第30話 君は独りじゃない 前編
シリアスな話です。
――時々、無性に息苦しくなることがある。
夜、眠るのが怖くなることがある。
今の生活がすべて夢で、目が覚めたら私は、また独りなんじゃないかと……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
紗奈が仲間となり、皆の家に引っ越し来てから半月ほど経った。最初は戸惑うことが多かったが、それも今ではすっかり紗奈もこの家での生活に慣れていた。
しかし、数日前から紗奈の様子がおかしいと優梨たちは気付いた。上の空なことが多く、ため息を吐く回数が増えているように感じていた。特に食事をしている時が一番そう感じられた。皆で何かを話している時、紗奈はその会話に加わらず、どこか浮かない顔で他の皆を見ていることが増えてきた。まるで、1人だけ違う場所から眺めているような雰囲気だ。
加えて、食事の後に優梨たち女子だけでダイニングルームでお茶を飲むことがあるのだが、その異変を感じるようになった頃から紗奈を誘っても断られていた。
「最近、紗奈ちゃんどうしたのかな?」
温かいほうじ茶を飲みながら優梨がそう呟いた。
「ねー」
優梨の言葉に同意しながら葵もカフェラテを飲んでいる。
「やっぱり、この家での生活に慣れないのかな?」
そう言ったのは、葵と同じカフェラテを飲む咲緒理だ。佳穂は優梨と同じほうじ茶を飲みながら3人の会話を聞いている。
「ん~、確かに私たちも最初に来た時は驚きの連続で落ち着かなかったけれどね……」
「学校では普通だよね」
「……やっぱりこの家かな?」
葵と咲緒理の言葉に、優梨が不安げに聞いた。
「食事の時の様子が一番変だし……ご飯が口に合わないとか?」
「えー、皆のご飯いつも美味しいよ?」
「でも、好みってあるしね。何も言わないから大丈夫だと思っていたけれど、本当は違うのかも……」
「……いっそ、紗奈本人に聞いてみる?」
優梨たち3人の堂々巡りの会話に、ずっと聞いていた佳穂が提案をした。優梨たちは互いに顔を見合うと頷いた。善は急げと、早速紗奈の部屋へと向かった。
その頃、紗奈は自室のダイニングテーブルで宿題をしていた。しかし、集中ができないのか時々手が泊まり、その度にため息を吐いていた。
「(……何か飲もうかな)」
シャーペンを置いてキッチンに向かった。ところが、ちょうど切らしていて良い物が何もなかった。
「そういえば、今日買おうと思っていたんだっけ……忘れてた」
失敗したと紗奈は肩を落とした。
「ん~……下にまだコーヒー残っているかな」
1階のダイニングルームには皆が好きに飲めるようにある程度の量のコーヒーや紅茶が淹れてある。それを貰いつつ、場所を変えて気分転換をしようと紗奈は思った。宿題のノートと筆記用具を持って移動をすることにした。
――ガンッ!
