出会いの季節 7
入学式の翌日、清華学園分校では三学年一斉に身体測定が実施された。
この日は昨日に引き続き授業は行われない。生徒は学年ごとに時間差登校となり、身体測定が終わり次第帰宅が許さる。一年生は一番早い時間帯で、平常通りに登校して昼前には終了となる予定だった。
登校するとまず簡単なホームルームがあり、それが終わるとすぐ、はるか達生徒は皆、制服から体操着に着替えさせられた。なら最初から体操着でもいいのにと思う。
着替えは当然ながら男女別だった。そのためはるかは初めて女子と一緒の着替えを体験することになった(正確には昨日今日と飛鳥と着替えているが、あれはノーカウント)。男子達を教室に残し、クラスメートの女子と一緒に更衣室に移動すると、新鮮さと猛烈な違和感を同時に感じた。
ちなみに今回は事前に着替えを予想していたので、対策も取っている。
「あれ。小鳥遊さん、制服の下に体操服着てきたんだ」
「はい。すぐに着替えるならその方が楽かな、と思って」
クラスメートの一人が目ざとく気づいた通り、はるかはあらかじめ制服の下に体操着を着こんでいた。ごわごわするし、見た目も不格好になってしまうが、これなら着替えの手間を大幅に減らせる。その分、他人に肌を晒す機会も減るので、はるかにはとても重要なことだった。
制服を脱いで体操着姿になった後、上にジャージを着るとあっという間に準備が完了した。そんなはるかを見て、別のクラスメートが残念そうに声を上げる。
「えー、ちょっと残念。小鳥遊さんスタイル良さそうだから見てみたかったのに」
「あはは、ごめんなさい」
彼女には笑って謝ったが、はるかとしてはそれがまさに狙い通りの効果だったりする。
そうして一足先に更衣室を出ようとすると、そこを最初のクラスメートに呼び止められた。
「あ、小鳥遊さん。まだ教室戻らない方がいいよ。男子が着替えてるだろうし」
「……あ、そっか。そうですよね」
早く着替えることばかり考えていて、逆にそれは想定外だった。
「そうそう。男子に囲まれたいなら別だけどね」
「っていうか敬語とかいらないよー、タメなんだし」
「う、うん。わかった」
教室に戻れないなら廊下で待機しようかと思ったが、クラスメート達がそのまま話を続けたため出るに出られなくなった。昨日同じクラスになったばかりだというのに、ずいぶんフレンドリーな会話だと驚く。
「どーしたのはるか。誰かにいじめられた?」
そこへ飛鳥が寄ってきて会話に加わり、助け船を出してくれた。
「酷い。いじめてないよー」
「一ノ瀬さんだっけ。小鳥遊さんと仲いいんだね」
「うん、親友だからね」
「あれ、二人、中学一緒? 一ノ瀬さん奈良だったよね?」
「ううん、別の学校だよ。一昨日親友になったの」
「えー。それ親友って言わないでしょ」
さすが生粋の女の子。飛鳥はあっさりクラスメート達と打ち解ける。その話術には、はるかとしては舌を巻くしかない。
(日常会話も少しずつ慣れていかないと駄目かもなぁ……)
言葉遣いや仕草は大分慣れたつもりたが、女の子特有のノリや会話の雰囲気はまだまだ掴みかねている。しばらくは飛鳥に頼りつつ、少しずつ慣らしていきたいと思った。
(でも、結構時間はかかりそうかな)
しかしそんな思考も束の間、飛鳥に頼らずクラスメートと会話せざるを得ない場面がすぐ後に待っていた。それは、身体測定中の順番待ちでの出来事だった。
着替えの後はいったん教室に戻り、それから実際に身体測定が開始したが、その形式は空き教室に作られた会場を巡っていく形だった。クラスごとに男女別、出席番号順で回ることになるので、必然的に飛鳥と離れ、クラスの女子に挟まれる状況が生まれてしまったのだ。
偶然なのか、はるかの前後を挟んだのは先程話しかけてきた女生徒二人だった。彼女達はどうやら話し好きの性格らしく、積極的にはるかに話しかけてきた。
「ね。小鳥遊さんって彼氏いるの?」
(いきなり彼氏の話題!?)
