第94話 鋼の翼を持つ者
影は真っ直ぐ勇者のいる方角へ向かっていった。あまりにも速かったので影の本体そのものを目視することはできなかったが、以前戦って惨敗した竜と同じくらいのサイズはあったように思える。
「うっぷ……い、今の、ヤバい気が、する。追おう!」
「すみません、少し待ってください」
「あ、ごめん。じゃあ少し休んでからにしよっか」
直接やりあうよりも放置する方がマズいと、燃香の危険感知センサーが反応したのか、また吐きそうになりながらも即座に追跡しようとする彼女をニオンが引き止める。
見ると、ニオンの翅は半ばから折れており、飛んであの影を追える状況には程遠い。すぐに飛ぼうとしなかったのはこれが理由か。
「……追おうって、もしかしてあのデカい影のことか?」
「そうだよ? 放置するのはヤな予感がするんだよね……」
「確かにあれを放っておくのはマズい。けど、勇者のいるところに戻る方がリスキーだし、この人数差じゃ勝てない。……それでもか?」
ここに来たのは勇者の捜索及び無力化。そしてそれは彼らから距離を取り、各個撃破するのがベスト。あの影がなんなのか分からないが、危険なことは分かる。あれを放置すれば勇者集団との戦争云々以前に一般人に多大な被害をもたらすに違いない。だが、最悪両方を相手取らなければならなくなりかねないこの状況は非常によろしくない。
それは燃香も承知のはず。それでも行くと判断したのには彼女なりの根拠があってのこと、俺の問いに対してどう答えるのかそれは分かってる。つまりこれはただの確認だ。
「それでも。それにリスクは承知の上だよ」
「お待たせしました。どうやら方針は決まったみたいですね」
「じゃあ、行くか」
2人は頷く。改めて俺たちは影が飛び去った方向へ、勇者たちがいるであろう方向へ歩みを進めた。
息を潜めて気配を消しながら森の中を行く。なるべく速く、だが勇者にもあの影を落とした何者かにも気取られないよう慎重に。空中ではなく、陸上を進む関係上ニオンは人間の姿に変わっている。
数分と経たずにニオンがセミの姿に戻って高速で飛び、勇者たちを撒いた地点に戻れた。しかし、どこにも勇者の姿はなく、また生き物の出す僅かな音さえしなくなっていた。俺たちを待っていたのは勇者でもあの影の何者かでもなく、寒気さえ覚えるほどの静けさだったのだ。
ニオンも燃香もいつになく険しい表情で周囲を窺っており、嫌な予感でもしているのか、これ以上一歩も進もうという気配がない。かくいう俺もこの先に進むのはなにか取り返しのつかない展開になりそうで躊躇していた。あの時戦った竜を思い出したからだ。
ニオンが急に左手を少し挙げ、警戒の合図を出し、指を1本立てる。どうやら1人こちらに来るらしい。俺と燃香はそれを見て頷いた。
合図されて気づいたが、近づいてきているのはさっきの遠距離攻撃してきた、極端に気配が薄い勇者だ。複数人で行動していないのはなぜだろう? 逸れたのか?
そうこう考えているうちに木のうしろから妙に背後や空を気にしながら、なぜか逃げているそぶりの勇者が現れる。身に纏っている上等な装備は傷だらけ、至るところから血を流し、手にしている杖は半ばから折れており、それからは力を感じない。
「! こんなところにいたのか! ……ちっ、残念だが、今お前らと争ってる暇はない。俺は帰らせてもらうんだか————」
彼は俺たちをその目で確認すると杖を構えて魔術を放とうとするが、それが折れていることと、なにか切迫した事情を思い出したのか攻撃を諦めてその場を去ろうとする。が、次の瞬間、轟音が鳴り響いたと思えば彼の上半身はなくなっていた。
ほんの一瞬だった。別にまばたきしたわけでもないのに決定的な瞬間を見逃していた。気づけば勇者は死体になり、無様に血を垂れ流すだけの肉塊と化していた。
「「「ッ!」」」
即座に互いの背後を庇うように3人で背中合わせになり、臨戦態勢に移る。勇者は集団から逸れたのではない、何者かの襲撃を受けて既にあの勇者1人だけになっていたのだ。
「ユウリ、見ましたか?」
「全く。気づいたらああなってた」
「私もさっぱり。ニオンは見えた?」
