出会いの季節 8
身体測定は大きなトラブルもなく、無事に終了した。
唯一、ひやりとしたのは医師の前で上半身裸にさせられた時だ。身体測定という銘打たれていたものの、このイベントは健康診断も兼ねており、その際はどうしても医師に素肌を晒す必要があったのだ。
胸を見せること自体はそこまで抵抗はなかったが(もともと男だし)、診察時に他の生徒に見られるのは怖かった。しかし幸い、実際の診察は不透明のボードに区切られた狭いスペースで一人ずつ行われたため、他の生徒から裸を見られる心配は無かった。さらに言えば医師側にもはるかの事情は伝わっていたようで、おずおずと平らな胸を晒した時に「わかっているから大丈夫」というようなアイコンタクトまでされた。
特待生に無茶振りをする分、学校側もそういう部分はきちんとフォローしてくれるのだ。
「さて! さっそく『ノワール』に行こっか」
全ての検査が終わり、制服に着替えて教室に戻ると、先に終えていた飛鳥がすぐに駆け寄ってきた。意気込んで部室への直行を提案する彼女は微笑ましく思ったが、今回は彼女の提案に同意できなかった。
「うーん……先輩たちは二年生だから、たぶんまだ誰もいないと思うよ」
「あ、そっか」
時間差登校の関係で、二年生の身体測定はちょうど今頃からのはずだ。なので今から行ってもおそらくカフェは無人、どころか部屋にすら入れない可能性が高い。
「そしたら、とりあえず学食でお昼にする?」
「うん、そうしよっか」
二年生が身体測定中ならその分空いているだろうし、昨日のリベンジもしておきたい。
「そうだ、なら間宮さんも誘っていいかな?」
先程のクラスメートとの会話もあり、はるかは昴のことが気にかかっていた。
「あ。うん、いいんじゃない?」
飛鳥も同意してくれたので、昴が教室に戻ってくるのを待って声をかけた。
「間宮さん」
「……? ああ、小鳥遊さん」
振り返った昴は、はるかの姿を認めると微笑んだ。
「どうかなさいましたか?」
特にその表情に強張った様子はなかった。昨日のやりとりを気にしてやや気後れしてしまうのは、はるかの気にし過ぎだろうか。
「あの、良かったら一緒にお昼にしませんか?」
「お昼ご飯、ですか」
「はい。今度こそ学食に行こうかと思って」
言いながら、また断られるかもしれないという思いはどこかにあった。
けれど昴は一瞬、思案するような素振りを見せたものの、今回は頷いてくれた。
「そうですね……でしたら、ご一緒します」
「ありがとうございます」
大したことではないとはいえ、嬉しくて笑顔がこぼれた。
三人で学食に向かうと、身体測定を終えた一年生でそれなりに賑わっていたもののやはり昨日より格段に空いていた。座席も大分余裕があったので、すんなりテーブルにつくことができた。
食堂のメニューはかなり豊富だった。しばらく悩んだ末、はるかは海老のドリアを注文した。定番のカレーライスや麺類にも惹かれたが、新品の制服を汚したくないのでいったんパス。なお、飛鳥は日替わり定食(今日はミックスフライ)、昴はサンドイッチを選んでいた。料理は種類だけでなく、味も中々だった。
「でも、姫宮先輩の料理はもっと美味しかったな。やっぱり練習とかしてるのかな」
定食をぱくつきながら、飛鳥が呟く。
「そうだね。先輩はきっと色んな料理ができるんだろうな……」
料理の種類が違うので一概には言えないが、はるかも同感だった。昨日食べたパスタもシンプルながら美味しかったし、由貴はきっとそれなりの経験を積んでいるだろう。
サンドイッチを口に運ぶ手を止めた昴がはるかに答える。
「……あの子は器用ですからね。大抵のことはそつなくこなすでしょう」
その言葉にはどこか棘が含まれているようにはるかは感じた。
「そうなんだ。いいなあ、なんか格好いい」
飛鳥はそうは思わなかったのか、昴の言葉に平然と相槌を打っていた。
(それとも私の気のせいかな?)