開幕からのストレートパンチに内心、全力で突っ込みを入れしまう。女子の会話はこういうのが一般的なのか。それとも、彼女達が特別軽いノリなのか。
「う、ううん。いないよ」
「じゃあ募集中?」
「いや、特に作るつもりもないかな」
「あれ、そうなんだ」
とりあえず正直に答えると、何故か意外そうな顔をされた。
「自己紹介とか、そんな感じだったのに」
「自己紹介?」
続けて妙な単語が飛出したので聞き返すと、頷かれる。
「うん。あれって男子にアピールしたんじゃないの?」
(……そんなに変なこと言ってたっけ?)
自己紹介のことは意図的に記憶の奥深くに仕舞い込んでいたので、咄嗟には意味が掴めなかった。
出来れば黒歴史にしたいところだった記憶を、はるかは仕方なく思い出す。
『小鳥遊はるかです。東京の中学に通っていました』
途中まで再生。特に問題はない。
『……ふ、不束者ですが、よろしくお願いしますっ』
「………」
――えーっと、あらためて考えると、これって自己紹介というより。
「まるで新妻みたいだったよね」
「うん。男子を誘惑してたのかと」
「……忘れてください。あれはパニクってただけなんです」
無意味に叫びだしたくなったが、それはどうにか堪えた。遠い目になりつつ二人にお願いすると、何やら大笑いされた。いや、はるかも逆の立場ならそうしたかもしれないが。
「え、今更!?」
「そっか、気づいてなかったのかー」
「小鳥遊さんて面白いね」
「う、うん。ありがとう」
本人にしてみれば面白いとかそんな話じゃなかったが、そこは笑顔で頷いておく。
だが結果的にはそのやり取りが良かったのか、なんだか気に入られてしまったようだった。特に彼氏の話にこだわりがあったわけではないらしく、二人は上機嫌で話題を自己紹介に移していく。
「自己紹介といえばさ。なんか難しい言葉使ってた子もいたよね」
「ああ。ご指導ご鞭撻って言ってた子? あれ、入学式で話してた子だよね」
昴のことだ、とすぐにわかった。
「あの子、ちょっと話しかけづらい感じしない?」
「ああ、わかる。なんか真面目そうって言うか、固そう」
昴はあまりクラスメートから好感を持たれていないのか、二人は口々にそんなことを言う。
それを聞いたはるかは、僅かな苛立ちを覚えた。
彼女達の言葉は悪口と言うほどのものでもなかったが、かといって余り良い話題とも思えなかった。クラス毎に並んでいる以上は昴も近くにいるわけだし、彼女に聞こえる可能性もある。そんな場所でわざわざする話だろうか。
「話してみると、意外にそんなこともないんじゃないかな」
だからつい、そんな風に口を出してしまった。
昨日、はるかは昴と『ノワール』で一緒に話した。だから少なくとも二人よりは昴のことを知っているつもりだった、というのもある。
その時、
『いえ、私は結構です』
「……っ」
昨日の昴の台詞を不意に思い出し、はるかは胸に小さな痛みを感じた。
幸い、はるかの様子にクラスメート達は気づかなかったようだ。先程の台詞も声を荒げたわけでもないので、普通に会話の一部として処理される。
「そうかな? なんか壁がある感じしない?」
「うん、お嬢様って感じ」
お嬢様。その形容に今度は納得する。
おそらく、昴は実際にお嬢様なのだろう。直接聞いたわけではないが、友人の圭一がメイドを雇うようなお金持ちなのだから。
けれど、それは推測だ。
はるかだって結局、昴のことを碌に知らないのだとあらためて実感する。
(間宮さんのこと、もっと知りたいな)
そして、あの時の拒絶の意味を知りたい。
自分や飛鳥をどう思っているのか、聞いてみたい。そう思った。
あまり積極的な方ではないはるかとしては、それは珍しい感情だった。
「ところでさ、寮の部屋にテレビ無いのって不便じゃない?」
「あれ、前もって申請? すれば置いて貰えるよ?」
「え、ほんとに? 知らなかったんだけど」
「二人は結構、テレビ見るんだね」
更に話題は別方向へ移っていく話題に笑顔で相槌を打ちながら、はるかは頭の片隅で昴のことを考えていた。