第六話
予告も何もなく攻め入られる。
あちこちで悲鳴が上がる、家が燃える、人が殺される。
隣の国の軍勢が段々と城に近づくたびに、瓦礫の山が積まれていきました。
小さい小さい国でしたから国境周辺をいつも警戒していたはずだったのに、どういうわけか国境を越えてすぐと言っていいほどに城下町に軍勢が押し寄せました。
とうとう城に軍勢が到達をするだろうというとき、二人の姫はお付きの侍女たちと一緒に隠し部屋に逃げ込みました。そこでで侍女たちとともに恐ろしさに震え、悲しみに涙していました。
どうして隣国はこんな意味のないことをするのかしら
こんな嫌な思いをしなくてはならないなんて、私たちはなんて酷い星の下に生まれてしまったのかしら
嘆き姫はそう言って泣き崩れ、周りの者たちの同情を一身に集めておりました。
その後ろに控えていた氷姫は、このような状況に置かれてもただ無表情に冷たくそこに立っていました。そんな氷姫を嘆き姫のお付きの侍女たちは侮蔑して氷姫の存在を無視していました。
叫声とともにどかどかどかと力強く城を歩く音が聞こえてくると同時に、姫と侍女たちが隠れている部屋の扉が大きく開きました。
嘆き姫と氷姫を庇いながら侍女たちが恐怖に震えその扉を伺うと、そこから光を背にした一人の男が何かを投げ入れて寄こしました。
光を背にした男は、成長し、隣国の王となったスハルでした。
そして投げ入れられたものとは、父王の生首だったのです。
部屋のあちこちで切れた息遣いと悲鳴が上がりました。
そんな中、嘆き姫は恐れをしらないように侍女たちをかきわけゆっくりと前に進み出て、その父王であった生首を両手で持ち上げて額にキスをしました。
「なんておかわいそうなお父様。このような姿になってしまわれて……」
はらはらと、姉姫のふせた目から涙がこぼれおちました。
それをじっと見ていたスハル王は、高らかに笑いだしました。
「何がおかしいのです。父王をこのような姿にかえた者が」
「いやなに。そなた、かわらぬな。年を重ねて少しは変わったかと思うておったが、情けないほどに昔のままの『嘆き姫』よ」
あの舞踏会で味わった冷たい眼差しよりもさらに見下され、わなわなと屈辱に震える姫にスハル王は話しかけました。
「そなたが少しでもその愚かしさから成長しておれば、このような日も迎えることはなかっただろうに」
聞き捨てならない言葉に、父王の生首を落とした姫が笑うように叫んびました。
「わたくし?わたくしのせいとでも?」
「そう言っているのだが、そのように聞こえぬか?」
「わたくしは何もしてなどおりません!」
「そう。そなたは何もしてなどおらぬよ。ただ、そこにいて何かの愁いを見つけては自分の徳になるように話を紡いで嘆いているのみ。そして周りの者から『おかわいそうに』と慰められて、もてはやされては悦にはいっているだけであろうよ。そして己が嘆きをより強く見せるために心のない氷姫を従えて歩き回る、ずうずうしくあくどいという言葉がふさわしい行いをする女よ」
「そのようなこと―――!」
「ない、と申すのか?ではそこにいる侍女に確かめてみてはどうだ?そやつは今視線を外したではないか。その後ろにおる者もそうであろうよ。我に怯えるのではなくそのことを指摘されることに怯えているではないか」
姫が後ろに控えている侍女たちをちらと見ると、スハル王の言うように二人とも姫と視線を合わせようとはしませんでした。もちろん氷姫の侍女たちも。
「それにこの首の王がかわいそうだといったな?本当にかわいそうなのはいったい誰かわらぬか」
スハル王は王の首を落としたばかりの血糊のついた刀を姫に向けて、必ず答えるように促すと
「……父を亡くしたわたくし、ですか……」
「馬鹿なこと!そなたなどかわいそうであるわけがなかろう。それで言うならばまだ氷姫のほうが幼く、かわいそうというに相応しいではないか。やはり『嘆き姫』のあだ名は伊達や酔狂ではないとみえる。誰がかわいそうか。それはこんな愚かな王と不愉快な姫を仰がなければならなかった国民よ。王が昔のままの王であったなら、そなたが少しでも心入れ替えたのならば、このような戦火の渦に巻き込まれなくともすんだものを」
「なにを……!戦争を仕掛けておいて何を戯言をいわれるのですか!」
「仕掛けたとも。今が勝機。愚かにも娘の性分に惑わされ、国民の信頼が遠のいた王室など、もろい。この国の国民が流民となって我が国に流れ込んできているとゆうに、そこの娘にも見放さされた床に転がる王は何もせぬ。動かぬ。だからこそ我が国が動いたのだ」
スハル王の見る先には、さきほど嘆き姫の手からこぼれ落ちた父王の首がありました。
父王の澱んだ瞳はまるで自分を責めているように見えた姫は、思わず両手で顔を覆いました。
「そなたがそのような性分だからこそ、この国の王まで近隣諸国から見下されるのよ。そなたの性癖を直すことも、国民を二分化するほどの噂を沈静化することもできぬ王に、国を動かす正当な判断ができるはずもない。近頃ではこの国の王は子煩悩に目がくらんだ愚か者として名高いことを、そなたは知っているのか?」
