第31話 君は独りじゃない 後編
続きです。
紗奈にとって母親は、物心がつく頃にはいつも臥せっているような気がしていた。顔を合わせて話したことなどほとんどない。最低限の世話をしてもらっても、それもギリギリだった。そして時折、ヒステリックに紗奈に何か怒鳴り散らし、紗奈が口を開こうものなら激しく叩いてきた。抱きしめてもらったことなど、紗奈が覚えている限り一度もなかった。
父親は更に恐怖の対象だった。仕事から帰ってきて機嫌が悪いと、理由もなく紗奈を殴りつけた。たとえ機嫌がいい時でも、紗奈を目にすれば何かしらの暴言を吐いた。
『お前なんかいらないんだ。どっかに消えろ!』
決まってその言葉を最後に浴びせていた。お前はいらない子なのだと、紗奈は言われ続けてきた。
紗奈が小学校5年生の時、母親がついに倒れた。精神的ストレスが原因で、身体のあちこちに様々な症状が併発していた。入院し、長い療養が必要だとされた。
母親が倒れたその日、紗奈が学校から帰ると珍しく父親がいた。1人でダイニングの椅子に座っていた。まだ日があるのに酒を飲んでいるのか、テーブルの上にはいくつも空き缶が転がっていた。
紗奈は父親の姿を目に入れると、怒られる前にすぐに部屋へ行こうとした。しかし、その前に父親が紗奈に気付いた。父親はビールの缶を片手にゆっくりと立ち上がった。いつもと違う様子に気付いた紗奈は、思わず後ずさった。
父親は紗奈から少し離れたところで立ち止まり、紗奈を見た。その眼は暗く淀んでいたが、紗奈がそれまで見た中で一番恐ろしく感じた。
『っ…………!』
声にならない悲鳴を上げ、紗奈は更に後ずさり、背中が廊下の壁に当たった。そんな紗奈を見ると、父親は視線を逸らした。
『――母さんが入院した』
『えっ……?』
突然の言葉に紗奈は理解が追い付かなかった。そんな紗奈を気にも留めず、父親は言葉を続けた。
『症状は色々だが……一番の原因は精神的ストレスらしい』
父親はそう言うと、また紗奈を見た。何か言わなければと紗奈は思ったが、うまく言葉が見つからなかった。
『……なぁ、あとどれくらい俺たちを苦しめれば気が済むんだ?』
『えっ……?』
言っている意味が分からなかった。父親はクシャッと顔を歪めた。初めて見る表情だった。
『お前がいるだけで、俺たちは散々苦しめられている。……そんなに俺たちを苦しめて楽しいのか?』
『そ、そんな、こと……』
口が乾いてうまく声が出ない。父親は絶望に満ちた目で紗奈を見た。
『……もう、限界なんだよ』
父親はそう言って、ふらふらとした足取りで紗奈の横を通り過ぎた。横目に見た父親の目は虚ろで、静かに涙が流れていた。
そして、これを最後に父親は二度と紗奈と口を利かなかった。
その後、紗奈は父親から存在を無視され続けた。それまでのように暴言を吐くこともなければ、暴力をふるうこともない。その代わり、透明人間になったかのように紗奈はいないものとして扱われた。
そして数日後のこと、紗奈は家を追い出されることになった。僅かな自分の荷物と一緒に親戚の家に連れて行かれた。父親は親戚と何かを話し、紗奈を目にすることなく車に乗って行ってしまった。紗奈は車を追いかけようとしたが、結局できずにただ車が見えなくなるのを見つめていた。
紗奈が父親を見たのは、これが最後だった。
それからの日々は紗奈にとって地獄の様だった。詰られるのはもちろんのこと、暴力を振るわれるのも珍しくなかった。世話は最低限しかされず、風呂も最低限しか使わせてもらえなかったので、紗奈はこっそりと《清浄》を使うしかなかった。学校で必要な物があれば、何時間も頭を下げ続けなければならなかった。家事や雑用をするのは、もはや当たり前だった。
それでも、その家に長くいることはなかった。追い出されて次の親戚に預けられ、また追い出されて次の親戚へ……。紗奈はそれぞれの家には長くても2か月、短くて1週間しかいなかった。そんな風に親戚中をたらいまわしにされていた。
そんな生活に慣れ、中学2年生に進級する時に彼はは現れた。それが紗奈にとって、新たな地獄の始まりでもあった……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「(嫌なこと思い出しちゃった……)」
