第86話 邪悪なる黒竜
「おい、なにしてる?」
カントリ林、その大樹の根本、今もおよそ30人の勇者がそれを切り倒そうと魔術や魔技、特性、スキルで絶えず攻撃を行っているが、今のところの成果は大樹の直径の三分の一にもなる深い切れ込みが作れたくらいで、伐採には至っていない。
そんな『勇者同盟』東B2部隊の駐屯地であるここで、1人の勇者の少年が茫洋とした眼差しでどこか遠くの空を見つめていた。その少年にサボりかと彼に声をかける同年代くらいの青年の勇者は、さっきまで大樹の伐採作業を行っていた者の1人で、今は別の勇者と作業を交代して休憩時間に入っている。
「ああ、少し魔術の気配がしたので妨害してたところなんですよ」
「魔術? どんなだ?」
「それが詳しくは……。召喚のような気がします」
「あなたの《破却》……でしたっけ? かなり強力な特性みたいですね」
「でも不便なんですよ? 1日に5回しか使えませんし、燃費も悪いし……」
彼の持つ特典の特性の1つは《破却》、指定した魔力による現象を破壊する、という特性だ。さらに現れた少女の勇者の、《破却》への評価に対して彼の言うようにデメリットも存在している。なにも万能というわけではないらしい。
「……なんかあの雲、さっきよりも大きくなってません?」
「気のせいだろ。そもそも雲がデカくなったらなにか起こるって言うのか?」
「確かに……ちょっと気になりますね」
「雲がデカくなることがなんで気になるんだよ?」
その少女の勇者は分担された自分の仕事を思い出してその場を去ろうとするが、ふと見上げた空にある入道雲のように巨大な雲に注目する。その言葉に他の2人も反応して巨大な雲を観察し出す。
「それもありますが、回りの雲は流れていって同じ場所にずっとはいませんけど、あの大きい雲はずっと同じ場所にいるんですよ」
「もしかして中に城があったり?」
「ありえますね」
「バカ言え、そんなの現実にあるわけないだろ。ほら、さっさと仕事に戻れ」
勇者の少年の推測に納得する少女の勇者、しかし、青年の勇者は興味なさげに休憩に戻り、2人にも戻るよう忠告する。2人は周囲の目もあってか、彼に倣って大人しく持ち場に戻る。
少年の勇者は大樹の伐採の様子をちらりと見た。勇者の色とりどりの攻撃を受けてもビクともしないその雄大な姿を見ると、これを切って枯らしてしまうのは少し勿体ないと思うのだった。
さっきまで話題に上がっていた巨大な雲が勇者たちを見下ろしているとも知らずに。
《邪眼》を使わずとも、およそ1キロ先からでも大樹の巨大さはよく分かる。まさにこのカントリ林という一個の世界を支える柱なのだろう。その柱が今、切られようとしている。この狭い世界を壊すために。
……と、なんか、おセンチな気分になっているが、なにもしていないわけではない。着実に下準備は進行中。あと1分かそこらで、ある竜が目標サイズに到達する。あとは機動力の高い竜を呼び出して転移魔術発動まで撹乱するだけ。
「にしても、あの蛇木って残念なヤツ、戦闘中に渡した俺のブレードが欲しいって粘りに粘って……面倒だったからあげたが、まさかあそこまで喜んでくれるとは。高評価なのは嬉しいが、悪用とかされないよな……?」
俺は大樹へ、蛇木はある国を目指し、それぞれの目的地が違うのでと別れた際、戦闘の最中に渡したブレードを蛇木は譲ってくれないかと頼んできた。《硬化兵装》の機密保持のため、最初は拒否したのだが、あまりにも食い下がるし、時間をかけてもいられなかったので渡したが、試作品段階でも喜ばれるということは完成品はさらにいい物になるな。
自分で武器を作ったのも、そもそも使ったのも初めてだから、その評価基準がよく分からないが、ニオンと燃香に見せれば世間一般の評価が分かるかもしれない。
「……ん? なんだ、今のは?」
蛇木がブレードを正しい用途(と表現するのもおかしいが)で使わずに悪用したら、俺が犯人扱いされないだろうか? と若干不安になっていると、あと少しで準備が整い、時間稼ぎとして強襲できる頃になっていた。
