第52話 離れる心
優梨たち女子の間で少しずつ佳穂に対する怒りが増している中、佳穂の行動は一向に良くならなくなった。それどころか、一緒に住んでいるはずなのにほとんど顔を合わさなくなり、学校でも不自然に避けられていた。そのせいか、最近は優梨たちの間でも会話が減り、前は賑やかだった夕飯がたまに言葉を交わすくらいで、とても静かなものだった。
「(すっかり周りに影響しているなぁ……本当にいつまで続くんだろう、この状態……)」
周りの皆を見ながら優梨は悶々と考えた。
「(朔夜たちの報告を待つとは言ったけど……もう少し皆の考えをまとめたい……)」
そう思った優梨は、善は急げと早速葵たちを誘うことにした。
「ねぇアオ、サオ、紗奈ちゃん。片づけが終わったら屋根で星を見ない?」
食事の後、優梨は葵たち3人に声を掛けた。3人は優梨の誘いの意図にすぐ気付いた。
「「「賛成!」」」
早く行こうと片づけを急いでいると、すでに自分の分の片づけを終えて食後のほうじ茶を飲んで寛いでいた慶人が顔を上げた。
「おい。屋根で見るのは良いが、もう夜は寒くなっているから風邪ひかねぇようにしろよ」
「「はーい」」
葵と咲緒理が声を揃えて返事をすると、慶人は満足そうに頷いていた。
片づけを終えると、優梨たちは一度自室に戻って防寒対策を整えた。優梨もしっかりと厚着をしてから《瞬間移動》で屋根へと移動した。
「わぁ、星が綺麗……」
夜空を見上げ、優梨は感嘆の声を上げた。この世界の夜空は、優梨が記憶する前世の地球よりも星がよく見える。今は冬が近づき、空気が澄んで益々よく見えた。
しばらく星空を堪能していると、葵たちも次々とやって来た。最後に紗奈がやって来て、紗奈の《無限収納》には人数分のマグカップとポットに温かいココアが入っていた。それを見て、葵が自分の《無限収納》に常備しているお菓子を出した。
「それで、優が誘ってくれたのって佳穂の事だよね?」
それぞれの手にココアの入ったマグカップとお菓子が行き渡ると、紗奈が聞いてきた。優梨は苦笑しつつ頷いた。
「少し状況整理をしたいなって思って……」
ココアを口にしながら優梨は呟くように言った。葵たちはその言葉を聞いて少し考えた。
「……きっかけはやっぱり学園祭の前日の呼び出しだろうけれど……何があったんだろう?」
紗奈の言葉に優梨はあの日の事を考え、佳穂を呼び出した先生の顔を思い出した。
「……あの先生ってさ、確か普通科の英語Rの担当だよね?」
「そうかも……」
「普通科の英語Rか……ん~、普通科の先生とはほとんど関わりがないから名前が思い出せない」
普通科の担当教師とは関わりがないとはいえ、優梨は不思議とあの先生に見覚えがあった。色々と考えを巡らせ、記憶を辿ってあることを思い出した。
「あの先生って私たちのことを良く思ってない人じゃなかったかな……」
「そう言われてみると……たまに呼び止められて説教されたよね。特に髪の事で」
「……わざわざ呼び出してまでそんなことするかな? やったとしても、佳穂より私や優やサオちゃんだよね」
顔をしかめつつ言う葵の言葉は尤もで、優梨たちは納得せざるを得なかった。
「そもそも何で普通科担当の先生が、特進の佳穂に用事があったんだろう?」
「確かに……テストや成績関係は絶対に違うだろうし、部活も違うし……他に関係があるとしたら委員会だけど、佳穂の委員会って何だっけ?」
「確か国際交流委員会じゃなかったかな……でも委員会が関係するなら、佳穂だけが呼び出されているのもおかしいよね?」
「それもそうか……」
優梨は考えれば考えるほど謎が深まっていく気がした。一向に答えが見つからないまま時間が過ぎた。
「……考えられるのは、呼び出しの目的は全く別物で、その時についでに何かを言われた、とかかな?」
「……あり得そうだけど、佳穂がここまで変になるほどの事って、よっぽどだと思うけれど」
優梨の意見に葵は眉をひそめた。ただ、様々にある可能性の中で最もあり得そうなことは否めなかった。
「あとさ……もしも私や紗奈ちゃんが言われた『恋愛は愚かなだけ』みたいに、今まで私たちが見てきた言動と実際の佳穂の考えが全く違うなら、正直お手上げかな」
