01
一年に一夜だけ、死者が還ってくる。
昔から俺の住む町には「送り火祭り」という風習がある。
生者は顔を隠すことで、黄泉の誘いに惑わされないようにーー
死者は顔を隠すことで、生への未練を思い出さないようにーー
此岸と彼岸の境は薄い布1枚だけ。そのたった一枚の布が、生を守る命綱。
誘いに負けて明け方死者と共に送り出される者もいる。
死者を想い、縋る生者のための祭り。
そして、生者を忘れられなかった死者のための祭り。
恐ろしくも、どこか哀しい夜が、今年もやってくる。
「本当に大丈夫なの?」
母さんからのこの問いも、もう何度目かになる。
「うん。今年は俺がやると決めたから」
この祭りには、黄泉路への案内役が必要だ。
死者に最も引き込まれやすい、此岸と彼岸の境を閉じる役目。
今年はその役目を俺が担う。
「……澪ちゃんが還ってきても、惑わされちゃ駄目よ?」
去年の夏の終わりに亡くなった、幼馴染の澪。
「大丈夫だよ。……前に進むために、引き受けたんだから……」
嘘じゃない。でも、それがすべてでもない。
あの日、俺がついて行ってれば何かが変わっていたのか。
もう一度、澪に会いたい。あの日から止まったままの自分の時間を動かすために。
ーーーー
祭りの夜は、いつも満月だ。
町の決まりで、その夜だけ町から全ての明かりが消える。
砂浜を照らすのは、参列者が手に持つ提灯の火だけ。還ってくる死者の数だけ、提灯に火が灯る。橙色の光が波打ち際に並ぶ様子は、遠くから見ればさぞ綺麗だろう。
だが今の俺には、綺麗だと思う余裕がない。
顔を覆う白い布は、思っていた以上に薄くて頼りない。息をするたびに口元に張り付いて、自分の体温だけが確かに伝わってくる。
この布には目の穴が開いていない。見えない。だから、感じるしかない。
砂の感触。潮の匂い。提灯の熱。
そしてーー空気が、変わる瞬間。
それは音ではない。体の奥の、どこか原始的な部分が感じ取るものだ。産毛が逆立つような、息が薄くなるような。此岸と彼岸の布が、ほんの少し揺れる。
死者が、還ってきた。
俺は波打ち際に立って、ただ待った。
案内役は動いてはいけない。呼んではいけない。
灯台のように、ただここにいるだけでいい。
黄泉路は、海蝕洞の奥にある。
潮に削られた岩肌の向こう。夜の海より暗い場所だ。
案内役の仕事は、その道の入り口で蓋をすることだ。夜が完全に明ける前に。死者が溢れ出て来ないように。全員が、戻るべき場所へ戻った後で蓋をする。
波の音が、少し遠くなった気がした。
隣に、誰かがいる。気配だけで分かる。
澪だと、直感的に思った。
匂いでも、音でもない。ただ、分かる。
去年の夏まで、十八年間隣にいた人間の気配は、一年やそこらで忘れられるものじゃない。
「……来てくれたんだね」
声に出していいのか、迷いながら言った。
案内役が死者に話しかけることは、禁じられていない。
ただ、誰もしないだけだ。引き込まれるから。
澪は答えない。でも、気配は消えない。
波が一つ、足元まで這い上がってきた。冷たい海水が、草履の裏から足裏に伝わる。
黄泉路の水だ、と俺は思った。
「……澪」
息を吸い込んで名前を呼んだ瞬間、潮騒が止んだような気がした。
砂浜全体が息を飲んだような静寂。
提灯の火が、一斉に揺れた。