「一応は。攻撃してきたのは鳥でした。それもちょうどさきほど私たちの頭上を通過した影ほどの大きさの」
「……なんで俺たちをスルーして勇者の方を襲ったんだろうな?」
「最初から彼らが標的だったのでは?」
「それは言えて————!?」
「大地の剛拳!」
3人で最大限警戒していたにも関わらず、その巨大鳥はいつのまにか数メートルにまで接近しており、俺たちはその翼と激突するコースに入っていた。しかしスピードならニオンも負けていない。銀色のオーラを纏う岩石を魔術で生成と同時にそれらを弾丸のように射出した。
巨大鳥がニオンの魔術の直撃を食らい、少し怯んで速度が落ちたことで竜の力の発動準備が間に合った。
「ゴルィニシチェ!」
突如として実体化した山のような物体に巨大鳥は追突すると、途中で怯んで速度が少し落ちていたこともあってそのままの勢いでは押し切ることができずに完全に停止する。その瞬間に山は動き、巨大鳥を弾き飛ばした。
それは背に山と木、緑を背負う四足歩行の竜、ゴルィニシチェだ。さらにゴルィニシチェは背負う岩を銀色に発光させると大地を砕いて岩石を隆起、巨大鳥へ追撃を放った。
「なっ、躱した!?」
しかし巨大鳥は即座にゴルィニシチェを蹴ると飛び上がり追撃を躱した。その後宙返りし、方向転換ののちすぐにさらに上空へ飛び上がると振り返り、こちらを睥睨する。
その姿は一言で言えば鋼だ。鋭い眼光も、緋色の体毛も、刃のような銀色の翼の先端も。いずれもみな傷つけることが叶わない頑強さしか感じない。
「————!!」
巨大鳥はなにを考えたのか高度を下げると、俺たち3人を1人ずつ見つめ、突如として咆哮した。しかし巨大鳥にこちらを攻撃するそぶりはなく、ただ見つめてくるだけだ。
「なに言ってるんだろう? 意思は感じるけど、さすがに鳥の言葉は分からないなぁ」
「今すぐに攻撃をしようというわけではなさそうですね」
「ならここは俺の出番だな」
「ユウリは鳥と会話ができたのですか?」
「正確には竜の力が、だけどな。クエレブレ!」
その名を呼ぶ俺の声とともに、全身を硬い鱗に覆われた竜、クエレブレが現れる。クエレブレは俺の視線を受けて1つ頷くと巨大鳥に向き直り、何事か話しかける。すると巨大鳥はそれに応じ、鳴き声を発する。側から見るとそれは会話ように思えただろう。いや、実際これは会話なのだ。
クエレブレの能力の1つである《爆音》、どこまでも届く強大な音を発する能力。これの応用することで周囲の音やそのパターンを聞き分け、意思がこもっていれば翻訳できる。……しかし、俺にはこの能力をどう応用すればこうなるのかさっぱり分からなかったし、説明されてもよく分からなかった。
「貴様らに用はない。去れ。そうすれば命までは取らん。……だそうです」
「あの勇者たちだけが目的ってこと?」
クエレブレは巨大鳥の鳴き声を人間の言語へ意味が通るように翻訳できたのか、その言葉を人語をもって俺たちに通訳する。それを受けての燃香の問いをクエレブレは巨大鳥に伝えると巨大鳥は頷き、さらに鳴き声を発した。
「そうだ。奴らはあの竜が持っていた契約のようなものを受けていたからだ。奴の力をこの大陸に残しておくわけにはいかん。……だそうです」
「あの竜?」
「この大陸にやってきた半ば骸と化した竜人族のことだ。奴の持つ《嫉妬の契約》、力を得る代わりに嫉妬を冠する魔王への服従を示す特性。それに似たなにかしらの能力を奴らは有していた。明らかに危険な存在だ。生かしておくわけにはいかん。……と言っています」
「本当にそれだけですか? いくらあの人間たちが強力な力を有しているとはいえ、わざわざその居場所を特定してまで始末しに行く必要があるのですか? 一介の魔物が調停者の真似事をする意味はないでしょう」
カントリ林の一件のあと地方都市ランドに帰る日、高沢と4人で集まった時に彼女から聞いた話では、高沢はカントリ林で勇者2人と戦った際に、勇者同盟に所属する選ばれし勇者たちは皆《不可逆論理》を有していると、彼ら勇者たちから聞いたらしい。
また、勇者同士の会話からその特性は所有者のステータスを大幅に強化するとも彼女は言っていた。勇者たちだけが有していて危険なものは《不可逆論理》のことで、《嫉妬の契約》に似た能力とは多分それだろう。