「それだと何が“地雷”なのか分からないもんね。……それをピンポイントに踏んだのかもね、あの先生」
ため息交じりの咲緒理の言葉に、優梨たちは頭が痛くなりそうだった。なんて余計なことをしてくれたんだと、文句の1つでも言いたい気分だった。
「……佳穂って本当は私たちの事、どう思っているのかな」
ぽつりと紗奈が呟いた。それは優梨たちも考えていたのか、表情が暗くなった。
「私はね、皆の事はずっと大切な“友達”だと思っていて、それは今も変わらなくて……一緒に暮らすようになってからは、まだ数か月しか経っていないけれど、かけがえのない“仲間”で“家族”だと思っているよ」
「紗奈ちゃん……」
「でも……佳穂はどうなんだろうね……」
紗奈の疑問に優梨たちは誰も答えることができなかった。
紗奈の言葉は優梨も同じ気持ちだった。それは佳穂も同じなのだと、今までずっと信じて疑わなかった。それが今は、少しずつ揺らいでいる。少しずつ、お互いの心が離れていくのを優梨は感じていた。
優梨たちの佳穂の関係が変わってから数日が過ぎようとしていた。この頃にはクラスメイト達も気付き始め、喧嘩でもしたのかと優梨たちに聞いてくる人もいた。
「うん、まぁ……そんなところかな」
「へぇ、珍しいな」
曖昧な返事をすると、誰もが意外そうにそう言った。
言われてみれば、今までにこんな風に仲違いしたことはなかった。優梨たちは誰もが認めるほど仲が良かったのだ。その時の関係に早く戻りたい、そう思っても実際はますます元の関係から離れて行くばかりだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ある日の夜、勉強をしていた匡利は参考にする本が欲しくなった。自室の本棚を見るが目ぼしい物はなく、思い当たる本が図書室にあることを思い出した。
「(取りに行くか……)」
そう考えた匡利は、2階にある図書室の入り口前に《瞬間移動》で移動した。
中に入り、図書室の2階部分にある棚を1つずつ見た。しかし、目的の本が見つからなかった。
「(……1階の方にあるのか)」
1階に移動しようと、下に繋がる螺旋階段の上の所に立った。そこから、1階に2つある大きなテーブルの1画に佳穂がいるのが見えた。久しぶりと言いたくなるくらい見なかったその姿に、匡利は少し驚いた。軽く辺りを見るが、佳穂以外の気配はない。
「(佳穂だけか……)」
匡利はゆっくりと静かに階段を下りた。下に着いたところで、佳穂が匡利に気付いた。匡利の姿を目にすると、僅かに顔をしかめ、広げていた勉強道具をまとめて立ち上がった。
「佳穂、待て」
その場を去ろうとする佳穂を匡利は呼び止めた。佳穂が立ち止まったのを確認すると、匡利は佳穂に近づいた。
「佳穂」
「……何?」
「……最近、何かあったのか?」
そう聞くと、佳穂は匡利の方をゆっくり振り返った。その顔は無表情のままだった。
「何かって、何が?」
「最近、お前は俺たちを避けているだろう。何か理由があるのか?」
「…………」
「気付かない間に、俺たちがお前に何かしたのか?」
そう言うと、佳穂は大きくため息を吐いた。
「別にそういうのじゃないわ。理由があったとしても、あなた達には関係のない事よ」
「…………」
「話はそれだけ? それなら、私は行かせてもらうわ」
佳穂は匡利に背を向け、そのまま1階の入り口の扉の前まで行った。ノブに手をかけて扉を開けようとしたが、佳穂は何かを考え出した。すぐにノブから手を離し、匡利の方を振り返った。
「ねぇ、匡利」
「……なんだ」
「あなた、恋愛には興味がないのよね?」
「……そうだ」
「それなら誰かを好きになるつもりも、誰かと付き合うつもりもないのよね?」
「……何が言いたい」
佳穂の言葉の意味が分からない匡利は僅かに顔をしかめた。それを気にする風でもなく、佳穂は言葉を続けた。
「1つだけ忠告するわ。恋愛をするつもりがないのに、何とも想っていない相手にそうやって、むやみやたらに優しくするものじゃないわよ。じゃないと、優梨みたいに勘違いする子が増えるだけよ」
「……何故、そこで優梨の名前が出る」
怪訝そうに匡利が聞くと、佳穂は意外そうに目を丸くした。そして、嘲笑うかのような表情を浮かべた。