その時、俺がニオンたちと別れた地点近くでかなりの魔力を伴った竜巻が起こり、その余波がごくごく僅かにだがここまで届いた。普通なら感知できそうなほどの規模だったが、勇者集団側が気づいたそぶりをすることはなかった。彼らは大樹を切るために大量の魔力を使い、自分たちがその指向性も効果もごちゃ混ぜの中にいれば、いくら感知が得意な勇者でもここから数キロ先の異変にも気づけないだろう。加えるならカントリ林中に蔓延する《不浄体質》の影響もあるが。そして俺はその影響を受けず、しかもそれがあるお陰で察知能力が大幅に向上していたので気づけた。
「……よし、準備はよさそうだ。さて、まずは竜を突撃させる前にさらに《不浄体質》の煙幕でも撒くかな」
さらに時間が経ち、強襲準備が完了した頃にもなると、大樹にできた切れ込みは直径の半分になりかけていた。それまでは時間稼ぎにいかなくても転移魔術発動が間に合うのではないかと思っていたが、途中、木を切るのに特化した武器が勇者たちの元に届いてからは作業スピードが飛躍的に上がっていった。
さらなる予期せぬ事態と遭遇したのはそろそろ大樹がヤバいと思い始めた時だ。
「……3人とも大丈夫か? なにかあったのか?」
音もなく背後に現れたのは、カントリ林に転移した地点で魔術発動をしているはずの燃香と護衛に残った高沢、俺と同じく勇者を引きつけるために別行動をとったニオンの3人だ。
だが、3人の様子はそれぞれ違っていて、ニオンは出発時とは異なり人間の姿に、燃香は出発した時と格好は全く変わらないものの、申し訳なさそうにしていて、高沢は剣と鞘を同時になくしたのか腰に差しておらず、仮面もつけていない。服もだいぶ痛んでおり、激しい戦闘があったことが窺える。傷がないことから治療は済んでいるのだろう。さらには、勇者との戦いでなにかあったのか、若干元気がなく、陰のある表情をしている。
「それがね、その……転移魔術の発動自体は成功したんだよね。でもこのカントリ林のどこかからか妨害を受けてうまく機能しなかったの」
「気にしないでください、モエカ。誰にでも失敗はあります」
「そうだな。それにまだ全部が全部失敗したってわけじゃないさ」
「ありがとう、2人とも……」
「けどなんでここに来たんだ? 合流のためだけに来たんじゃないよな。やっぱり大樹になにか関係があるのか?」
ニオンと俺のフォローで持ち直した燃香に、一応なぜここに来たのかを聞いておく。燃香たちのことだから無策で合流だけをしにきたとは考えにくい。それにその3人の中にはカントリ林出身のニオンがいるんだ。俺では考えつかないような作戦を用意してくれている可能性が高い。
「ここに来たのはユウリと合流するためでもあるんですが、大樹の力を借りるためでもあります」
「大樹の力を?」
「はい。以前なら不可能でしたが、今の私は魔昆虫の上位種を超えています。大樹の意思と交信することは不可能ではないはずです」
「大樹に、意思ってあるの?」
「ありますよ。過去に交信できたのは私の知る限りただ1匹。彼女はもうこのカントリ林にはいませんが、交信できていたのは紛れもない事実です」
高沢の問いにニオンは頷く。ニオンの言う彼女はやはり魔昆虫だろう。それもかなり親しい間柄、多分その彼女はいつか語ってくれた親友だ。彼女について話すニオンのその切なげな表情は、その姿を思い浮かべ、再会を夢見ているに違いない。
「けど力を借りるって具体的にはどうすればいいんだ?」
「私が大樹に触れるだけです。ただ、その力をさらに別の人へ、モエカに移動させるにはそれなりに時間がかかります。なので————」
そこからニオンが語ったのは、勇者集団の強制転移作戦のちょっと信じられないくらい無茶な改正版の概要だった。
大樹の伐採が順調に進み、切った幹の直径が残り半分にまで到達した時、異変は起こった。それまでも少しずつ視界が悪くなっていたが、伐採作業やカントリ林内の監視や連絡に影響が出ることはなかったし、《閲覧》を使っても不審な情報は見られなかったが、おそらくこの林に発生するただの自然現象だと楽観視していた。それは自分たち勇者がこの世界の有象無象に負けるはずがないと、劣るはずがないと確固たる自負があったからだ。
実際、ほとんどのケースではその通りだ。恵まれたステータスに能力、国から保護されて手厚い待遇を受け、安全な環境での無理のないレベル上げに鍛錬。普通、それだけだと途中で経験の量と質が足らず、頭打ちになってしまうものだ。