「うーん……でもメイドさんって結構大変だと思うよ」
「あー。それはそうだよね。毎日他の人のお世話するとか、あたしは無理だろうな」
会話を続けながらそっと昴へ視線を向けると、彼女は何やら考え込んでいる様子だった。それから不意に口を開き、はるか達に聞いてくる。
「お二人は今日も『ノワール』に行かれるのですか?」
「はい。そのつもりです」
はるかは素直にそう答えた。特に嘘をつく理由も思いつかない。
「間宮さんも一緒に行く?」
続けて飛鳥が聞くと、昴は小さく首を振った。
「……いえ、私は結構です。お二人だけで行ってください」
それだけ言って黙り込み、食事を再開してしまう。
あたし、変なこと言った? といった風に飛鳥が目線を送ってくる。しかし、はるかにも昴の言動にどういう意図があったのかよくわからなかった。
とりあえず話題を変えようと、無難そうな質問をしてみる。
「あの、間宮さんは、どうしてこの学校に入学したんですか?」
すると僅かに昴の眉が動き、彼女が顔を上げる。
「何故、そんなことを?」
聞き返す声は冷たく、どこか不快そうな響きが混じっていた。
やはり怒っているのか。あるいは今の質問で気分を害してしまったのか。
「ごめんなさい。ちょっと気になっただけなので、気にしないでください」
答えたくないという意思を感じ、はるかは昴に謝った。
胸がまたちくりと痛む。
そんなはるかに、飛鳥がちらりと視線を向けた。彼女はそれから昴に向き直る。
「なんか間宮さん、時々はるかに冷たくない?」
「……そうでしょうか」
飛鳥の言葉にははっきり不満の色があったが、しかし昴は淡々と答えた。
そんな態度が癪に障ったのか、飛鳥の語気が強くなる。
「あのさ、何か不満があるなら言ったら?」
睨むような飛鳥の視線を受け、昴が深いため息をついた。
「なら、これ以上私に構わないでください」
その言葉に、場の空気が更に固くなった。隣に座った飛鳥の表情が本格的な苛立ちに染まる。
このままでは彼女が叫びだすのではないかと感じ、はるかはそっと飛鳥の手を握った。
それが多少は効果を見せたのか、飛鳥は少しだけ落ち着いてくれたようだった。
「どういう意味?」
代わりに、静かに冷たく問い返す。
「言葉通りです。これ以上私に干渉するのをやめて下さい」
答えた昴の声もまた同じようなものだった。
何故、いきなりこんな話になってしまったのだろう。
二人のやりとりに口を挟めないまま、はるかはそう思った。
不思議と胸に怒りはない。突然すぎて状況が理解できていないせいかもしれない。
あるのはただ拒絶されたショックと困惑だった。
「意味わかんない。ちゃんと説明……」
そんな中、飛鳥が再び声を荒げかける。しかしその言葉が何故か途中で止まった。
不思議に思い彼女の視線を追うと、視線の先に昴の顔があった。
そして、はるかは昴の瞳に涙が浮かんでいるのに気づく。
「間宮さん。泣いて……」
自然と口から言葉が漏れた。昴がはっとして涙を拭う。彼女自身、涙に気づいていなかったらしい。
昴が俯き、黙ってしまう。はるかも黙ったまま、彼女が何か言ってくれるのを待った。
「……お二人は、どうして私のことをそんなに気にするんですか?」
しばらくしてぽつりと昴が呟いた。その声は僅かに震えている。
「どうして、って言われても……」
聞かれたのは思ってもみないことだった。
戸惑ったように飛鳥が呟き、はるかを見る。はるかもすぐには答えられなかった。
「私達、ご迷惑でしたか?」
考えた末、出て来たのは答えにならない問いかけだった。
「……いいえ」
はるかの問いに昴は首を振った。肯定されるかと思ったので少し意外だった。
「ただ、不思議で。私はなるべく人を避けていたつもりだったので」
少し前に聞いたクラスメートの言葉を思い出す。
『あの子、ちょっと話しかけづらい感じしない?』
『ああ、わかる。なんか真面目そうって言うか、固そう』
彼女達の印象は間違っていなかった、ということか。
「それでも私を気に掛けるお二人が不思議で、なんとか遠ざけようとして」
わざと辛辣な言葉を選んでいたのだという。それがエスカレートして、こんな風になったのだと。
「……そうだったんだ。あたし、それは別に気にしてなかった」
昴の言葉に飛鳥がそんな感想を漏らす。
「はるかは、どう?」
「私は……」
飛鳥に聞かれて、思い返す。言われてみれば思い当たることはいくつかある。
昨日学食前で出会って食事に誘った時、気乗りしない様子だった。
『ノワール』で連絡先の交換をした時、一度は交換をはっきり拒否された。
それから先程までの会話。確かに昴は、はるか達と深く関わるのを避けていたように思える。ただ、
「私も気にしてなかった。どうしてだろう……」
飛鳥が昴に遠慮していなかったのは彼女の気性と、昴を誘ったり話しかけていたのが主にはるかだったからだろう。昨日からのことを思い返してみてそう思った。隣で友人が普通に接しているのを見れば抵抗感が薄くなって当然だ。
なら、はるかは?