初めて聞く話に驚いた姫は、真のことかと周りを見回してみても、誰も姫に返答する者はいませんでした。それどころか誰一人姫を見ようとはしなかったのです。
それほど姫は周りの者から信頼されていなかったということに今さらながらに気付いたのですが、それはもう遅すぎたのです。
姫の嘆きによって、職を追われた者がいました。
姫の嘆きによって、質素な生活を余儀なくされた者がいました。
姫の嘆きによって、人とかかわることに恐怖を覚える者がいました。
権力があるものがその時ばかりに耳触りのいい言葉を紡いだおかげで、悲惨な目に会う人がどれだけ多かったことか。
スハル王は、最後に一言言いました。
「嘆き姫よ。その名の通り嘆き悲しめ!」
そうして父の血が乾かぬうちに、同じ刃で嘆き姫も父の後を追いました。
スハル王は、血をぬぐうために大きく刀を振り上げて、一振り下ろしました。
刃の先には父王に添うように嘆き姫の醜く歪んだ顔が並んでおりました。
王が二人の首をそのままに、部屋から出ていこうとした時のことです。
「お待ちください」
震える赤い唇を噛み締めて、一人の美しい姫が血にまみれた生首の横に立っていました。
まだ幼さののこる銀色の髪の姫――――嘆き姫とともに噂された冷たい氷姫に間違いありませんでした。
「わたくしも、この国の姫。この国を傾倒させた王の娘としてその刀に色を染めるのは当然と思いますが、その前に一つだけお教えいただけませんでしょうか」
スハル王は、驚きました。
なぜならスハル王が調べさせた氷姫という人物は、感情がないただの見かけのよい人形であり、嘆き姫の格好の餌食だだったからです。
ところがどうでしょう。
豊かな愛情を保障する、ぽってりとしたつややかな唇を、目の前で起こった悲劇に流されまいと血が出るほどに噛み締めていました。
そして透き通る空色の瞳には知性の光が宿っていました。
報告書には書かれていない氷姫を少しだけ垣間見たような気がしました。
そこでそのまま打ち捨てるか混乱に任せて投げ捨てるかと考えていた氷姫の処分を据え置き、自分の愚かさを対価に氷姫の話を聞いてみることにしました。
「申してみよ」
「ありがとうございます。……国王も世継ぎ姫である姉姫も身罷られました。私が死ねばこの国の王制は終わりを告げます。その後のこの国をどうされるおつもりか、ただそれだけをお教え願えませんでしょうか」
「そなたの死後のことなぞ、なぜ死を前にして知りたく思うのだ?」
「国王一家に罪はあります。国を傾倒させ、自国民を流民とし、それを止める手立ても打つことができませんでした。ですのでわたくしは死を受け入れる所存ですが、この国の民に罪は何一つございません。……できれば父王と姉姫、そして私の首をもってなにとぞ国民に温情をお与え願えませんでしょうか」
スハル王は、百聞は一見にしかずだと思いました。そして氷姫に対する評価を改めました。
「そなた、我が后となるか?」
十五歳という氷姫の年齢は、二十五歳のスハル王とはたしかに年が離れていますがおかしくはありません。それに美しい容姿に十五という年齢にして目の前で肉親が殺されたというのに取り乱すどころかわが身を投げ出して自国民の処分に温情を願うことができるその精神。
スハル王は王妃に相応しい女性を、最も王妃に相応しくない姫が生まれた国で見つけました。
「……なぜです。わたくしは敗戦国の姫です。この身はすでに王の手の上。この場で殺そうが、死ぬまでで後宮に留めておこうが王の身心ひとつで決まります。それを后に望むなど、聞いたことがありません」
「たしかにそなたの言うとおり、そなたの運命は我が手にあるも等しい。だが、そなたのその聡明さは後宮にあるべきではない。その慈悲深さは自国民を持ってこそいかんなく発揮されるだろう」
「わたくしに選択権などないはずです」
「そうだ。まったくない。けれどそれでも選択させてやろう。我が妻となるか、死をもって国民に詫びるか」
その言葉に一瞬ひるんだ氷姫でしたが、しばらく考えた後、答えを導き出しました。
「敗戦国の王女であるわたくしが后となるには後ろ盾も何もない状況ではあり得ないと思います」
「その言い方では後ろ盾があれば妻となると言っているようなものだぞ」
「いえ。できれば父王や姉姫と同じく、この場で斬首してください。それがこの国を戦火に巻き込んだ王族の最後に相応しいと思います」
「よくぞいった!」
そうして氷姫は隣国の王スハルに望まれて后となり、公平で慈悲深い王妃と国民から慕われ、一生を幸福に暮しました。
では氷姫の国はどうなったでしょうか。
スハル王は氷姫が望んだとおり、腐敗した貴族を罰したのみにとどめ、国民が戦火で餓えることなく暮らせるように配慮して、以前の繁栄を取り戻していきました。
氷姫は何よりもそのことを喜んでいたそうです。
《おしまい》
いかがでしたでしょうか。
もともと『嘆き姫』を描いている最中に妹姫がいたらどうなるかという思いつきで生まれたお話です。氷姫と嘆き姫の確執をもう少し具体的に描けばよかな?とか思ってみたりもしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。