酷い吐き気は治まったが、体の震えが止まらなかった。じんわりと冷や汗をかいているようにも感じた。
「どうしたら、良いのかな……」
誰に聞くわけでもなく、そう独り言ちた。
とりあえず気持ちを落ち着かせようと思った時、部屋のインターホンが鳴った。紗奈はビクッと肩を震わせた。深呼吸を1つしてから部屋の入口へ向かった。
「はい……」
扉を開けると、そこにいたのは優梨たち4人だった。
「皆……どうしたの?」
「紗奈ちゃんに話があるの」
優梨はニコッと笑いながらそう言った。紗奈は一瞬眉を顰めた。
「話?」
「うん、大事な話なの」
「…………」
一瞬、紗奈の脳裏に親戚の家を追い出された時のことが浮かんだ。その考えを押し込めるように一度目を伏せてから、紗奈は扉を大きく開けた。
「入って」
「ありがとう」
優梨たちは順に紗奈の部屋に入った。紗奈はそんな4人の背を見つめながら、ギュッと拳を握り締めた。
4人はリビングのソファに座り、紗奈はコーヒーを淹れた。手の震えが止まらなかったが、何とか平静を装って4人にコーヒーカップを渡した。
「はい、熱いから気を付けてね」
「ありがとう」
「……それで、話って?」
紗奈が座るのを確認すると、優梨たちは顔を見合わせて小さく頷いた。
「紗奈ちゃん……やっぱり私たちに何か隠しているんじゃない?」
「えっ……?」
優梨の言葉にドキンッと胸が鳴った。心当たりがないわけじゃないが、4人が未だにそう思っていることに少し驚いた。
「それで私たち考えたんだけれど……」
「っ…………」
次に言われる言葉が怖い。そう思った紗奈は無意識に固く目を閉じた。
「――もしかしてこの家、居心地悪いの?」
「……は?」
予想外の言葉だった。思わず間の抜けた返事をするほど、紗奈にとって優梨からの言葉は意外だった。その反応に、優梨たちも目を丸くしている。
「えっ、違うの?」
狼狽えたように優梨が聞いてきた。
「逆に、何でそう思ったの?」
「その、最近食欲がないみたいだし、何だか元気もないみたいだし……」
優梨はチラッと横に座る葵を見た。
「でも、前に紗奈ちゃんがご飯は違うって言っていたから……」
葵は更に横に座る咲緒理を見た。
「この家が居心地悪いのかなぁ、って思って……」
「そもそもこの家の大半って、私たちに合わせて好き勝手に弄っているから、後から来た紗奈ちゃんには合わなかったのかと……」
咲緒理に続いて優梨がそう言うと、紗奈は大きくため息を吐いて天井を仰いだ。思っていたことと全く違うことを告げられ、紗奈は少し肩の力が抜けた。
「やっぱり居心地悪いの? 紗奈」
佳穂にそう聞かれ、紗奈は顔を俯かせた。優梨たちは紗奈が何か言うのを待った。しばらくして、紗奈はゆっくりと口を開いた。
「……ない」
「えっ?」
「居心地、悪くないよ。すごく良い……と言うか、良すぎるくらい」
予想していた言葉とは真逆の答えに、優梨たちは驚きが隠せなかった。
「じゃあ私たち、気付かない間に紗奈ちゃんに何かしたの?」
葵の問いに紗奈は無言で首を横に振った。優梨たちは困惑して、互いを見た。紗奈の元気がない理由が全く見当つかず、戸惑うばかりだった。その戸惑いが伝わったのか、紗奈はますます俯いた。
「皆が悪いわけでも、この家が悪いわけでもないの。私個人の問題だから……」
消え入るような声で紗奈はそう言った。
「何か悩みでもあるの?」
優梨がそう聞くと、紗奈は顔を上げた。紗奈の表情は今にも泣きそうだった。それを見て優梨は微笑みを浮かべた。
「私たちで良ければ、話してくれないかな?」
「でも……」
「遠慮しないで。だって、私たちは“家族”でしょ? もちろん、無理にとは言わないよ」
優梨にそう言われ、紗奈は優梨たちそれぞれの顔をジッと見つめた。口をキュッと噛み締め、しばらく考えた。それから、ゆっくりと話し始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
紗奈が中学2年生になってすぐの頃、紗奈はそれまでいた家をまた追い出されることになった。そこの家の住人に連れて行かれた場所は、あるマンションだった。
そこで待っていたのが、彼だった。
『初めまして、紗奈ちゃん。今日から俺が、君と一緒にいてあげるからね』