「ヤダ、嘘でしょ? 本当に気付いていないの?」
「……何をだ」
「そう……じゃあ、今後のために教えるけれど……優梨はね、あなたの事が好きなのよ、匡利」
滅多に表情を変えない匡利が、驚きのあまり目を大きく見開いた。珍しく狼狽する匡利は佳穂から視線を逸らし、無意識に額を抑えた。その様子が本当に今まで気付いていなかったことを物語っている。それを見て佳穂は、ますます滑稽だと言いたげな笑みを浮かべた。
「……っ、待て、それは……単なる家族愛とかではないのか……?」
「いいえ。優梨の気持ちは、完全な恋愛感情よ」
匡利は側にあった椅子にフラフラと崩れるように座った。そのまま大きく項垂れ、顔を上げる気配は全くなかった。頭の中が混乱し、それほどまでに佳穂の言葉は匡利にとって衝撃だった。
「……匡利。優梨のことを何とも思っていないのなら、今後の接し方を考えた方がお互いのためだと思うわよ」
佳穂はそれだけを言い残し、図書室を出て行った。残された匡利はしばらくの間そこから動くことができなかった。
あれから大分経って、気付くと匡利は自室のベッドに腰かけていた。あの後、どうやって自分が部屋まで戻ったのか覚えていない。
『優梨はね、あなたの事が好きなのよ、匡利』
佳穂の言葉が脳裏に浮かび、右手で髪をかき上げた。ギュッと瞼を閉じ、顔をしかめた。
『あら、汐崎さん。あなたもいたの?』
『えっと……じ、じゃあ、2人の相性を……』
『そうね。匡利もそう思う?』
『私はただ……その、好きな人の事を、話しただけなんだけれど……』
『……お前、気付いたか?』
匡利の頭の中を優梨や周りの人たちのこれまでの様々な言葉が巡った。それらの言葉は、先ほどの佳穂の言葉が真実なら全て辻褄が合う。
「(どうしたものか……)」
頭を悩ませていると、部屋のインターホンが鳴った。時計を見ればそれなりに遅い時間だ。一体誰が来たのだろうかと思いながら、匡利は入り口に向かった。
「――あっ、まだ起きてた?」
「優……」
扉を開けて現れたのは、今まさに匡利が悩んでいた張本人である優梨だった。寝る直前だったのか、ネグリジェらしい寝巻姿に上着をしっかりと着込んでいる。
「……どうした」
一瞬動揺したが、平静を装って尋ねた。匡利の様子に気付かずに、優梨は手にしていた物を差し出した。
「明日の準備をしていてね、参考書を借りたままだったのを思い出して……匡利、明日使うでしょう?」
優梨の手には英語の参考書があった。そう言えば貸したままだったと匡利も思い出し、それを無言で受け取った。
「じゃあね」
優梨は目的を果たして満足したのか、軽く手を振って背を向けて自分の部屋へ向かった。
「……っ、優梨」
匡利は思わず優梨の事を呼び止めた。優梨は何だろうかと不思議そうに首を傾げながら振り返った。
「どうしたの? もしかして、まだ何か借りたままだった?」
「あっ、いや……わざわざ、すまない」
「こっちも助かったよ。貸してくれてありがとうね。じゃあ、おやすみー」
「あぁ……おやすみ」
匡利はそのまま優梨がフロアを横切り、向かい側の部屋に戻るのを見届けた。扉を閉める直前、匡利がまだ入り口に立っていることに気付いた優梨は、ほんのりと頬を染めて笑顔で手を振ってから扉を閉めた。
それから匡利も部屋に入り、寝室に戻って机に優梨から返してもらった参考書を置いた。
『優梨はね、あなたの事が好きなのよ、匡利』
『優梨の気持ちは、完全な恋愛感情よ』
脳裏に何度も佳穂の言葉が蘇った。それを振り払うように匡利は頭を振った。
「(佳穂の思い過ごしだ……あいつの気持ちは家族愛だ……俺を、あいつが好きになるはずがないんだ……)」
自分に言い聞かせるように何度もそう考え、匡利はこのことを忘れようとした。
早急に翌日の準備を整え、パジャマに着替えて寝る支度を整えた。ベッドに入ってから、最初は眠れないだろうかと匡利は思ったが、そうならずにいつも通りすぐに眠りに就けられた。
そして、佳穂から聞いたことの全てを、匡利は忘れるかのように頭の奥底へとしまい込んでいた。
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