第64話 減らない問題
咲緒理が侑哉に返事をしてから教室に戻ると、ちょうど昼休みが終わった。6限は体育で、B組との合同授業だ。早速ダンパの練習をすることになっている。
「ハァ……」
着替えの最中、葵の口から大きなため息が出た。側にいた優梨、咲緒理、紗奈はそれが聞こえて、葵の方を振り向いた。
「アオ、元気出して」
「でも……」
苦笑気味に優梨が声をかけるが、葵の沈んだ気持ちは浮上しなかった。その様子に紗奈も苦笑した。葵のため息の理由を知っている雰囲気に咲緒理は首を傾げた。
「アオちゃん、何かあったの?」
聞くと、優梨と紗奈の2人は頷いた。
「昼休みにね、サオが二之宮君と沖田くんに返事をしに行った時なんだけれど……」
「アオちゃん、ダンパで誠史くんと踊ることがエリカにバレちゃったみたい」
「まぁ、どっちにしろこの後の体育でバレることには変わりないけれど、一足早くね」
着替えながら優梨と紗奈がそう話すと、咲緒理はあらかた何があったのかを察した。
「あー、なるほど……」
「それでね、文句を言いに来たのかと思ったら『加村くんとペアを組む以上、無様なダンスをしたら許しませんわよ。加村くんに恥をかかせないためにも、この私が直々に特訓をして差し上げます』って……」
苦笑いを浮かべながら優梨が話すと、咲緒理は同情の眼差しを葵に向けた。葵は大きくため息を吐きながら肩を落としている。
「あの調子だと昼休みだろうと放課後だろうと関係なく特訓をしかねない勢いだったから、さすがに交渉に交渉を重ねたよ。最終的に、体育の時間にある女子のみの練習時間中だけ教わることになったんだ。ねっ、アオ」
優梨が声をかけると、葵は無言のまま頷いた。
「ただ、エリカは生粋のお嬢様だから当然ダンスは上手いだろうし、教えるのも多分下手じゃないとは思うんだけれど……」
「あの勢いじゃ、相当のスパルタだよね。大丈夫かな、アオちゃん……」
優梨と紗奈につられ、咲緒理も葵の方に視線を向けた。葵の周りだけどんよりと暗く、空気も重くなっているような気がした。ため息を吐く葵に同情しかできない3人は、エリカの練習があまりにもきつそうだったら多少の助け舟を出そうと、心に決めていた。
着替えが終わると体育館に移動した。授業開始の鐘が鳴り、まずはいつも通り準備体操から始めた。それも終わると、簡単にダンスの流れや種類についての説明が行われた。
説明によると今回決めたペアによるダンスは、本格的なダンスは未経験または経験の浅い人が多い事から、ワルツのみとなっている。当然、賞を決める対象のダンスもこのワルツとなる。ワルツ以外はフリータイムで踊れるらしく、経験がある人はそこで楽しめるようだった。もちろん、フリータイムはペアチェンジも可能だ。
「まずは基本のワルツをしっかりと覚えるように。では、まずは男女別で練習だ」
その言葉を合図に、男女に分かれた。女子は女性体育教師から、男子は男性体育教師からそれぞれ指導される。
まずはステップから教えられ、慣れてきたら手の形を教えられた。全員が整列し、先生はステップを踏む生徒の間を歩いてそれぞれの動きを見ていた。
しばらくしてから何人かでグループを組み、教え合いながらの練習となった。先生は各グループを回りながら、さらに細かく指導することになっている。
この時間、葵とエリカは一緒のグループを組み、そこに優梨たち3人も加わった。エリカはさすがと言うべきか、ステップも姿勢も褒めるばかりで指導することはないと言われるほど完璧だった。
最初にエリカが見本を見せた後、優梨たちだけでステップを踏んでみた。その様子をエリカはジッと見つめていた。
「……皆さん、踊り方は忘れたと仰っていましたけれど、ちゃんと覚えているじゃないですか」
優梨たちの動きを一通り見てから、エリカはそう呟いた。優梨たちは互いに顔を合わせると、軽く首を振った。
「いや、結構必死に思い出してやっている状態なんだけれど……」
「確かに動きはまだ固いですし、気が逸れるとミスをしています。まぁ、去年までのダンス・パーティーの練習なんて子どものお遊び程度ですからね。私に言わせれば、まだまだですね」
「あぁ、そう……」
本当の事とは言え、エリカのハッキリとした物言いに優梨たちは項垂れた。