そう言い、彼は紗奈に手を差し出した。初めて求められた握手に、紗奈は戸惑いながらその手を握り返した。その手はとても温かく、紗奈は安心した。
彼は紗奈の父親の弟の子どもで、初めて出会ったが紗奈にとっては従兄にあたる。大学3年生で1人暮らしをしているが、今回は彼が紗奈を引き取ることになった。
それからの日々は紗奈にとって、とても幸せだった。彼は紗奈にとても優しかった。今までそんな風に接されたことなかった紗奈は、受け入れてもらえたのだと喜びを感じていた。
紗奈は大学で忙しい彼のために、家事や色々なことを一生懸命やっていた。せめてもの恩返しにと、毎日頑張っていた。そんな紗奈に、彼はいつも「ありがとう」と笑顔で告げていた。それまではやるのが当たり前と言われ、お礼なんて一言も言われたことがなかった。
紗奈は本当に嬉しかった。そんな彼をいつしか、紗奈は大好きになっていた。紗奈にとって、初恋だった……。
しかし、幸せな時間は、そう長くは続かなかった……。
紗奈は中学を卒業し、高校に進学した。入学式が行われたその日、入学式から帰ってきた紗奈を出迎えたのは、それまでとは全くの別人のような彼だった。
『――い、今……何て……?』
顔を真っ青にした紗奈が聞くと、彼は鬱陶しそうにため息を吐いた。
『だから、今日でこの家を出て行けって、そう言っているんだよ』
『出て行けって……い、嫌よ、そんなの! 何で!? どうして急にそんな……っ!』
彼の言葉が信じられなかった紗奈は、思わず彼に縋った。そんな紗奈を彼は、蔑んだ目で見つめた。
『っ、触んじゃねぇよ!』
『きゃっ……!』
縋る紗奈を彼は思い切り突き飛ばした。紗奈は床に尻餅をつき、近くの壁に体をぶつけた。倒れこむ紗奈をよそに、彼は紗奈が掴んだ場所をまるで汚い物でも払うかのようにしていた。
何が何だか分からず、紗奈を睨むようにして見下ろす彼を、紗奈はただ茫然と見上げるだけだった。
どれほどそうしていたのか、それほど長くない時間沈黙が流れた。そして、紗奈にとって信じられないことを彼は告げた。
『タイムリミットなんだよ』
『タイム、リミット……?』
『そう。俺ね、伯父さんに……お前の親父に金で雇われたんだよ』
まるで鈍器で殴られたかのようなショックを受けた。全く思考が追い付かなかった。
『っ、か、ね……? 雇うって……』
『そのまんまの意味。分かる?』
紗奈は無意識に首を横に振った。顔を青ざめさせ、全身が震えて歯がカチカチと鳴った。
分かるはずがなかった。分かりたくなかった。全てが夢なのだと、質の悪い冗談なのだと言って欲しかった。
そんな紗奈を嘲笑うかのように、彼は話を続けた。
『お前は知らねぇだろうけどさ。お前の引き取り先、もうどこもねぇんだよ』
『……えっ?』
『つーか、お前の親父のつてが無くなったって言うの? もう、だーれもお前を引き取っても良いって言わなくなったんだとよ。それでも法律や世間とか、当人の事情なんて関係なく厳しいもんだからなぁ。面子もあるし……だから、何とか中学卒業まではって躍起になったんだよ、お前の親父がな』
紗奈は父親のことを考えた。確かにあの人はそういう人間だ、と紗奈は思った。世間体を気にして、一見普通の子どものように外では接し、学校にも通わせた。とっくに愛情など失くしたであろう母親と、いつまでも別れずにいる。妻を労わる良き夫として振舞いながら……
『それで白羽の矢が立ったのが、この俺ってわけ』
紗奈は虚ろな目で彼を見上げた。もう何も聞きたくないと思うが、彼は容赦なく紗奈に現実を突きつけた。
『中学を卒業するまで、お前を引き取って住まわせろって言われた時は、絶対に嫌だと思ったよ。でも、代わりに大金と大学卒業後の就職の面倒をみてくれるって言うからさ。あの頃は金欠だったし、就職の心配もしなくて良いってなったら、話は別だよなぁ?』
『…………』
『まぁ、そうは言っても、大っ嫌いなガキのお守りを2年間って言うのは、やっぱ辛かったなぁ。俺、頑張っていたよな?』
嘲笑いながら紗奈を見た。紗奈は何も言えなかった。
『お前のおかげで結構良い思いできたから、それについては感謝してるぜ? めんどくせぇ家事はやってくれるし、何の苦労もなく就職もできたし、金も手に入ったし。……まぁ、それくらいの見返りがねぇと割に合わねぇよな。そうじゃなきゃ、誰も引き取ろうなんざ思わねぇよ』
