつける才がある。戦力が必要だと考えているならお前が人を率いるべきだ」


「そんなの言われたのは初めてだよ。おっさんもかなり酔ってるようだな」


「ぬかせ若造。まぁ、好きにしろ。そういう道もあるという話だ。未来は一つではないぞ」



 この話はこれで終わった。後は給仕の女が魅力的過ぎるのも悪いとか、ちょっと強気な感じなのに抑え込まれているのがよかったとか、女性に聞かれたら速攻で縁を切られそうなくだらない話をした。

 聞かれてしまうようなマヌケを晒すこと無く。彼女には紳士的に振る舞って感謝された。

 やっぱり女性の前だと格好つけちゃうな。おっさんも同じ様でお互いに笑った。




 次の日、酒場の二階で眠っていた俺は、階下からのパンを焼く香ばしい匂いで目を覚ました。

 荷物をまとめると、軽く背伸びをして階段を下りた。今日もたっぷり歩かなくちゃいけないからな、まずは腹ごしらえだ。


 酒場として使われる一階には、すでに数人の客が朝食をとっている。その中におっさんも静かに座っていた。

 がっしりした体躯に無駄のない動き。気品を感じさせる所作。伸びた顎髭が渋みを増していて、明らかに場に不釣り合いな佇まいだ。


「よう、早いな」

「あぁ、おはよう。おっさんも出るのか?」

「いや、ここは飯が美味いし、給仕の娘とも仲良くなったからな。しばらくここでゆっくりするつもりだ」

「そうかい、そりゃいいや。歳の差は忘れるなよ」

「ぬかせ」


 朝食は簡単なスープとパンだけだ。追加で焼きたてのパンを頼んで布で包み、懐にしまっておく。

 

「じゃあな。楽しかったよ」

「あぁ。そうだ名前を聞いてなかったな」

「ガルドリック。ガルドでいい」

「俺はディモン。ただの隠居だ」


 そう言って笑うその顔には、昨日と同じくどこか余裕がある。

 ディモンか、覚えておこう。


「またどこかで」

「きっとな」


 俺は背を向け、扉を開けて外に出た。朝の冷たい空気の中、まだまだ遠い王都へ向けて歩き出す。そして早々に馬車に抜かれて、路銀が乏しいことを嘆いた。おっさん食い過ぎなんだよ。



          ◇◆◇◆◇



 それから5日後。


 ――長かった。ようやく辿り着いた。


 途中、野盗と戦うこともあったし、変な村の騒動に巻き込まれもした。頭のおかしなやつに絡まれもしたな。

 とにかく、旅は退屈どころか息をつく暇もなかった。俺が思っていた以上に、この世界はざらついている。ずっと兵士をしていた俺の世界は狭かったんだな。

 