入り口の扉を開けると、何かにぶつかる音がした。驚いて扉の裏を見た。そこには鼻の頭を赤くし、涙目で口元を抑えている優梨がいた。その後ろには優梨にぶつかったらしい葵と咲緒理がいて、3人から少し離れたところには佳穂もいる。
「えっ、皆? ていうか優、今ぶつかったよね!? 大丈夫!?」
「う、うん。平気……ちょっと痛いけど」
まだ鼻の頭は赤いままだが、笑って優梨はそう言った。
「どうしたの? 皆揃って……」
「紗奈ちゃん、その……ごめんね!」
「えっ?」
突然優梨に謝られ、一緒に葵と咲緒理が頭を下げてきたことに紗奈は目を丸くした。戸惑い気味に佳穂を見るが、佳穂は肩を竦めるだけだった。
「あの、私たちよく考えたら紗奈ちゃんのご飯の好みをちゃんと聞いていないなって思って……」
「最近元気がなかったから、もしかして私たちの作るご飯が口に合っていないんじゃないかと……」
優梨と葵が説明すると、紗奈は一瞬だけキョトンとした。2人の言っている意味を理解すると、苦笑交じりに微笑んだ。
「そんなことないよ。皆のご飯、すごく美味しいよ」
「ほ、本当に?」
確認するように咲緒理が聞くと、紗奈は笑顔で頷いた。
「だから大丈夫だよ、ありがとう」
そう言われ、優梨たちはひとまず安堵の息を吐いた。しかし、その直後の紗奈の表情が一瞬だけ曇ったことを4人は見逃さなかった。
どうしたのかと聞こうとしたが、紗奈は宿題をすると言って1階に行ってしまった。紗奈を見送った後、4人は顔を見合わせた。
「……やっぱり、どこか変だね」
そう言ったのは優梨だ。眉を顰め、先ほどの紗奈の表情を思い出していた。
「何か思い詰めているような感じがする……」と、葵。
「心を読んでいるわけじゃないのに、その感じが伝わってくるくらいだしね」と、咲緒理。
「話してくれるのを待つと言っても、少し心配ね」と。佳穂。
誰からともなくため息を吐き、4人は考え込んだ。
「……もう少し、様子を見てみようか」
優梨がそう言うと、他の3人も頷いた。ひとまずはそれぞれの部屋へ戻ろうとなり、優梨たちは《瞬間移動》で移動していった。
誰もいなくなると、紗奈の向かいの部屋の扉が開いた。そこから出てきたのは、当然部屋の主である雅樹だ。
「……気のせいじゃなかったのか」
雅樹はジッと向かいの紗奈の部屋の扉を見つめた。しばらくの間そうしてから、雅樹は肩を落とし自分の部屋へと戻っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから数日が経った。紗奈の様子は相変わらずで、むしろ上の空で考え事をしている時間が増えていた。それは遂に授業中にも及んでいた。
ある日の古典の授業中のことだ。
「――この問題を解ける奴はいるかー?」
古典の先生はそう言って教室を見渡す。その目にボーッとしている紗奈の姿が映った。
「……じゃあ、松川。答えられるか?」
「…………」
「松川?」
先生に呼ばれていることに気付かず、紗奈は上の空のままノートを見つめていた。段々と視線が集まるが、紗奈は気付いていない。その様子に先生は苛立ち始めた。
「紗奈ちゃん」
先生の様子に慌てて隣の席の咲緒理が呼びかける。しかし、それにも紗奈は気付かない。
「紗奈ちゃん」
今度はそっと肩を揺らして呼んだ。さすがにそれには気付き、咲緒理の方を向いた。
「なに? どうしたの?」
紗奈が小声で問いかけると、咲緒理は視線だけを前に向けた。咲緒理の視線につられるように紗奈は顔を上げて前を向いた。
紗奈より前の方に座っているクラスメイトはハラハラとしたように紗奈を見つめ、黒板前にいる先生はすでに怒髪天を衝いていた。さすがに紗奈も状況を理解して顔を青ざめさせた。
「松川、授業中に上の空とはいい度胸だな。ん?」
「あ、あの……」
「問答無用!」
怒りが爆発したのか、先生は声を荒げた。最初はこの授業の意味を延々と説明していたが、怒りに我を忘れたのか話の内容がずれていく。今や彼の話は授業とは関係なくなっている。
「大体な、その茶髪は何なんだ! いくら理事長が許しているとはいえ、学生としての心構えがなっていない! それに――」
「(あぁ~……この先生、お説教が長い上に私たちのこと目の敵にしているんだった……口実を与えちゃった)」