それまで蔑み笑っていた彼の表情から、笑みが消えた。
『――お前みたいな、“化け物”をよ』
視界が歪み、紗奈の目からは涙が零れ落ちた。
世界が、崩れたかのような気がした。
何もかも諦めていた紗奈にとって、彼は光だった。優しい彼が本当に大好きだった。紗奈は心の底から、彼を愛していた……
しかし、優しい彼もそれまでの幸せな日々も、すべては幻に過ぎなかった……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しんと静まり返った部屋に、紗奈の声だけがやけに響いていた。
「――その後、荷物をまとめてマンションを出たの。父親はそうなることを見越して寮の契約もしていたらしくて、それも知らされてね。その後は何もかも自分でしなきゃいけなかったけれど……」
優梨たちは紗奈の話を呆然と聞いていた。想像以上の話に、思わず涙が浮かんだ。そんな優梨たちに、紗奈は涙を浮かべながら苦笑した。
「私ね、あの頃の唯一の救いが皆だった。中学の時に友達になってくれて、高校に進学しても変わらず仲良くしてくれて……あんな事があった後だから、なおさら嬉しかったし安心したんだ……」
「紗奈ちゃん……」
「……皆が仲間だと知って、一緒に住もうって言ってくれた時は本当に……本当に嬉しかった」
ポロッと紗奈の瞳から涙が零れ落ちた。それを見て、葵は紗奈の手を握った。
「じゃあ、どうして……」
「……最近、あの頃のことをよく思い出したり、夢に見たりするようになったの」
「夢……?」
紗奈は無言で頷き、一度深呼吸をした。そして、またゆっくりと話し始めた。
「あの人が私の前からいなくなる夢……出て行けって言って、私を突き飛ばす彼の夢を……幸せだったのが、全て壊れたあの瞬間の夢を何度も見るの……。その度に不安で堪らなくなった」
「…………」
「今までと違って、皆は私のことを仲間として受け入れてくれている。私だけじゃないって、思えるようになった。きっと今の私は、これまでで一番幸せだと思う」
紗奈の目から涙がポロポロと零れ、声に小さな嗚咽が混ざった。
「でも……あの頃の夢を見るようになってから、幸せを感じるたびに不安でしょうがなかった……いつか、皆も私から離れて行ってしまうんじゃないかって……あの人みたいに」
「…………」
「違うって……そんなわけないって、分かっているの。でも、あの時のことがどうしても頭から離れないの……忘れたいのに、忘れられない……もう、一生幸せになれないような気がしてしょうがない……」
「っ…………」
「私……怖くて堪らない。もう、あんな思いをしたくない……もう、独りになりたくないの……っ!」
嗚咽を漏らしながらそう言う紗奈を葵は思わず抱きしめた。その目には涙が浮かんでいる。
「(ずっと独りで苦しんできたんだね……誰かに言えるわけもなくて、たった独りで……)」
優梨は胸がズキズキと痛むのを感じた。咲緒理と佳穂も悲痛そうな表情で紗奈を見つめている。
紗奈の苦しみは優梨たちにも痛いほど分かった。昔と比べて今は確かに幸せだと感じている。その一方で、過去の苦しみから解放されていないのは、優梨たちも同じだった。優梨たちも未だに、過去のことを時折思い出しては苦しんでいる。
ましてや紗奈はほんの1か月前まで独りだった。独りでずっと苦しみ続けていた。この短期間で、その苦しみがそう簡単に消えるわけがない。
「(どうして、それに気付いてあげられなかったのかな……きっと、ずっと不安だったよね……? もっと早く気付いてあげたかった……)」
優梨は悔し気に唇を噛み、握りしめた手が震えた。
「――離れるわけないだろう」
どこからともなく声が聞こえてきた。優梨たちが驚いて顔を上げると、《瞬間移動》で匡利たち6人が現れた。
「皆、どうしてここに……」
優梨が声を上げると、慶人がニッと笑って雅樹を横目で見た。
「紗奈の様子がおかしいと雅樹が言いだしてな」
慶人の言葉で皆は雅樹のことを見た。雅樹は少し照れくさそうに頬を掻いている。
「それで、紗奈の様子を見に来たら葵たちがいるのを感じて……紗奈には悪いけれど、話を聞かせてもらったよ」
誠史は苦笑しながらそう言った。すると、朔夜が紗奈に近づいた。