 そして、アウステル王国の首都、王都アウステル。


 その姿を遠くに見た瞬間、胸の奥がじわりと熱を帯びた。


 懐かしい。

 懐かしすぎて、言葉が出ない。


 高く聳える城壁、白い石造りの外門、長い行列に混じる商人や旅人たちのざわめき。その一つひとつが、かつて過ごした日々の断片を呼び起こす。

 ここで八年。笑って、怒って、泣いて、戦って……あの日々があった。


 けれど今は、何もない。誰も俺を知らない。俺にとっても初めての街だ。



 長い列に並んで、ようやく門前に辿り着いた。


「止まれ。王都には何の用だ」


 門兵の男は、槍を立てて俺を睨みつける。若いが、よく鍛えられているのが分かる。どこか余裕のある口ぶりに、昔の自分を重ねそうになる。


「軍への入隊志願だ」


 言った瞬間、男の眉がほんの僅かに動いた。


「へえ……」


 鼻で笑うような反応。だが、何も言わずに手を出してくる。


「身分証を」


 俺は腰のポーチから、金属製のギルドカード、C級冒険者証明証を取り出して手渡す。これのお陰で道中いろいろ捗った。


「……C級、ね。田舎のギルドで取ったのか?」

「ああ」

「ま、入るのは自由だ。好きにしな」


 門兵は皮肉っぽく口元を歪めながらも、特に何の妨げもせずカードを返してくる。手続きも何もない。配属は違うだろうが、後輩になるってのに言葉もないのか。



 門をくぐった瞬間、空気が変わった。


 見慣れた道だ。懐かしい建物の並び。市場のざわめき。調理された肉の香ばしい匂いが風に乗って鼻をくすぐる。

 何もかもが、懐かしい。


 でも、そこに自分の居場所はない。

 知っているのに、知られていない。それが、こんなにも冷たいものだったとはな。


 とにかく、今は休もう。流石にもうクタクタだ。


 財布の中には残り銀貨が1枚と銅貨が僅か。入隊すれば寮もあるし飯も出るから心配要らない。本当にギリギリだった。

 向かったのは王都南端、冒険者や労働者が集まる通りのさらに外れにある安宿。


『浮き草亭』


 くたびれた木の看板。軋む扉。入り口で座っていた女将がちらりと俺を見ると、すぐに条件を突きつけてきた。


「一泊、食事なしで大銅貨3枚。文句は受け付けないよ」

「構わない」

 本当は構いたい。王都の物価たっけぇよ。


 金を渡し、無骨な鍵を受け取る。階段を上り、廊下の一番奥。古ぼけた扉を開けると、狭くて湿った部屋。木製のベッドに、ひとつの窓。

 だが、横になれるだけで十分だ。荷を下ろし、装備を解き、ベッドに倒れ込む。


「……明日、か」


 不安は無い。あの厳しい訓練も今の俺ならどうってことないさ。






 翌朝。

 朝の光が、かすれた窓をぼんやりと照らしている。


 浮き草亭の部屋は、夜を越えても湿気が抜けなかった。埃の匂いと、かすかなカビのにおい。まぁ贅沢は言わん。よい兵士は、粗食に耐え、何事にもいちいち不満を持たないものだ。と思っておこう。


