第四十四話−決行3−
僕は、ジェシー達に気づかれないよう、すぐ傍の壁に張り付いた。
しばらくする……彼女達の会話は、もう聞こえない。
僕は、そっと、彼女等のいたベランダを覗き見た。よし、誰もいなくなっている。
一件落着だ。
このあと僕は、どうやったら、あの部屋に忍び込めるのかを必死に考えた。
彼女等がもうすでに部屋にいることは確認済みだ。 と、いうことは、既に、リトルもあの部屋の中に入っているということになる。
どうしよう……。 どうすれば、彼女のいる部屋に入り込めるのだろうか。
滞る思考を追い立てながら、もんもんと思案していたとき、僕は突拍子も無ことを思いついた。
……窓から入ればよいのでは?
いや、そんなことが僕にできるというのか? きっと無理だ。 そうに決まっている。
だが、他に良い方法は思いつかない。
しばらく迷った結果、やっぱり僕は窓から部屋に忍び込むことにした。
ベランダに行くための道を探すと、まず最初に目に付いたのは、何本かの排水用パイプ。
これを上っていけば、四階までたどりつくことができるかもしれない。
丁度、数メートル離れた調理室らしき扉の脇に、太くて上りやすそうなパイプがある。
五十センチおきくらいに、金具で固定されているから、それに足を引っ掛けていけば、上れるはずだ。
ジェシー達の部屋は、確か四階である。
ベランダの柵をつたって、横に移動していけば、なんとかたどり着くことが出来るだろう。
あとは、僕の体力が持つかどうかだ。
僕は、ジェシー達が寝静まる頃の時間を予想しながら、デジタル式の腕時計で、時間を確認した。
夕飯時である今は、午後八時。 ジェシー達が寝静まるのは、おおよそ十時ごろだとすると、約二時間の余裕がある。
その間に、スタッフや他の客(ましてや、ジェシーに?)見つからず、たどり着くことができるだろうか。
いや、時間はたくさんあるから、ゆっくりと上っていっても、大丈夫だろう。
僕は足音を消して、そっとパイプを止めている金具によじ登った。
***
もうどれくらい経っただろうか? ちょうど、ニ階のベランダと同じ高さまであがってきた。
手は豆だらけ、足は筋肉痛。
おかげに寒さで指がちぎれそうなくらいに痛い。
あやまって手を滑らせたりでもしたら、一巻の終わりだ。
だから、下は見ないようにしている。 余計に怖くなるからだ。
それに、怖気づいてしまったせいで、一旦決めたことを、取り消すのはなんだか格好悪いからね。
僕は、手のひらにはあと息を吹きかけて、なんとか寒さをしのごうとした。
しかし、氷のように詰めたい鉄筋が、僕の手から温度を容赦なく襲う。 人情のかけらもありゃしない!
今は丁度真冬時。 これで、雪でも降ってきたら最悪だ。
いや、最悪な事態など、考えている場合ではない。
人目につかずに、ジェシー達のいる部屋にたどり着くことを考えなくては。
そのためには、僕が少々きつい体勢でも、がんばって、上っていかなければならない。
僕は、一休みした後、今度は横に移動するために、一番近くにあったベランダに乗り移った。
***
僕はパイプからニ階のベランダの柵につかまった。そして、ジェシーの居る部屋の真下にくるまで移動した。 ここからは、上にあがればよいだろう。
このベランダをあがって、三階のベランダまでこれたら、ジェシー達のいる部屋のベランダのすぐ真下にくることになる。
もう指の感覚が無い。 しかし、手を滑らせたら、一巻の終わり。
動かなくなりそうな体に鞭を打つようにして、ベランダの柵を登った。
気力だけが、今の僕を突き動かしている気がする。
息を荒げて、朦朧とする意識の中、僕はやっとベランダの真下までこれた!
僕は、ここから部屋の様子を伺うことにした。
そろそろ部屋の明かりが消えても良い頃だ。
しかし、ジェシー達のいる部屋の明かりは、なかなか消えてくれない。
こういう時に限って、本当に一秒一秒が長く感じられる。
僕は、手のひらをこすり合わせながら、明かりが消えるのをじっと待った。
鼻の奥が痛くて、鼻水が垂れてくる。 そして、それをすすり上げた時、変化が起こった。
僕は、ジェシーの部屋に目を凝らす。 かすかにだが、明かりが消えた後、ジェシーの母さんらしき人物がベランダ側のカーテンを閉めている様子がうかがえた。
僕は、落ち着くのを待った。
よし、もう入っても良い頃だろう。
僕は、ジェシーの部屋のベランダにつかまり、柵を越えて戸のすみの方へとかくまった。
わずかにあいているーテンの隙間から部屋の様子を覗く……見えてきたのは、ソファとテーブル。 そして、ヒーター。 どうやら、ベランダから入ると、すぐリビングになっているようだ。
右側には、ドーム型に切り抜かれた白い壁があり、そこから紺色のベットのシーツが見える。
おそらく、あの部屋で、ジェシー達は寝ているのだろう。
僕は、いつリトルが出て来るのかを辛抱強く待った。
……それにしても、寒い。 さっきから、ふるえが止まらなくなっている。
もっと、たくさんの服を着込んでくれば良かったんだ。
僕ということが、何たる失敗をしてしまったことか。
僕は、身震いしながら、カーテンの置くを覗いた。
すると、一瞬だけ僕の目が黒い影をとらえた。 よく凝らすと、そこらを行ったり来たりしてうろついている。 あれは何だ……?