しかし、天才とも言えるスペックを持つ転移者たちはそこそこの経験を積めば大体はSランク冒険者に近い実力を得ることができる、できてしまっている。それが原因で真に強くなることがどういうことかを知らない、戦いもそれについて回る葛藤も知らない『子供』を大量に生み出しているのだ。さらに今はそれがこの勇者の現状を作り出した。
だが、そもそも誰だって自分の命は惜しい。それは責められることではないし、安全な手段が取れるなら誰だってそうするだろう。自暴自棄になっていたとはいえ、結理の様に死地に身を置く方がおかしいのだ。
「なんだ? この霧?」
「黒いな。さすがは異世界。黒い霧なんてあるのか」
だが、その時から急に空が暗く、いや、黒くなり始めたのだ。勇者たちからは危機感の足りない声が出始めるが、一部の勇者たちはこの異様な状況を分析し、すぐさま行動に出始めた。
「《閲覧》を使っても情報の見えない黒い霧、十中八九、敵の攻撃だ。霧を払い、《察知》で周囲の警戒にあたれ!」
「霧の発生源には無闇に近づかず、距離を取るんだ! この霧がどういう効果は分からない以上、遠距離からの攻撃に徹しろ!」
「霧は吸い込むな! アイテムボックスに事前に配布されたガスマスクを着用し、デバフや状態異常にかかっている者を治療しろ!」
複数人のリーダー格の勇者の指示によって乱れた足並みを揃えつつある勇者集団。しかし、既に事態は彼らに対処できる限度を超えて進行したあとだった。
「なんだ、あれは!?」
「竜か? しかし、あの2匹、どこから現れた……?」
「セミの魔昆虫! なんだあのステータスは!?」
「しかも1匹じゃない! 4匹もいるぞ!」
「あの雲、なんなんだ!? あんなのがいるなんて聞いてないぞ!」
彼らは口々に異変がどのようなものかを叫ぶ。まるでなんとかしてくれと言うように。リーダー格の勇者たちは、半ばパニック状態の頼りない仲間に若干失望するも檄を飛ばし、戦闘の指示を出す。
空から現れたのは、ステルス戦闘機のような形状の機械じみた黒い竜に、化石から現代に蘇ったような、色とりどりの翼竜。どちらも上空から勇者目がけて高速で降下してくる。それまでカントリ林の上空に存在していた雲からは100メートルはくだらないほどの巨大な空飛ぶ蛇が現れた。しかし、その蛇は2匹とは異なり、下降はしてこない。林の木々の隙間から現れたのは4匹のセミ、いずれも尋常でない気配を漂わせている。
勇者たちはその姿に危機感を覚え、それぞれが魔術やスキル、魔技を使った遠距離攻撃を始める。色彩豊かな光が空へ昇っていく。しかし、それらは勇者側と竜側がまるで予め打ち合わせでもしていたかのように躱されてしまう。さらに、予兆もなくどこからか姿を現した彼らの次にとった行動は示し合わせたかのように同じものだった。
「なっ!?」
勇者集団の中の、1人の勇者の彼が驚いたのは目に見える範囲の勇者たち全員がなにかに叩き落とされるようにして地面に縫いつけられたからだ。勿論彼も地面に倒れ伏している勇者の、気づけばその1人になっていた。ゆえに見えるのは地面とあと少しの空間のみ、だが、それだけでも自分たちが置かれている状況は理解できた。
一瞬で制圧されたのだ。あの竜とセミたちによって。さらに、彼は体が指先1つも動かせないことに遅れて気づく。
「(これはっ、重力攻撃を受けているのか? だとしても俺たち勇者が相手だぞ? ほんの数秒で全員復活する。その間に何人かに攻撃できても勇者の俺たちを殺す火力があるはずがない。……だとしたらなにを考えているんだ? この襲撃者は?)」
その答えは次の瞬間、明かされることになる。
「ハイワイドリモートフィールド!!」
「(なっ、上級広範囲転移魔術だと!? なんだこの術の高度さは!? しかもとんでもない規模と効力の————ッ!?)」
その頃、魔昆虫たちは映像に釘付けになっていた。突然倒れた勇者たちが魔術の陣の光の中に消えていき、予期せぬ『飛翔』との再会、さらには邪悪の化身と恐れられる漆黒の竜と、彼によって率いられていると思しき竜と2人の妙な格好の人間が現れたからだ。
そんな彼らは大樹を背に、こちらを睥睨していた。だが彼らが自分たちを感知し、存在を認識しているとしても、その視線が向かうのは大樹の地下のはずだ。だからこそ魔昆虫たちは慄いていた。
こちらが一方的に見ているはずの映像越しに漆黒の竜と目があったことに。