 軽く体を伸ばし、背骨が鳴る。


「さて――行くか」


 王都の職人達の朝は早い。石畳の通りに露店の声が響き、人足たちが工具を担いで歩いていく。

 そんな喧騒を抜け、目指すのは軍の詰め所だ。王都内にはいくつも点在している。

 軍への入隊志願は大体どこでも繋いでもらえるのだ。

 入隊に必要な条件は二つ――十五歳以上であること。そして、健康であること。それだけ。


 特別な試験はない。試練もない。

 軍は常に兵士を必要としていた。新兵は来た順に訓練所に送り込まれ、課題をこなせば順次、正規兵に編入されていく。

 一斉雇用などない。戦があれば人が足りず、平時でも不測の備えとして、警備兵、門兵、魔物退治に野党退治。常に門戸は開かれていた。


 だが――


 詰め所の前に立った瞬間、わずかな違和感があった。


 人が少ない。いや、いない。


 かつてここには、常に兵士が詰めていたはずだ。衛兵や兵士見習いで溢れていたはずの広場に、今は散歩する老人と、ひとつの荷車だけがある。

 重々しい扉を押して中に入る。窓口にいた文官風の男が顔を上げ、面倒そうに尋ねてくる。


「……用件は?」

「軍への入隊を希望する」


 男はペンを置き、こちらを見つめ直す。鋭くもなく、優しくもなく。ただ、心底驚いているという顔だった。


「……入隊? 本気か?」

「ああ。入隊条件は満たしているはずだ。健康体で、年齢も規定以上だ」


 そう返すと、男は渋い顔をして何か帳簿をめくり始めた。だがすぐに、ため息をつく。


「……今は兵士の募集はしていない。軍縮政策の影響でね。ここ数年は、新規の受け入れはほとんど凍結されているよ。それとも特別な紹介でもあるかい?」


「軍縮だと……?」


 思わず声が漏れた。意味がわからない。いや、ありえない。


 この国は長年、近隣諸国との緊張状態にあり、軍備はむしろ拡張の方向に向かっていたはずだ。

 ましてや――俺が所属していた「魔導機甲隊」は、わざわざ新設された戦略部隊だった。


「では……新設された魔導機甲大隊の配属要員は? あれの兵員はどこで募集している?」


 そう言った瞬間、文官の男が怪訝そうに眉をしかめた。


「魔導機甲大隊……? 何の話だ?」

「は?………魔導機甲隊だよ、……新発明の魔導兵器を中心にした戦略部隊の」

「聞いたこともないな。おい、聞いたか? “魔導機甲大隊”なんて」


 背後の兵士に尋ねると、そちらも首を横に振る。


「知らん。そんな部隊、王都にはない。そもそも今、魔導兵器の研究は停止中だ。予算が下りなくなって久しい」


 なんだ、何を言っている……。


 ありえない。俺はそこに所属していた。確かに小隊に配属されていたのは数年先の話だ。だが、今この時点でも、部隊の整備が進んでいたはずだ。

 魔導兵器は、この国の未来だった。誰もがそれを知っていたはずだ――少なくとも、あの世界では。


「一体どうなっている……」


 小さく呟きが漏れ、無意識に腰のポーチに触れる。冷たい金属の感触。冒険者カードだけが、今の俺が存在する唯一の証明になっていた。


「……じゃあ、俺はどこに行けばいい?」


 自嘲気味にそう呟いた声が、静かに詰め所の壁に吸い込まれていく。




 外に出ると、通りは相変わらず賑やかだった。朝露が乾きはじめた石畳を、市民たちが忙しなく行き交っている。

 屋台の肉の焼ける匂い、鍛冶場から聞こえる金属音。王都は何も変わっていないように見えた。


 ……だが、ここは自分の知っている王都ではなかった。


 軍に入ることで、前に進めると思っていた。最悪の未来に備えるため、あいつらと一緒ならきっとなんとか出来ると考えていた。

 だがそれが通じない。世界は巻き戻ったんじゃないのか?この”今”の世界は、いったいなんなんだ?


 中央広場まで歩き、無意識に足を止めた。広場の片隅、苔の生えた木製のベンチに腰を下ろす。

 人通りはあるが、誰もこちらを気に留めない。兵士だった頃、よく見回りで通った場所だというのに。


 ――軍が兵を集めていない?

 ――魔導機甲大隊が存在しない?


 理解が追いつかない。

 あれは夢だったのか? 違う。俺はあの戦場にいた。仲間がいた。あの力が、あの戦いが、幻のはずがない。


 だが、証明できるものは何一つない。

 俺の知っている未来が、今のこの世界にはない。


 「……クソッ」


 金はほとんどない。数日宿に泊まれば終わりだ。軍もだめとなれば、冒険者として細々と依頼を請けるしかない。


 けれど、それは目的を失うということだ。

 軍に入って、かつての仲間たちを探す。それが巻き戻り後の、唯一の“道”だった。

 それすら失われた今、何を軸に進めばいい?


 もう、あの未来には戻れないのか――。


 不安は、知らず胸の奥に染み込んでいた。

 ガルドリックという存在の芯が、じわじわと削られていくような感覚。


 「……」


 俯きかけた視線の先、広場の小石が蹴られて転がった。

 足音。気配。近づいてきた誰かの気配が、自然と目を向けさせた。



「よう、兄ちゃん。調子悪そうだな。……兵になりに来たか?さっき詰め所から出てきただろ」


 緩い口調。どこか馴れ馴れしいが、悪意はない。

 振り返ると、若い男が立っていた。布の簡素な服を着ており、どこか田舎出の若者らしい雰囲気がある。手ぶらで、装備らしいものもない。だが、足の運びと立ち方には独特の物があった。


「……そうだ。だが、無駄足だったようだ」


 返す声は、少しだけ乾いていた。


「俺もさ。夢見て来たら門前払い。軍縮だってよ。いやぁ、ついてねぇよな、はは」


 男はベンチの端に腰を下ろした。まるで旧知の友人のように、自然な動作で。


「兵士になりたかったのか」

「まぁな。軍に入っちまえば食うに困ることは無いからよ。ずっと畑を耕すってのはどうにも向いてないって言われててさ。商売する金もねぇし、それなら戦で手柄を立てればって思ったわけよ」


 そう言って、にかっと笑う。軽薄とも見えるが、その目はどこか読めない深さを持っていた。


「俺、フォルクハルト。どこかで見たような顔してるけど、初対面……だよな?」



 胸の内に、微かな震えが走った。


 確かにあいつだ。未来で共に戦った仲間。あの時代では最後まで盾を並べた男。

 この時代では、まだ兵士ですらないヒヨッコだ。


「……ああ、初めて会う。ガルドリックだ」




 世界は確かに違っている。未来も、今も、思い通りにはいかない。

 それでも、すべてが失われたわけじゃない。道が無いなら作ればいい。戦力が無いなら築き上げていけばいいんだ。

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