元々、この先生は今年度の信任であまり優梨たちのことを知らない。志が高く授業も分かりやすいのだが、あまり融通が利かない。はたから見れば、地毛とは思えない派手な髪色の優梨たちのことを良くは見ていなかった。
そのためか、何か機会があればこうして説教をしようとしていた。いつもは言いがかりに近い時もあったが、今回は髪色のことはともかく非があるので、紗奈は何も言わずに先生の説教を聞いていた。
何も反論のない紗奈に対して、水を得た魚のように先生の話はヒートアップし、意気揚々としゃべり続ける。さすがに他の生徒は怪訝な目で紗奈と先生を見ていた。それに気付かないのか、先生はますます饒舌になっていた。
「――まったく、こんな風に育つとはどういう教育をされたんだ。親の顔を見てみたいものだな!」
紗奈の表情は一気に沈み、ズキンッと胸が脈打つのを感じた。膝の上の手は固く結ばれ、小さく震えている。俯く顔は今にも泣きそうだった。
紗奈の前の席に座る雅樹にはその表情がよく見えた。雅樹は思わず勢いよく立ち上がった。突然のことに先生の口が止まった。怒りを含んだ目で睨むようにして雅樹が先生を見ると、先生の肩が大きく揺れた。
「な、何だ。須藤」
「……先生。いい加減、その話は終わりにしねぇか?」
極力怒りを抑えながら雅樹は言った。敬意の欠片もない雅樹の物言いに、先生は顔を真っ赤に染めた。
「な、なんという口の利き方を……っ!」
「先生」
先生が今度は雅樹に説教を始める前に、今度は慶人が立ち上がった。先生は一度口を噤み、大きく深呼吸をした。
「今度は天宮か。何だ?」
「おそらく雅……いえ、須藤は早く授業を進めてもらいたいんだと思いますよ。貴重な授業の時間が残り少なくなってきましたからね」
「な、なに?」
先生はそこで初めて時計を見た。自分が長々と話していたせいで、授業時間が残り僅かになっていることに気付いた。先生は苦々し気に慶人と雅樹、そして紗奈を見て咳払いをした。
「あー……松川は以後気を付けるように」
「……はい」
暗く沈んだ声だった。当然、優梨たちはそれにすぐ気付いたが何も言えなかった。
「須藤と天宮はもう座りなさい。授業を続けるぞ」
席に座った雅樹は慶人の方を見て「ごめん」と口を動かした。慶人は一瞬だけフッと笑い、紗奈を見た。それにつられるようにして雅樹も紗奈を見た。俯いていた紗奈はどこか浮かない顔だが、2人の視線に気付いて小さく笑った。明らかに無理をしている笑みだったが、まだ少しでも笑えることに安心した雅樹と慶人は黒板の方を向いた。
しかし、紗奈の表情はそれからずっと暗いままだった。
その晩、紗奈は食事があまり進まず、最後には半分以上残していた。学校でのことがあるからそれが原因だろうと優梨たちは考えている。
「――それにしたって、様子がずっと変なのには変わらないんだよね」
食後のダイニングルームで優梨がため息交じりにそう言った。葵、咲緒理、佳穂も同意するように頷いていた。
今日は一段と様子がおかしいのは昼間のことが原因だとしても、元々の原因が未だに全く思いつかなかった。むしろ、気付かない間に自分たちが何かしてしまったのかと優梨たちは思っていた。
「……もう一度、紗奈ちゃん本人に聞く?」
咲緒理がそう提案し、優梨たちも少し考えて同意した。ダイニングテーブルを片付け、優梨たちは足早に紗奈の部屋へと向かった。
その頃、紗奈は自室の広いベッドに横になっていた。
「…………親、か」
昼間、先生に言われたことが頭から離れなかった。
『親の顔を見てみたいものだな!』
頭の中を何度も繰り返して流れるその言葉。今の紗奈にはまるで……呪いの言葉だった。
「っ…………!」
酷く吐き気のようなものが込み上げてきた。思わず起き上がり、口元を抑えた。
「(ダメ、ダメ……思い出しちゃダメ……っ!)」
そう思っても、次々と記憶が蘇る。蓋をして、心の奥底に封印したはずの記憶がどんどん蘇ってくる。
『消えろ……』
その言葉を言ったのは誰だったか……。
「あぁ……皆、か……」
自嘲するような笑みを浮かべ、紗奈は呟いた。
蓋をしたはずの記憶。心の奥底に封印して閉じ込めた記憶。忘れたくても忘れられない記憶……。
そんな記憶たちが、紗奈の頭の中を駆け巡っていた……
続きます。