「……ですが、私の予想よりはできています。これでしたら、お教えすることはあまり多くないので、こちらも安心です」
「そっか……」
「まずはステップを完璧にマスターしていただきましょうか。考えなくてもできるくらいになるのが理想です。ホールドと合わせるのはそれからで良いでしょう」
そう言うや否や、エリカは4人に背を向けて立った。リズムを唱え、それに合わせてステップを踏む。それを見ながら優梨たちは同じようにステップを踏んだ。
何度か繰り返した後、エリカは前後左右から優梨たちを一人一人見て、横からアドバイスをした。その熱心さは、途中で見に来た先生が無言で見つめ、何も言わずに次のグループに移動するほどだった。その事に当の優梨たちは気付かず、エリカの予想通りのスパルタぶりに頭も体も必死に動かして彼女の指導についていっていた。
授業の3分の2が過ぎると、男女でペアを組んでやることになった。
「ここにペアの相手がいる人は、先のその人と組んで。その後、残りの人でペアを組んでください」
女性教師の言葉と同時に、ペアがいる生徒たちは相手を探し出して組み始めた。優梨はすぐに匡利から視線を逸らし、少し離れた場所に移動した。その背中を葵たちは心配げに見つめた。
さほど時間が経たないうちに、相手のいない人同士でペアを組み始めた。優梨は誰と組もうかと、ペアの決まっていない男子を見渡した。
「優梨」
すぐ側で誰かが立つと、名前を呼ばれた。見上げると、そこには慶人がいた。
「俺と組め」
「あっ、うん。いいよ」
優梨が答えると、慶人は優梨の右手を掴んで匡利たちからさらに離れた場所に移動した。その際、見ないようにしていた匡利たちの方を優梨は無意識に振り返った。
2人とも優梨を見ていた。匡利はいつもと変わらず無表情だったが、梨香子はどこか面白くなさそうに鋭い視線で優梨を見ていた。その視線に、何故か悪寒が走った。
「優梨」
優梨は2人から視線を外し、慶人を見上げた。
「優梨、これからの体育のペア練習は必ず俺と組め」
「えっ? それは構わないけれど……何で?」
首を傾げると、慶人は軽く顎で優梨の後方を指した。チラッと振り返れば、そこには先ほど優梨も見ていた匡利たちがいる。
「……宮岸に、負けたくねぇだろう?」
勢いよく視線を戻せば、慶人はジッと優梨を見つめていた。
話しているうちに先生の合図で全員が互いに手を取り合い、ステップを踏み始めた。優梨と慶人も周りと同じように手を取ってステップを踏み始めた。慶人は貴族出身とあってダンスはお手のもので、優梨を上手くリードしている。優梨も踊りやすく、1人で練習していた時より上手く踊れているような気がした。
そうやって踊っている間も、慶人の言葉は終わっていなかった。
「宮岸は貴族じゃねぇが、腐っても社長令嬢だ。学園主催のダンパのワルツくらい余裕で踊れる」
ちらりと見えた匡利と梨香子のペア。その動きは、とても洗練されているように優梨の目に映っていた。
「経験の差はどう足掻いても埋められねぇが、指導する側の実力と本人の熱意でカバーはできるだろうよ」
「本人の熱意……」
「幸い、葵のついでとは言え、女子の中で一番実力があるであろう白鳥に教われそうだからな。あいつから及第点をもらえれば十分だろうよ。志芭の方も手は打つ。ペア練習も時間があれば見てやるよ」
自分の知らない間に色々と考えてくれていたらしい慶人に、優梨は目頭が熱くなりそうだった。それが分かったのか、慶人はフッと小さく笑った。
「泣くのは宮岸に勝ってからにしろよ」
「うん……ありがとう、慶人。頑張るよ」
「あぁ」
自分には心強い味方がいる。それが分かっただけで優梨の心は軽くなり、自然と笑顔になった。
慶人からアドバイスをもらいながらペア練習を続け、気付けば練習終了の合図が上がった。クラスごとに男女分かれて整列し、いくつかの連絡事項を伝えて先生は授業終了の挨拶をした。同時に授業終了の鐘も鳴った。
優梨はわらわらと出入り口に向かう集団の後ろの方で、出入り口の人が減るのを待っていた。
「天宮くんに何を言ったのかしら。男に取り入るのがお上手ね」