「親なら幼い我が子のためにあらゆる危険を排除しようとするのは当然だろう。……とのことです」
「雛の、いや子どものためか」
「そうだ。キャドン山に現れた奴は強く、子を守りながら戦うことはできなかった。奴は既に半ばコープスと化していたがゆえに、いくら負傷させても止まらなかったからでもあるが。結果、私は子を連れて逃げ去るしかなかった。……と言ってます」
「(この巨大鳥の住処はキャドン山。つまりこいつは世に言う怪鳥なのか。あの竜が山に踏み込んだ……のかは分からないが子どもを守るために怪鳥は子を連れてあの山頂を去った。だからあのタイミングで怪鳥は山頂にいなかったのか)ちなみにその竜はもういないぞ。俺の仲間が調べた結果、そいつはもう死んでると分かったんだ」
仲間とは竜の力で呼び出した竜のことだ。意識を取り戻したあの朝までに復活した彼らは自主的に活動していた。あの竜を探すためだ。また狙われてはひとたまりもないと考えたのだろう。それは俺も同意見だ。
結果、それと思われる骨や魔力の残滓が見つかった。それらから得た情報を統合した竜たちは奴は既にこの世にいないと判断したらしい。
「もういない、だと? ……と言っています」
「ああ。だからもう戻っても大丈夫だぞ?」
「そうか。一つ頼みがあるのだが————とのことですが……」
「そうか。燃香、大丈夫そうか?」
「問題ないよ」
怪鳥のその頼みを聞いたが、特に問題はなさそうだと判明したので受けることにした。しかし、それを担当するのはこの中で最も魔術に長けている燃香なので、実行できるか、してもいいかを聞く必要はある。まあ、その件は二つ返事で返ってきたので問題なかったようだが。
数分と経たずに俺たちは怪鳥とともにキャドン山に来ていた。怪鳥は巣を掴んで飛び、俺たちはバハムートに乗っての移動だ。かなり速いスピードでの移動なので巣の中の雛が落ちかねないという問題があったが、そこはバハムートの《基底崩し》による重力操作能力で解決済み。
無事、キャドン山に到着した俺たち、というか燃香は怪鳥と翻訳担当のクエレブレの3人(?)で山頂近くの岩場の一角になにかあった時の隠れ家を作成していた。魔術で周囲の景色に溶け込むよう隠蔽をしたり、結界を張ったりしている。それを山頂から雛を守りながら眺めていた。
「大人のサイズでこれなら子どもはどうなんだとは思ったが……デカいな」
「そうですね……」
しばらく燃香たちの隠れ家作成を眺めてはいたが、凄まじい精度と幅広い属性適性、高い魔力が作業には必要とはいえ、見ているだけなのはさすがにしんどい。ものの数分で見飽きてしまい、巣の中でじゃれあう三匹の雛の方へ視線を変えた。
最も、俺たちには怪鳥がいない間に雛が襲われないように守るという役割はある。無論、ニオンも俺も警戒態勢だ。ただ、それ以外にすることがなくて暇だと思えるほど、片手間でできるほどニオンの感知能力も熟練しているのだ。
俺も成長しているが、さすがにニオンに匹敵するとかはない。それでも片手間でできるほどになっていることに成長を実感できて嬉しいが。
「とりあえず頂上とは別の……そうだなぁ。あの辺りに雛のセーフハウスを設置して————」
「助かる、これでなにかあってもわざわざ避難する手間が省ける。どんなお礼なら対価として足りるだろうか? だそうです」
「気にしないで。……まあ、人里に降りてこられるとこっちもこっちで困るし、協力するのはお互いのためになるからそれでいいと思うよ」
およそ一時間かけ、隠れ家は完成した。別れもそこそこに俺たちは拠点で転移して地方都市ランドに戻った。
俺たちがヒナツ森林に来た理由である勇者の捜索及び捕縛あるいは討伐は既に完了し、怪鳥がこれから起こしたかもしれない問題も未然に防いだ。これを議長に報告すれば依頼は完了、実績と情報が民衆に正しく伝われば彼のメンツを保つための依頼が発生することはなくなるだろう。
今はいいが、勇者集団との戦争が本格化すれば、それを気にする余力は議長にも民衆にもなくなる。そうなった時、果たして俺たちはどうするべきなのだろうな?