「特別な理由があったわけじゃない、と思います。ただ、間宮さんが気になったから」
自問してみても、その程度の理由しか浮かばなかった。
入学式で昴を見て気になり、その後、偶然出会ったから声をかけた。ただそれだけ。
強いて言うなら『先に興味を惹かれていた』ことそれ自体が理由だろうか。
「……そう、ですか」
頷いて、昴がふっと息を吐く。彼女の口元には苦笑が浮かんでいた。
「申し訳ありません。変なことばかり言ってしまって。自分でも、思った以上に取り乱していたようです」
「あ、ううん。いいよ、別に」
頭を下げた彼女に、飛鳥も完全に気勢を削がれた感じだった。
「私もです。……でも、その。ふと思ったんですけど、私達を遠ざけたいなら、『ノワール』に誘ったりしない方が良かったんじゃないですか?」
そこではるかは、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。昨日の『ノワール』での件と、今こうして一緒に食事をしていること。それがなければこんな話にもならなかったのでは、と思う。
「そう、ですよね。……その通りです。何故、でしょうね」
昴には明確な理由があったわけではないらしく、彼女は自問するように目を伏せる。再び顔を上げたとき、彼女の顔には恥ずかしそうな笑みが浮かんでいた。
「私も、小鳥遊さん達が気になってしまったのかもしれません」
「……へ」
その表情に、はるかは思わず、どきりとして言葉を詰まらせ。
「……へぇ」
飛鳥はその横で何やら妙な笑みを浮かべた。
「つまり、はるかが強引にアタックしたのが良かったってこと?」
「飛鳥ちゃん、それ、なんか誤解がありそう」
言いたいことはわかるが、言葉のチョイスがおかしい。
が、昴は意外にも飛鳥の表現が気に入ったのか、くすりと笑って頷いた。
「そうかもしれませんね」
若干釈然としないものの、昴がそれで落ち着いてくれたならはるかにも文句はなかった。
「間宮さん。私、これからも声をかけてもいいですか?」
何より、昴は笑顔でいた方が素敵だと感じた。もっとその笑顔を見てみたいとも。
「……はい。私で良ければ、よろしくお願いします」
結局、昴の気持ちが完全に晴れてくれたのかわからなかったので、少し緊張しつつ申し出たが、幸い昴はしっかりとそう頷いてくれた。
「むしろ、その。……虫の良い話かと思いますが、もしよろしければお友達になっていただけませんか?」
完全に吹っ切れたということなのか。更にはそんなことまで言ってきた。
先程からほんのりと紅潮している頬に、テーブルを挟んでのやや上目使い。顔立ちの整った昴がそんな風にすると、端的に言ってとても可愛らしい。意図してやっているのだとしたら恐ろしいが、昴ならきっと素でやっているのだろう。
(これ、男の子に見せたら危ないだろうなあ……)
もちろんはるかも男なのだが、自分のことは棚に上げる。女の子を異性として意識しないよう心がけているし、そうでないと危険そうな気もするし。
どう危険なのかといえば、
「はるか?」
逸れかけたはるかの思考を、耳元で囁く声が引き戻した。
声の主――飛鳥はそれ以上はるかの方を見ず、にっこり笑って昴を見つめた。
「あたしで良ければもちろんいいよ! もうアドレスも交換したしね」
「もちろん、私もです。是非、お友達になってください」
はるかも慌てて飛鳥に続き、昴に向けて微笑んだ。
……ところで、先程の飛鳥の囁き声が妙に冷たく聞こえたのは、気のせいだろうか。
それはともかく。
「ありがとうございます、お二人とも」
昴も笑顔で二人に答えてくれた。
その目尻にはまた涙が浮かんでいたが、今度はもう、指摘しないことにした。