不意に後ろから声をかけられた。眉をひそめて振り返れば、案の定梨香子が立っていた。近くにあまり人がいないからか、愛想笑いはせずに優梨を睨みつけている。
梨香子の言い草に優梨は不快感を隠さずに睨み返した。
「別に何も言っていないけど。取り入るとか、そんなのじゃない。純粋に慶人の善意だよ」
言い返されると思っていなかったのか、梨香子は一瞬だけ目を見張った。それもすぐに鋭い視線に戻った。
「どうだか……第一、付け焼刃の練習でどうにかなると思っているのかしら?」
「やってみなきゃ分からないよ。幸い、個人練習もペア練習もコーチがとっても優秀なの。……案外、どうにかなるんじゃない?」
慶人のおかげか、梨香子の挑発にも冷静に言い返すことができた。それが面白くないのか、梨香子は小さく舌打ちをした。
「せいぜい恥をかかない事ね。……覚えておきなさい」
捨て台詞を残し、梨香子は優梨の横を通り過ぎて体育館を出て行った。その背中が見えなくなると、優梨は大きなため息を吐き、体育館を出て行った。
教室のある公社に着くと、昇降口がやけに騒がしかった。A組とB組の生徒が集まって何か話している。何事だろうかと優梨が思っていると、集団の後ろの方に葵がいるのに気付いた。
「アオ」
「あっ、優!」
葵が寄ってくると、その表情が悲痛そうなことに優梨は首を傾げた。
「何かあったの?」
「それが、サオちゃんが昇降口に入ろうとしたら、上から水が落ちてきて……」
「えっ!? それでサオは?」
「今、紗奈ちゃんと一緒に保健室に向かってる。水だけだったから怪我はしていないんだけれど、何しろ全身びしょ濡れで……」
「……犯人は見たの?」
「それが、すぐに上を見たけれど誰もいなくて……」
「…………」
優梨はチラッと昇降口の上の窓を見つめた。窓の向こう側は廊下のため、誰の仕業なのか特定するのは難しい。
「……本当に、どうにかしなきゃね」
「うん……」
その直後、慶人の号令で全員が昇降口の中に入り、教室へと向かった。その間、優梨と葵の表情はあまりすぐれなかった。
その日の放課後、優梨は部活を終えると自分のファンクラブの会長であるひかるに会った。ひかるは咲緒理の事や梨香子の事で心配してくれていた。
「色々と情報が入ってきているけれど、大丈夫?」
「はい……」
「……こんな時に言うのはどうかと思うんだけれど」
ひかるはそう言って言い淀み、しばし考えた。優梨が不思議そうにしていると、肩を落とした。
「紗奈ちゃんのことも注意した方が良いかも」
「えっ?」
思ってもみない人物の名に優梨は目を丸くした。
「ファンクラブの子からの報告なんだけれど、今朝紗奈ちゃんの靴箱に悪戯しようとした人を見かけたらしい。生憎、顔は見られなかったみたいだけれど、女子らしいよ」
「……雅樹のファンかな」
「かもしれない。彼女のファンクラブ会長には私から話をしてあるよ」
「ありがとうございます」
咲緒理の事ばかりが目立っていたが、紗奈の方でも何か起こりかけていたことに優梨は顔を歪めた。それでも未然に防げただけ良かったのかもしれない。
「……ところで、優梨ちゃんは大丈夫?」
「……多分、大丈夫です」
「例のシンパたちなんだけれど、何か仕出かしそうなんだ。できる限りこちらも注意して防ぐけれど、優梨ちゃんも今までの自衛の強化をした方が良いと思う」
「はい……」
絶えず増える問題に優梨は頭が痛くなった。梨香子の捨て台詞からして何か考えているだろうとは思っていたが、すでに動き出そうとしている事に眩暈がした。
その後、ひかると一言二言話してから優梨は家へと帰った。
その日の晩、夕食に後に全員で1階のリビングルームに集まっていた。全員でソファに座り、中央のローテーブルには紅茶やコーヒーの入ったカップが置かれている。
「――まず、現状を整理するぞ」
声を上げたのは慶人だ。全員が慶人の方に注目した。
「嫌がらせの始まりは先週の土曜日から。あまり日は経ってねぇが、日に日にエスカレートしている。犯人は同一だろうが、複数の可能性が高い。……分かっているのは、こんなところか?」
確認するように朔夜と玲の方に視線を向けると、2人とも頷いた。
「お前たちは犯人に心当たりはないのか?」
今度は優梨たちの方を向いてそう聞いた。優梨たちは困り顔で互いの顔を見合わせた。