「そんな風に悩んでいるとは気付かなかった。気付いてやれなくて、すまなかった」
朔夜はそう言って軽く頭を下げた。その姿に紗奈は慌てたように立ち上がった。
「紗奈」
玲が声をかけると、紗奈はそちらを振り向いた。
「お前が過去の苦しみから、そう簡単に解放されるとは思っていない。しかし、俺たちはこれだけは確実に言える」
玲は紗奈を安心させるように、優しい笑みを浮かべた。
「俺たちは“家族”になったんだ。血の繋がりはなくとも、誰が何と言おうとも、俺たちは家族なんだ」
「玲くん……」
「そうだよ、紗奈ちゃん。私たちは家族なんだよ。だから絶対に、離れたりなんかしないよ」
「離れるつもりだったならば、最初から一緒に住むことを提案しない」
「優……匡利くん……」
「紗奈が嫌にならない限り、ここにいて良いのよ」
「佳穂……」
紗奈は1人1人の顔を見つめ、その言葉を胸に刻んだ。その度に涙が滲んできた。
「それに、悩みはどんどん言って良いからね。むしろ言って!」
「そうそう。相談もいっぱいしてね」
「アオちゃん……さーちゃん……」
「あと、家のことで何か要望があればちゃんと言えよ」
「もちろん、困ったことがあってもだよ」
「慶人くん……誠史くん……」
「力のことも、制御装置など色々用意できるからな。それも遠慮なく言ってくれて構わないぞ」
「朔夜くん……」
紗奈は自然と雅樹に視線を向けた。雅樹はとても穏やかな笑みを浮かべていた。
「紗奈には、俺たちが側にいるよ」
「……雅樹くん」
紗奈はたまらず涙を零した。それが悲しみの涙じゃないことは、優梨たちにもすぐ分かった。
「ありがとう、皆……」
皆の言葉を噛み締め、紗奈の口から自然と言葉が零れた。少しずつ、胸の痛みや苦しみが癒えるのを感じた。
その後、紗奈は優梨、葵、咲緒理、佳穂に誘われて優梨の部屋で一緒に寝ることになった。優梨たちは一晩中色々なことを話した。話をしている間、紗奈はずっと笑っていた。その笑顔は、優梨たちが今まで見た中で一番楽しそうで、とても綺麗だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから、紗奈があの日のことを夢に見たのはたった1度だけだった。その時に見た夢はそれまでの夢とは違っていた。今までは彼に突き飛ばされ、罵倒されると目が覚めていた。それが、彼に捨てられて絶望に打ちひしがれているあの日の自分を、紗奈は離れたところから見つめていた。真っ暗な闇の中で“紗奈”は泣いていた。
紗奈はそっと“紗奈”に近づいた。“紗奈”は近づいてきた紗奈に気付くと、顔を上げた。涙を流し、苦しみに顔を歪めていた。
『わ、たし……また……独りになっちゃった……っ』
そう言って泣き続ける“紗奈”を、紗奈はそっと抱きしめた。
「……泣かないで。今は独りでも、いつかきっと独りじゃなくなるから」
『本当に……?』
「本当だよ。だって――」
『私たちが側にいるよ』
声がして顔を上げると、紗奈たちの周りには優梨たちが微笑みながら立っていた。優梨は紗奈たちに近づき、そっと2人を抱きしめた。
『私たちがいるよ、紗奈ちゃん』
『……本当に?』
『本当だよ。そうだよね?』
優梨は紗奈を見てそう聞いた。その問いに紗奈は自然と笑みが浮かんだ。そして、抱きしめている“紗奈”を見つめた。
「うん、そうだよ。私は……あなたは独りじゃないよ」
それは、かつて紗奈が言って欲しかった言葉だった。それを聞いて泣いてばかりだった“紗奈”は笑顔になっていた。暗闇ばかりだった周りが、少しずつ明るくなっていた。
紗奈の胸にある苦しみや悲しみは、未だに消えていない。すぐには消えないけれど、それでも紗奈はやっとあの日の絶望から解放されたのだと、そう思えるようになっていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
前後編で結構がっつりとシリアスな話でしたが、いかがでしたか?
この度、アルファポリス様の方でも「異能者物語」を掲載することにいたしました。
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これからもどうぞよろしくお願いします!
蒼月憂