それよりもリトルを探さなくては。
僕は鬼のように目を光らせて、部屋の中を探った。
だが、さっき目撃した黒い影がそこらを往来してる様子ばかりが目に付く。
かなり背が高かったのも有るだろう。 ふと、見上げるとどうやら人間が行ったり来たりしているようだった。
そして、その人間は僕のよく知っている人物だった。
そう、リトル・ビニーだ!
彼は、ホテルサービスマンの格好をしていた。しかし、背格好や髪型で彼だと判断がついた。
僕はなんとかして、部屋の中で動き回る彼に合図を送ろうとし、手を振った。
しかし、彼はなかなか気づいてくれない。
流石に、手を振るだけでは伝わらないか。
だが、ここで下手に手を出したりでもしたら、ジェシー達に気づかれてしまう! そんなワケにはいかない。
第一、このことは彼女には秘密にしておきたかった。
きっと驚くだろうし……それに、なんて理由をつけたらよいか、言い訳が思いつかなかったからだ。
さて、何か良い手はないものだろうか?
……そうだ! 光があるじゃないか! 寝ている人には気づかれないが、起きている人にはわかる方法だ。
僕は腕時計に目をやった。 確か、ライト機能がついていたハズ……
適当にボタンを弄くっていると、電子音とともに、数字の背景が照らし出された。
僕は、それを見せつけるようにして、腕を大きく振った。 たのむ、リトル、気づいてくれ……!
すると、僕の願いが天に届いたのか、リトルがふと、こちら側に注意を向けた。
僕は早速、リトルに「中に入れて!」と合図するように、カギの部分を指差したが、彼はそれを無視して再び部屋の奥へと戻ってしまった。 どうして……?
僕は、あきらめずにリトルの方を見つづけた。
ダメだ。 気付いてくれそうに無い。
こうなったら、いちかばちか……窓を叩いてみよう。 そうすれば、彼だって、仕方無くも僕を受け入れてくれるハズだ。
僕は窓を叩いてみることにした。
"ドンドン"
そっと叩いたつもりだったが、寒さのせいで手がかじかんでしまい、力の加減が上手く出来ない。
しかも、思ったより大きな音が出てしまった!
するとリトルは無言で僕のところまで来て、窓のカギを開けた。
その瞬間、僕は「ああ、なんてことをしてしまったんだろう」という後悔の念にかられた。
きっと怒られるんだ。 それ以前に、ジェシー達が起きてしまうかもしれないじゃないか……!
「バカめ! 音を立ててどうする」
リトルは窓の戸を少しだけ開けて、顔を出した。
そして、ささやくように怒鳴りつける。 感情のこもっていない声が余計に怖い。
僕は、肩をすくめて、上目遣いに彼を見た。
「ごめん、そ、そんなつもり無かったんだ」
しかし、リトルは次の瞬間、意味深な一言を言った。
「……お前、確かマフラーを持っていたな」
「へ……? う、うん。 そうだけど」
「貸せ」
一瞬、僕は彼が何を言っているのか、理解ができなかった。
マフラーを貸せだと?! あ、もしかしたら……
「渡してくるつもりなの?」
「いや、そうではない」
「じゃあ、どうして?!」
一体、彼は何をするもつもりだ……?
次の瞬間、彼はとんでもないことを言った。
「部屋の中にかなり強力な夢魔がいる。 それに対抗できるのは、レンディ、お前の持っているマフラーだけだ。 今のところはな」
「ちょっと待って! これは僕がジェシーのために作ったマフラーだよ?」
「だから、なおさらだ。 お前はまだ信じられないだろうが……いや、理由は後で話す。 できれば私もこんなことはしたくない。 だが、お願いだ!」
もしもリトルの言うことじゃなければ、僕は絶対に渡さなかっただろう。 しかし、リトルは切実な面持ちで訴えている。
本当に、この男を信用しても良いのだろうか? 部屋の中にはかなり強力な夢魔がいるといっていた。
夢魔……以前ケビンから聞いた話によれば、人を殺す魔物だ。
と、いうことは、ジェシーは今、命の危険にさらされているのか……?!
「……わかったよ」
僕は、パーカーのポケットに突っ込んでいたマフラーを差し出した。
青とオレンジで編み上げたしましまのマフラーが月明かりに照らされ、毛羽立った表面が青白く光っている。
「これをどうするつもりなの?」
「……お前は外に居たほうが良いかもしれないぞ。 私を嫌いたくないならな」