「ない訳じゃ……」
「ないんだけれど……」
「確証がないというか……」
「証拠がないんだよね。目撃者もほとんどいないし……」
そう言う優梨たち4人の脳裏には加藤ありさの姿が浮かんでいた。
「……心当たりとは、前に匡利が言っていた加藤の事か?」
優梨たちの考えが分かったのか、慶人が聞いてきた。
「うん、まぁ……」
「部活中には不審な行動はないが……」
慶人はチラッと朔夜と玲に視線を向けた。
「情報によると、加藤は穏健派を装っているが実際は過激派だ。それもかなりの、な」
「おそらく同じ過激派の仲間が他にもいると考えられる。実行犯はその仲間かもな」
2人の言葉に優梨・葵・紗奈の3人は大きくため息を吐き、咲緒理は俯いた。
「……とりあえず、決定的な証拠と証言を集めるしかないな。それまでは咲緒理、お前は単独の行動は控えろ」
「うん」
慶人が言うと、咲緒理は力なく頷いた。それからすぐに解散となり、それぞれの部屋へと戻り始めた。
「待って、慶人」
優梨は最後の方に残り、慶人に声をかけた。慶人はリビングルームを出るのを止め、声が聞こえたらしい玲も立ち止まった。
「どうした」
「ちょっと耳に入れたいことがあるんだけれど……玲も聞いて」
優梨はひかるから聞かされた紗奈の事を2人に話した。さすがに知らなかったらしく、2人とも驚いていた。
「……紗奈は知っているのか」
話を聞き終えて慶人が聞くと、優梨は首を横に振った。
「知らない。まだ被害があったわけじゃないから……アオとサオにも話してないよ。さすがに立て続けで2人にはきついと思うし……」
「そうだな……」
「でも、慶人たちは注意しておいてほしいの」
「分かった……お前は大丈夫なのか? 咲緒理や紗奈の事だけじゃなく、お前自身は」
心配げに聞く慶人に優梨は苦笑して軽く頷いた。
「うん。一応……もう慣れたよ、さすがに」
「……また何かされそうになっているんじゃないのか?」
玲が聞くと、優梨は視線を泳がせた。ただ、さすがに慶人と玲は誤魔化せないと、すぐに肩を竦めて頷いた。
「まだ何もないよ。でも、対策は強化しようと思っている。言ったでしょ? 慣れているの」
「……何かあったら、言うんだぞ」
「分かった。……ありがとうね、慶人、玲。おやすみ」
そう言って優梨は2人に笑顔で手を振ると、リビングルームを出て行った。扉が閉まると慶人は大きくため息を吐き、玲は苦笑した。
「たくっ……慣れたからって何もねぇ訳じゃねぇだろうが、あいつは……いつもそうだ。自分の事は二の次にする……」
「それはお前も同じだろう? 慶人」
「俺は良いんだ」
慶人の不貞腐れたような表情に玲は思わず笑みを零した。
「……慶人と優梨だけじゃない。皆、自分より周りが大切なんだ……俺たちにとって、お互いが初めてできた“家族”だから、何より大切にしたいんだ」
「だが、それで自分を蔑ろにしては意味がない……自分が傷ついてそれを悲しむのは、結局自分が大切にしたかった“誰か”だ」
「あぁ、そうだな……。だからこそ、俺たちも声をかけてやれば良い。少なからず、優梨に何かあるかもしれないことは分かったんだ。後は、優梨の様子を気にかけてやれば良い」
「あぁ、そうだな」
そう言う慶人の表情はどこかやる気に満ちていた。玲はその横顔を眩しそうに目を細めながら見つめた。
「(……他人に必要とされ、他人を助けることを己の存在意義にするお前が、本当は一番自分を後回しにしている。……それが俺たちにとってありがたくもあり、反面一番の心配事でもあるんだがな)」
慶人に気付かれないように玲は小さく息を吐き、苦笑した。結局、自分たちは皆似た者同士なのだろうと、慶人と一緒に部屋へと向かいながら玲は考えていた。
ここまで読んで下さりありがとうございます!
【読者の皆様へお願い】
この小説を「面白い」「続きが気になる」「他の人にも読んでほしい」と思って下さる読者様、
もしよろしければ、ブックマーク・感想・評価・レビューなどをぜひお願いいたします。
作者も嬉しいですし、とても励みになります!
また、この小説はアルファポリス様でも掲載しております。
よろしければ、各小説または目次の下部にあるバナーをクリックしてください。




